内定者インタビュー

Vol.174 PR会社内定 慶應義塾大学 高林諒一さん

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就活データ
志望業界
:特になし 説明会参加:15社 先輩訪問:1人(マーケティング) エントリーシート提出:25社 面接:15社 内定:1社 活動費用:約5万6000円(交通費3万円、外食費1万円、証明写真・書籍代1万円、クリーニング代3000円、封筒・郵送代など雑費3000円。スーツはリクルート用には購入せず、入学式で買ったものとプライベートで購入していたものを併用。交通費は定期内でまかなえる範囲をなるべく移動して節約)

就活をそっちのけで、クラブチームの手伝いに尽力…

僕の最初の就活は、3年の12月からただなんとなく始まりました。仕事にこだわりはなかったのですが、もともとIT関連やガジェット系のWebサービスが好きだったので、IT系のベンチャーを中心に選考を受験。ほかの企業に比べて選考のスタートが早いことから、今後始まる選考に向けての練習になれば…という思いもありました。しかし、とあるきっかけから、僕はどんどん就活から離れていくことになります。

 

発端は、その年の夏に、自分が所属していた地元のサッカークラブチームの廃部が突然発表されたことでした。僕は元チームメイトたちと相談して、なんとかして存続させようと署名活動を始めていたんです。その活動が、年末年始にピークを迎えていました。こういった活動に何の知識もなかったので、自分のつてでサッカー関係者の方々にお願いをして、クラブチームの在り方や存続に向けての方策などについて、いろいろと教えていただきました。Webツールなども利用して、最終的には1000人ほどの署名を集めたのですが、チームの廃部を止めることはできませんでした。

 

この署名活動中に、知り合いの方の紹介で、都内のとあるクラブチームの代表に出会いました。そのクラブは、幼稚園児から社会人までのチームを持っている大所帯。チームの現状や署名活動などのお話をしているうちに、代表さんは僕に興味を持ってくれたらしく、いろいろとアドバイスをいただいたあとで「よかったら、ウチの運営を手伝わないか」と僕にオファーしてきてくださって。いきなりのお話だったのでとても驚きましたし、署名活動の影響で疎かになっていた就活のことも頭によぎりましたが、代表の持っている「直接的な地域振興につながるような欧州型クラブ作り」に共感し、4年生の4月から運営スタッフとしてお手伝いさせていただくことになりました。

 

そこでの担当は、主にサッカースクールと小学生チームの運営庶務です。会費の管理、選手名簿の作成、自治体との助成金の交渉、地元のグラウンド使用交渉など、業務は多岐にわたりました。ときには、小学生チームのアシスタントコーチとして、現場に出て指導することもありましたが、基本的には裏方です。楽しい仕事ばかりではありませんでしたが、週5日はチームの練習に顔を出し、子どもたちの成長を間近で見ていると、「この子たちのためになっているならば…」と大きなやりがいを感じられました。それに加え、クラブにはもともとコーチ以外の専門スタッフがいなかったので、庶務を引き受けることでコーチたちにとても感謝されるんです。自分が必要とされている実感があり、充実していました。

 

そうしてクラブの手伝いにのめり込んでいくにつれて、思い通りにいかない就活からはどんどん遠ざかってしまって…。働くことへのモチベーションを失いかけたころに、クラブの代表から「このままうちで働かないか」と、さらにお誘いをもらったんです。最初はごく軽いノリでのお話だったんですが、クラブの業務にはやりがいを感じていたので、4年の7月ころに「いっそ、ここで働こう」と決心し、それまで惰性で続けていた就活をすべてやめてしまいました。

 

両親の助言に導かれ、2度目の就活を決意

半ば道を決めていた僕に大きな転機が訪れたのは、大学4年の1月です。突然、両親が静岡から上京してきて、僕の今後の進路について話を聞かせろと言ってきたんです。それまで、それとなく「今お世話になっているクラブチームにそのまま勤める」という話はしていたのですが、あらためてそのクラブチームの現状やこれからのキャリアプランについて問いただされ、ぼんやりとしか答えられない僕に父親は「社会をなめるなよ」と一喝。最終的に、「留年してでもちゃんと就職しろ」とアドバイスを残して、両親は田舎へ帰っていきました。

 

両親の説教を受けて反省した僕は、それまで深く考えることを避けていた、クラブの現状や今後について見直しました。確かに業務はやりがいがあるのですが、前任者のいない新しいポジションで、誰にも教わることができない環境というのは、最初の職務として不安に思いました。そこで、知り合いを頼りに外部のクラブ運営の関係者の方にアポイントメントを取って、業界での仕事の仕方やキャリアの積み上げ方について、いろいろとアドバイスをうかがいました。「せまい業界での仕事しか知らないと、ほかでつぶしがきかない」「下から叩き上げでいくよりも、得意分野を作ってから戻ってきた方が、自分の市場価値が高くなる」と現実的なお話をいただいて、再度熟考。その上、相談した友人には「結局、就活から逃げてたんじゃないの?」とも言われ…さまざまな葛藤の末、留年してもう一度就活することを決意したんです。大学4年、1月も終わりを迎える時節でした。

 

それからは、遅れを取り戻すべく、就活のために走り回る日々が始まりました。自分は何がしたいのか…そのときには、まだはっきりしていなかったので、とにかく少しでも気になった企業や名前の知っている企業の説明会に手当たり次第参加するように。会場ではほかの就活生たちの会話に入れず、自分の就活に対する知識不足を痛感。とにかく場数を踏んでこの空気に慣れようと、気持ちを強く持ちました。

 

いろいろな会社を回って話を聞いているうちに、自分は何らかの“プロフェッショナル”に憧れているんだと気づきました。総合職で各部署を転々とするよりも、専門的なスキルを持って自分の名前で仕事がしたいと、漠然とですが将来像が見えてきたんです。そこで興味を持ったのが、PR業界です。以前、大学の寄付講座でPR業界に関する講義を受けていたのですが、「PRという言葉が日本では正しく認知されていない。PRとは“ないものをよく見せる”のではなく、“周囲との関係性をよくする”のが本来の使命」というお話が印象的で。会社探しをする中でPR会社をいくつか見かけ、当時聞いた話を思い出し、説明会に足を運ぶ中で、少しずつ志望の業界として意識するようになりました。

 

エントリーシートの作成には、「evernote」というアプリを活用。会社ごとにエントリーシートの質問内容をevernote内にまとめておいて、出先での空き時間や移動時間中などに、ふと思いついたらいつでも書き込めるようにしておきました。「自分の強み・弱み」「大学時代取り組んだこと」「研究・専攻について」などの定番の質問については、じっくりと時間をかけて文章を推敲。中でも、志望動機を書くのには苦労しました。具体的にやりたいことが見いだせず、締め切りギリギリまで書き出せないこともしばしば。そんなときには、説明会でのメモやインターネットで収集した情報から、なにかしら興味を持てるポイントがないか徹底的に見直しました。

 

4月に入って面接が始まりましたが、最初のころはなかなか通らない日々が続きました。話そうと思って準備した素材はたくさんあるのに、それが相手からの質問にうまくつながらず…。「面接という場でどのように聞かれるか」というシミュレーションが足りていないことに気づいてからは、できる限り相手の質問を想定して答えを準備することで、徐々に落ち着いて面接担当者と話ができるように。感覚的にしゃべってしまうくせもあったので、順序立てて相手にわかりやすく伝えようと意識しました。

 

しかし、20社以上受けていた選考も思うように進まず、5月になった時点で残す所あと数社に。選考中の企業の対策もしながら、今後に向けてほかの企業へのエントリーも検討するべきか悩みましたが、「今受けているところに全力を注ぐ、ダメだったときのことはダメになってから考えよう」と気持ちを奮い立たせました。そうしてあきらめずに就活を続けた結果、6月初頭に「これに落ちたら夏に向けてゼロから再スタート」という最後の1社、志望度の高かったPR会社から内定をいただくことができたんです。

 

内定先は、体育会系の気質があまりなく、社員の方と話したときにも居心地の良さを感じていました。面接担当者からも「キミ、雰囲気がうちっぽいね」と言われていたんです。自分らしくいられそうな会社で働けることを、今からとても楽しみにしています。日本のPR業界の市場は世界に比べてまだまだ小さいですが、だからこそ、これからどんどん大きくなる可能性を秘めています。自分が業界を牽引していく気概を持って、PRの業務を極めていきたいと思います。

 

低学年のときに注力していたことは?

自分で言うのもなんですが、ダメな大学生でした。入学後は体育会のサッカー部に入って、将来的にプロの道も見すえながらプレーができれば…なんて考えていたのですが、体育会のノリがどうしても肌に合わずに入部を断念。それからは授業もちゃんと出て、バンドサークルで楽器をやったり、友人と草サッカーをやったりしてたんですが、どこか漫然と日々を過ごしていた気がします。

 

「このままでは自分がダメになってしまう」という危機感から、1年の終わりの春休みに初めての海外へ。ツアーで行ってもつまらないだろうと思い、リュックサックひとつでドイツを歩き回りました。2年生のときには、「グローバルチャレンジプログラム」という海外短期インターンシップに参加。シンガポールに行って現地の社会人と交流したり、日系企業の見学をしたりしました。「この経験が今の自分を支えている」なんて高尚なことを言えるほど、具体的に何かを学習したわけではありません。ただ、何もわからない環境に飛び込んでいったことで、それまでのグダグダとしていた自分と決別できたように思えています。

 

 

就活スケジュール

大学4年1月中旬
2度目の就活を決意
そのときかかわっていたサッカーのクラブチームにそのまま就職するつもりだったが、親の助言を受けて自分の進路を再検討。もう一度就活する決意を固め、急いで自主留年の手続きをした(手続きをしないと、単位満了で卒業になってしまうため)。
大学4年2月
説明会に手当たり次第参加
説明会の会場でほかの就活生同士の会話を聞いて、自分の就活についての知識のなさを痛感。とにかく場数を踏んで雰囲気に慣れようと、できるだけ多くの説明会に参加するように。就活のスタートが遅かったため、外資系の企業のエントリーが間に合わなかったのが心残り。
大学4年3月
エントリーシート提出ラッシュ
説明会には引き続き参加しつつ、テストセンター受験やエントリーシートの提出に追われる日々。「自分の強み・弱み」「大学時代取り組んだこと」「研究・専攻について」など定番の質問については、空き時間を見つけては何度も推敲を重ねた。この時期より前に、先輩訪問を積極的にしておくべきだったと反省。
大学5年4月
面接スタート
あがり性のため、本当に苦労した。面接の前に、自分が話す内容を整理できるようになってからは、比較的落ち着いて臨めるようになった。後半、なかなか選考がうまく進まないのに、あまり焦っていない自分に危機感を感じて、「夏期採用のことは考えずに、今受けている企業に全力を尽くそう」と気合を入れる。
大学5年6月
我慢の末の内々定獲得
力を尽くしても通らない面接が続いたが、「選考は進めば進むほど、能力ではなく相性で判断されるもの」と言い聞かせ、前向きに受け続けた。その結果、最終的には志望度の高い企業から内々定をいただく。

就活ファッション

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メインで着ていたのは、クラブチームでの業務用にイージーオーダーで仕立ててもらったもの。面接日が続くときは、大学の入学式用に買ったスーツも併用。靴やカバンは目立ち過ぎないものを選んだ。特に気を使ったのは髪形。クセが強く収まりが悪いので、就活中は頻繁にカットに行って長くならないよう気をつけた。

取材・文/西山武志 撮影/鈴木慶子

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