外国人留学生に直撃!日本人学生のGood&Bad

Vol.4 一橋大学国際・公共政策大学院 マヒン・マーティンさん

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マヒン・マーティン●1989年12月25日生まれ、バングラデシュ出身。貧しい村から400倍を突破し、バングラデシュの名門ダッカ大学へ入学。開発学を専攻し、ダッカ大学院へ進学。卒業後、奨学金を得て一橋大学国際・公共政策大学院へ留学。学業のかたわら、バングラデシュでコンサルタント会社を経営。教育や農業をインターネットと結びつけたe-learningやe-farmingビジネスを世界銀行やバングラデシュ政府と共に開発し、アジア各国を飛び回るビジネスパーソンの一面を持つ。

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2010年に生まれ故郷のチャンドプールで大学の友人と撮影したもの。写真中央がマヒンさん。

 

400倍を突破し、名門ダッカ大学へ。村で45年ぶりの快挙

私は、バングラデシュの首都ダッカから船で8時間くらい離れた、ベンガル湾沿いのチャンドプールという小さな村で生まれ、そこで高校卒業まで過ごしました。年に何回か洪水があるような貧しい村で、大学への進学率は7、8パーセントほど。ほとんど収入がない父と母、4人兄弟の6人家族の私には「絶対にバングラデシュ最難関のダッカ大学に合格して家族を救う」という強い意志がありました。村にはダッカ大学への進学指導をしてくれる先生は存在せず、必要な本は買えず、インターネットも英語の授業もありません。私は死にもの狂いで頑張りました。一日16~18時間、不眠不休で勉強。周囲は「100パーセント不可能」と言っていましたが、合格者200名に対し8万6000名が受験という400倍以上の倍率を私は11位で合格しました。村からダッカ大学への合格者が出たのは、45年ぶりの快挙です。私の合格は新聞で全国に報じられ、貧しい村の高校生に希望を与えることができました。

 

2008年、18歳でダッカ大学へ入学、開発学を専攻し、大学院へ進みました。ダッカ大学への進学者は、首都ダッカの出身者がほとんどです。富裕層で、中学生の時から英語を習い、良い学校に通い、指導者や環境に恵まれた人が多く、私のような小さな村出身の貧しい学生はほとんどいません。日本の予備校のようにバングラデシュにも大学に入るための塾がありますが、半年分の塾費は、私の父の年収の15倍。私には英語もインターネットも初めての学問で、教育格差を目の当たりにしました。そんな中、大学2年生の時に、ノーベル平和賞受賞者でグラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス教授がバングラデシュでセミナーを開き、日本から参加していた一橋大学の米倉誠一郎教授を紹介してくれました。米倉先生は、国際的な活躍をされ、日本ではもちろんですが、バングラデシュでもとても有名です。米倉先生と出会い、私は漠然と日本の大学院へ留学したいと思うようになりました。そして12年、奨学金制度へ出願し、一橋大学国際・公共政策大学院に入学したんです。

 

想像をはるかに超えた日本での大学院生活は夢のような日々

ダッカにいる時、インターンネットで一橋大学の先生方の論文を読み、とても影響を受けました。実際に留学して、自分の想像をはるかに超えた環境に驚いています。ビジネスや公共政策の分野において世界トップレベルで、ビジネス界にたくさんのリーダーを輩出していることはもちろんですが、学生に親切で、どんな小さなことでも全面的に協力してくれるサポート体制が整っていることが大きいです。一般的に日本での留学生活は日本語ができないと、とても難しいと言われていますが、私は留学中に困ったことに直面したことは一度もありません。東京の多くの大学で、日本語の難しさから留学生が孤立するなどのトラブルを耳にすることがありますが、一橋大学にはそれがない。留学生は自由でいながら配慮されていて、留学生にとても優しい大学だと感じています。私がどんな目的でどんなバックグラウンドで留学しているかということを、大学がきちんと理解している。そのことを100パーセント確信できるという安心感は大きいですね。日本語はとても難しい言葉なので、留学生は常に不安であるということを知っていてくれます。そして教授は留学生のことを、自分の息子や家族のように扱ってくれて、それがとてもうれしい。米倉先生の授業に引き続き、14年は秋山信将先生の国際ガバナンスを学んでいますが、私のような海外の留学生に門戸を開放してチャンスをくれていることに、とても感謝しています。

 

日本の学生には、開発途上国に行き自分たちが恵まれた環境にいることを知ってほしい

13年の夏休みに帰省した時に、大学2年生の日本人の友人が一緒にバングラデシュにやって来ました。彼はそれまで将来の夢を描くことができなかったのですが、バングラデシュから戻ると、自分が恵まれた環境にいることに気がついて、将来のために、今できることを具体的に考えるようになりました。今、ペンシルバニア大学院を目指して猛勉強中ですが、彼自身、自信が芽生えてきたし、将来、発展途上国で働きたいという明確な目標ができたようです。それからもう一人、ある浪人生が、バングラデシュで教育ビジネス革命を起した税所篤快(さいしょあつよし)さんが書いた『前へ!前へ!前へ!』(木楽舎)を読んで、税所さんのプロジェクトに携わっていた私を訪ねてきたのです。彼は本の内容に感動して、バングラデシュに行こうとしましたが、両親が大反対。1年かけて説得し、1週間だけバングラデシュに行くことを許してもらいました。彼はまったく英語ができず、空港で入国審査も通れなかったのですが、1週間私の弟と過ごし、いずれ発展途上国で働きたいと慶応義塾大学を目指して勉強しています。

 

日本の若者は、できるだけ若いうちに、海外、特に開発途上国に行くといいと思います。貧しければ貧しい国ほどいい。その国の子どもたちが直面しているさまざまな問題に触れて、自分と比べてみてほしい。きっと、人生が違ったものになるはずです。教育を受けたくても受けられない子どもたちが、日本の学生と同じレベルのことをするためには、どれだけ大変な思いと努力をしているかを肌で感じるいい機会になります。実際に経験することで、初めて自分が本当に何をやりたいか、何をすべきかが見えてくるのではないでしょうか。自分たちが恵まれているということを知らない日本の学生に罪はないです。知らなければ、自分たちの環境が世界中で際立って恵まれているという意識が生まれないのは当然。日本の学生をバングラデシュに連れて行くと、必ず「あぁ僕はなんて恵まれた国に生まれたんだろう」と言いますよ。

 

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マヒンさんに質問!

Q1.日本の学生の英語力についてどう思いますか?

日本の学生は英語がしゃべれないと言われていますが、それは、日本人の文化が、人より前に出ようとか意見を押し通そうというのがないことが関係しているのではないでしょうか。それから、日本にいれば日本語だけで完結できるので、英語を話さなくてはいけないという機会がないことが大きい。海外に出て、または日本に来ている留学生と交流して、英語が大切だと実感する機会があれば、もともと潜在能力は高い日本人ですから、あっという間に上達すると思います。意識や語学力はどんどん変わると思いますよ。ただ、日本は何でもそろっているので、なかなかそういう意識を持てる学生が少ないのかもしれませんね。

Q2.日本の印象は留学してから変わりましたか?

来日前は、日本はビジネスで成功しているので、とても利己的な国かなと思っていました。けれども、実際、日本人の温かいおもてなしの気持ちに触れて、以前の認識が間違っていたと実感しています。とても安全で、民族的な紛争がなく、勤勉で、優秀なシステムを誇る日本という国は、アジア諸国の憧れなのです。私は、大学構内の留学生会館に住み、委員もやっているので、アジアの学生とも交流がありますからよくわかります。留学生が口にするのは、日本人の相手の国の文化を尊重するという細やかな配慮。例えば、イスラム教徒の私は、ラマダン中は昼間は8時間くらい飲食できないんですが、そういう文化をきちんと理解しようとしてくれるんです。ユニクロがイスラム文化圏用のレディースのデザインを用意するのと同じ姿勢を感じます。

Q3.日本にきて印象に残っている出来事は?

2011年、東日本大震災の災害支援のため、ダッカ大学を中心に10校で募金活動を行いました。「日本に恩返しをしよう」と2000人を超える学生が協力 し、募金を日記帳などに換えて届けるために、初めて東北地方(岩手県大船渡市)を訪れました。津波の被害に立ち向かう日本人の姿と大船渡の一本松が印象に 残っています。

Q4.将来の目標は?

現在、日本での大学院生活のかたわら、バングラデシュでコンサルティング会社を経営しています。1年後に修士課程を卒業したら、一度帰国し、自分のビジネスをもっと発展させたいです。世界銀行やバングラデシュ政府と、国内100万人の小中学生にe-learning授業を行うプロジェクトを進めています。自分が経験してきた教育格差をなくしていきたい。バングラデシュのすべての村で平等な教育が受けられるようになるといいと思います。農業やイスラム教徒女性の社会進出など、日本で学んだことを故郷で生かしていきたいですね。

取材・文/川瀬美加 撮影/刑部友康

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