三菱電機株式会社 北尾 健司さん

[INTRODUCTION] この10年でGDPは約2倍。経済成長を続けるベトナムは、電力需給のアンバランスという問題を抱えていた。最大の商業都市、ホーチミンではなおさらだ。しかも、雨期には毎日のように落雷が起き、停電が常態化。この問題を解決するため、世界銀行の資金により最新技術を使ったベトナム初のGIS型変電所建設プロジェクトが走り出した。敷地はホーチミン市中心の統一会堂前。異質とのぶつかり合いの中、北尾が難プロジェクトを駆け抜ける。

船積みされる200トンの巨大な怪物たち。僕はその姿に祈る。「あの国でがんばれよ」と

入社して6年間。僕は兵庫県の赤穂工場で仕事をした。変圧器をつくる工場だった。その大きさは1つ200~300トン。怪物のような変圧器だった。そいつらは、組み上げられると港に着けられた巨大な船に積まれ、そして彼方の国々へと旅立ってゆく。アジアへ、北中南米へ、そして中東へ。僕は船積みされる怪物たちを見送りながら、いつも心でつぶやいた。「厳しい環境だろうが、無事に働きつづけろよ」と、まるでわが子を励ますように。何もないところから育てられてゆく怪物たちの姿を、すべて知っているからだ。汗水たらして育てあげた人たちの顔を知っているからだ。僕は今、そのすべてを背負って果ての国で、怪物を売っている。

“フルターンキー”それは魅力とリスク、諸刃の剣。行くか引くか。僕たちは10年先を見て決断した

2001年某日。僕はひとつの情報を耳にした。「ホーチミンの変電所、うちも入札に参加するらしいぞ」。中国やインドなどと同じく、すさまじい勢いで経済成長を続けるベトナム。必然的に電力需要は急増し、その結果、旧態依然のままの電力供給体制では需給バランスが崩れ、安定供給がままならない。はやい話、よく停電する。しかも、名物の突然の豪雨と落雷が、状況をさらに悪化させる。その現状を解決するために、政府いわく「一刻も早く、最新の変電設備を導入したいのだ」と。しかも、バイクとクルマの洪水にまみれたホーチミン市内だからこそ、「送電線は地中に埋め、コンパクトで美観にすぐれたものでありたい」と。そこで浮上してきたのが、《GIS》というガス封入式の落雷などへの復旧対応に優れた変電設備、つまりうちが得意とする設備だったのだ。

その発注形式は「フルターンキー」というすべてを築き上げる一括発注。更地に建設事務所を建て、作業員を雇うことから丸ごと責任を負う。仕事はデカいが、リスクはある。しかし、「10年後のベトナムを考えれば、リスクを取ってもやるべきだ」とチームは判断した。この長期ビジョンにもとづく意思決定こそが製造業の事務屋の仕事。メーカーはモノをつくるだけじゃない。自分たちの責任で、自分たちがデカい判断をする。重い。しかし、だからこそ僕は、この仕事がおもしろくてしかたがない。

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昼メシを合図に、200人の作業員が消えた!チームの想いを背負って、僕は親方とやりあった。

世界の名だたる競合を相手に、2002年、三菱電機は入札に勝った。価格や技術、あらゆる面を公正に評価された結果だった。正式調印に向けた厳しい交渉が開始された頃、僕はこのプロジェクトに参加した。まさに「本格的に現地に飛んで、動かすぜ」というタイミングだった。10月、僕は初のベトナムに降り立った。「こりゃ噂以上だな・・・」突然の停電で真っ暗闇のエレベータに閉じ込められて恐怖に駆られつつ、僕は自分たちの仕事の意味を知った。

直接の発注者はホーチミン市電力局、僕たちが建設工事を任すのも地元に根ざす建設業者。穏やかな国民性かと思いきや、猛烈にタフな人々だった。いかにホーチミンのことを考えた、いい提案をしてもまずは僕らの本心を疑う。「ダマされないぞ」とばかりに。遅々として進まない現地工事。雇用したベトナム人作業員たちもなかなか効率的に動いてくれない。

そんな建設現場を見事に監理していたのが、サイトマネージャーの板倉さんだった。長年にわたり、見知らぬ国に単身乗り込んでは、言葉もなかなか通じない相手とガンガンやり合う百戦錬磨の大先輩。こんな人がウチにはよくいる。

しかし、2004年春、板倉さんでもお手上げの事態が勃発した。「おい!作業員はどうした!」その日の朝、200人いたはずの作業員が昼にはゼロ。巨大な機器が日本、フィンランド、タイから続々と港へ着き、それらを納める建屋の建設を急がなければならないタイミングだった。「こんなスケジュールは聞いてない。もっと人が要るから予算をくれ」そんな抗議のストだった。工期は死守。絶体絶命。「権限が欲しい!」僕は東京(本社)に頼み、工事会社の親方と現地で渡りあった。夕方、熱く激しい交渉は合意を向かえた。ギリギリの場面で僕を支えたのは、ホーチミン市民への責任、そして日本の工場も含めたチームの人々への想いだったと思う。

大臣スピーチに胸張る誇りに満ちた顔。顔。ぶつかり合ってもひとつになれる。それが製造業だ。

2004年12月。僕たちは式典会場にいた。変電所完成。大臣がスピーチする会場で、タフな押し引きを繰り広げたメンバーたちが全員、誇らしげな顔をしていた。日本人、ベトナム人問わずだ。どれほどぶつかろうと目的はひとつ。いいモノをつくること。そしてそれは、こうして目に見える形で日々ゴールに近づき、そして残ってゆく。だからこそ製造業の現場は、言葉も文化も超えて必ず最後にひとつになれる。「つくる」という目的は、絶対に揺らぐことがないからだ。

僕は今、ベトナムを離れ、ロシアを相手にしている。ベトナムに劣らず、日本の常識など通じない国。また心が沸く。いい製品も僕らがいなきゃ、世界の役に立たないから。さて、そろそろホーチミンでわが子が働く姿でも眺めてくるか。

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