起業家インタビュー

Vol.7 株式会社アキュラホーム 代表取締役 社長 宮沢俊哉さん

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1959年東京都生まれ。中学校卒業と同時に住み込みで大工修業を開始。修業先の工務店が倒産したため、19歳で都興建設を創業。住宅建築の合理化システム「アキュラシステム」を構築し、98年にはアキュラシステムを公開した工務店ネットワーク「アキュラネット(現:JAHBnet)」事業を開始。著書に『無理なく無駄なくいい家を建てる』(日経BPコンサルティング/税抜き1300円)『住まいづくり、第三の選択』(現代書林)など。

人一倍努力を重ね、3年目で建売住宅を完成させて一人前に

祖父も父も工務店を経営する棟梁(とうりょう:大工の親方)でした。山梨県の実家の棟上げ式(家を建てるときの儀式)で、村中の人たちの注目を集めるはっぴ姿の父と祖父の姿に「かっこいいな」と憧れました。小学4年生のときに造った本棚で金賞をもらってモノづくりに目覚め、迷わず大工になろうと思ったのです。

 

家一軒を建てられる一人前の大工になるのに最低5年と言われる中、私は早く一人前になりたい一心で、仕事の合い間に端材を使って練習し、現場に一番乗りして作業を進めては叱られながら、技術を習得しました。

 

3年目、ようやく簡単な建売住宅を1棟任せてもらいました。屋外での仕事は、夏は暑くて冬は寒い。それでも、父や祖父のように工務店の棟梁になりたいと思っていましたし、やればやるほど上手になっていくことが、うれしくてたまりませんでした。

 

ところが突然、住み込み先の工務店が倒産してしまった。途方に暮れましたが、元請けの社長が「家を仕上げないとお客さまに迷惑がかかる」と嘆いているのを見た私は、その仕事を引き継ぐことにしたのです。とはいえ、ガラス屋や左官屋を監督する仕上げ仕事は未経験。それでも何とか先輩大工や施工業者、職人を手配して、家を完成させました。

 

これが独立初仕事です。そのころの夢は、名棟梁となって工務店の社長となり、いつかは工務店を総合建設会社にすること。その思いを込めて、都興(みやこ)建設という屋号にしました。資本は大工道具と軽トラックだけです。

 

二つ返事で仕事を引き受ける私は重宝がられ、1年目の仕事は順調でした。ところが、徐々に先輩工務店に仕事を持っていかれるようになり、2年目には営業を始めました。名刺1枚を持って、建設会社を訪ねていくわけです。先方に「都興建設の売りは?」と聞かれても、売りという言葉の意味すらわからない。とにかく、営業に行くのが苦痛でした。

 

下請けから元請けへ。銀行ローンへの組み替えで業績を拡大

独立から3年が経過し、若い職人では新築の受注は難しいと悟り、リフォームを行う有限会社都興営繕を設立しました。当時は建設ラッシュで棟梁は引く手あまた。修繕など受けてくれないため、ニーズはあったのです。数年で売り上げが約9000万円になりましたが、蓋を開けてみたら1000万円の赤字。支払ってくれない元請けもいましたし、安い言い値で仕事を請けてきたため、やればやるほど赤字になったのです。さすがに「下請けではダメだ」と気づきました。

 

それからは、個人宅から直接仕事をもらおうと、仕事の合間に昼は飛び込みで住宅を訪問し、夜は電信柱に貼り紙をして回りました。それこそ365日働き、1年で1000万円の赤字を取り戻しました。そして、下請けの仕事はしない宣言をしたのです。不安はありましたが、これが大きな転機となりました。

 

当時の工務店の広告は、ほとんどが材料費だけで工賃は別途。見積もらないと総額がわからない仕組みでした。そこで、私はお客さまの身になって考え、チラシには「ベランダのスノコ張り替え 材料費○○円+工賃○○円」と総額を掲載し、イラストも入れてわかりやすくしたのです。すると、依頼の電話がひっきりなしに鳴るようになりました。

 

飛び込み営業のようなプッシュセールスが苦手だった私は、「お客さまは何を求めているのか」を考えた。そして、効果的なチラシで集客するプルセールスで商機をつかんだのです。これがマーケティングなのだと、後になって知りました。

 

このころ、もう1つ新しいことに挑戦しました。23歳で結婚して家を買った私は、ノンバンク(融資専門の金融機関)で金利10パーセントの住宅ローンを組みました。ところが、定期預金をしていた信用金庫の担当者がそれを知り、私のローンを7パーセントに組み替えてくれたのです。3パーセント違えば、返済額は150万円も違います。

 

当時の建売業者はノンバンクを利用していましたから、「ウチのお客さまにも安い金利を提供できないか」と考え、とことん調べました。そして、銀行の司法書士が立ち会い、私が保証人となって抵当権の同時抹消同時設定を行うことで、安い銀行ローンへの組み替えを実現させたのです。仕事の依頼とローンの組み替えとのセットは、大いに当たりました。

 

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「お客さまが欲しい家」という原点で開発。M21が大ヒット

都興営繕の業績は順調に伸びていきました。勢いづいた私は、すまいの都という別会社を設立し、憧れの新築に乗り出したのです。一流デザイナーが設計し、私がつくるデザイナーズ住宅です。ところが、これが失敗でした。「これは自分の作品。モデルハウスだ」とこだわるから、採算が合わない。お客さまには喜んでいただけましたが、手がけるたびに赤字だったのです。

 

そこでわれに返り、もう一度冷静に考えました。そして、「追究すべきは、私が造りたい家ではなく、お客さまが欲しい家なのだ」と原点に立ち返ることができたのです。その後開発したのが、徹底的に無駄を省いたローコスト住宅「M21」です。坪単価29.8万円が安いと言われていた時代に打ち出した、坪単価21万円の注文住宅は大ブレーク。チラシをまくだけで、依頼が殺到しました。

 

2度目の倒産の危機をM21で盛り返しましたが、実はこの業界では「安い」はタブーでした。安い=粗悪な住宅と思われていたからです。こうした誤解に、モノづくりの人間としてのプライドが傷つきました。そこで今度は、「今は衣食も洋風なのだから、住まいも欧米住宅だ」と、カナダの輸入住宅を始めたのです。業界初と話題になり、カナダの首相から感謝状もいただきましたが、やはり日本人には細部の粗さが気になった。結局、売り上げ20億円で赤字が10億円と、再びピンチになりました。

 

「匠の心ルネッサンス」で日本の家づくり文化を復興させる

私はそれまでに8回ぐらい住み替えて、鉄骨、プレハブ、2×4、自社のローコストの家、こだわった家、安いマンションから高級マンションまで、あらゆる住まいを試していました。自分自身も、木造、鉄骨、プレハブ、2×4、RCと、さまざまな建築を手がけてきました。ハウスメーカーからの転職組も増え、社内にはハウスメーカーの良さ、工務店の良さ、2×4の良さ、輸入住宅の良さ、プレハブの良さが蓄積されたのです。

 

性能や品質の共通点、構造や工法の基本要素を分析し、ようやく住宅の本質が見えてきました。それは、「最も普及している木造在来工法が一番安い」ということ。それまでは、ハウスメーカーが圧倒的だろうと思い込んでいましたが、戸建て住宅に関して言えば、工務店が造る木造軸組み住宅が約8割。しかも、工務店が使う資材は汎用品だから安いのです。これを知った私は、コストパフォーマンスの高い木造の家づくりに再度取り組み、10億円の赤字を5年で挽回しました。

 

私は、大工という仕事を天職だと思っています。だからこそ、日本の家づくりを変えることに夢中になれたのです。16歳で大工となって以来、試行錯誤、七転八倒の連続でしたが、「人々の暮らしを豊かにしたい」という強い思いは揺るぎませんでした。トライ&エラーを繰り返したおかげで、ようやく自分のビジネスに自信を持てるようになりました。そして、2005年にはJAHBnet(ジャーブネット)を立ち上げて、自社のノウハウを公開。今では全国2600社の工務店がJAHBnetを利用し、自社のシステム改善や経営の合理化に役立てています。

 

日本の家はあまりにも高い。この壁は少なからず打破することができたので、次なる夢は、日本の家づくり文化を復興させること――「匠の心ルネッサンス」です。匠の心とは、造る喜び、そして造ったものを喜んでもらう喜びです。家を造りっぱなしにするのではなく、匠の心で永代家守りをしていく。匠の心で、人々の暮らしを豊かにしていきたいのです。1000年以上現存している法隆寺も、メンテナンス(家守り)をしなければ持ちません。これからの日本は、家守りをしながら資産価値を上げていく時代だと思っています。

 

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これから社会に出る皆さんへ

私が熱く語るタイプだからか、大学のキャリアセミナーなどで、「どうしたらやる気になるのでしょう?」「どうしたらモチベーションを上げられるのでしょう?」という質問をよく受けます。私は、人生や仕事の成功につながるのは、「能力×やる気(熱意)×ものの見方・考え方」だと思っていますし、自分自身もそれを体感してきました。

 

例えば、新入社員が社歴10年のベテランに営業で勝ってしまうことがあります。能力も知識も経験も低いはずの新人が、なぜベテランに勝てたのか――それは、やる気(熱意)なのです。お客さまの元に足繁く通い、ダメだと言われても必死で見積もりを作り直し、提案したから、契約をもらえたのです。

 

理系の人たちは理系の分野を生かそうとするし、文系は文系の分野を生かそうとするようです。しかし、そういう人たちに言いたいのは、「もしかしたら、あなたは何となくその道に進んだのではありませんか?」ということです。「これでいいのか」と不安になりつつも、何となく決めたその道を行かなければいけないと思い込ませ、自分の道を狭めてしまってはいないでしょうか。やる気が出ない理由は、そこにあるのかもしれません。

 

自分のモチベーションを上げる、やる気を出すにはどうしたらよいのか。それには、モノの見方や考え方を変えることです。つらいことに対して、大変だと思えば大変になってしまうし、それを修業だと言い換えた瞬間に、つかの間の辛抱だと思え、楽しみに変わることもあるのです。

 

私自身も、苦手な訪問営業に行かなければいけないと思っていましたが、考え方を変えて、お客さまの気持ちを突き詰めて考えることにした。それによって、効果的なチラシでの集客が可能になり、訪問営業をしなくても仕事を獲得できるようになった。発想を変えて、家をつくるだけでなく、お客さまの金利もセットで提案したら、トータルバリューが上がって依頼が増えたのです。

 

もう1つは、背伸びをして初めからカッコよくやろうと思わないこと。やる気を出すための動機は、彼女がほしいとか、旅行に行きたいとか、おいしいものを食べたいとか、俗っぽいことでいいんです。大切なのは、すべてをやる気に変えていくことです。些細なことから、徐々にレベルを上げていくことです。最初の“やる気”は軽くてもいい。それがいつかランクが上がって“熱意”になり、さらに高尚な“志”になっていくのだと思います。

 

宮沢さんHISTORY

1978年
修業先の工務店が倒産。作業中の仕事を引き継ぐ形で総合建設業、都興(みやこ)建設を創業。
1981年
住宅リフォーム会社、有限会社都営繕を設立。
1986年
注文住宅を建設する株式会社すまいの都を設立。
1989年
輸入住宅専門会社、株式会社ノースアメリカンホームズを設立。
1991年
株式会社すまいの都を、株式会社アキュラホームに社名変更。
1996年
株式会社アキュラホームが、有限会社都興営繕とノースアメリカンホームズを合併。
2010年
国土交通省が実施する平成22年度第1回「長期優良住宅先導事業」に認定。

 

愛読書は?

著者や書名は気にかけないので覚えていませんが、モノの見方や考え方が変わるような自己啓発本をよく読みます。ナポレオン・ヒルの『成功哲学』(きこ書房/税抜き1600円)には勇気づけられました。この著書の中に、能力×意欲(やる気)というような一節があって、自分の考え方と近かったからです。稲森和夫さんの本はひと通り読みましたし、今も盛和塾で学んでいます。ものごとを掘り下げて考えるために、新約聖書、旧約聖書、仏典も読みました。表面を記憶するのではなく、掘り下げて考えていくことでものの本質が見え、応用できるようになると思うからです。

宮沢さんの愛用品

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カンナを使って自作した、ヒノキの名刺入れを愛用しています。カンナを削って名刺を作るんですが、そのときに残ったヒノキ材で何か作ろうと思ったことがきっかけです。毎年20個ぐらい作り、社員に配っています。自分で作っては、一人でニコニコ。そして、渡した人に喜んでもらえる。これが匠の心ですね。初回作は7時間ぐらいかかりましたが、今は1時間程度で作れるようになりました。名刺入れの中には、シリアルナンバー入りのヒノキの名刺が入っています。

取材・文/笠井貞子 撮影/刑部友康

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