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Vol.350 一般財団法人休暇村協会

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わたなべ・やすひろ●休暇村 館山 副支配人。東海大学海洋学部海洋工学科卒業。2000年4月入社。就職活動に早く慣れようと、大学3年春に活動を開始。本命は「自然環境の大切さを人に伝えていく仕事」だったが、面接の雰囲気を知るため、業種にこだわらず金融や教育関連、サービス業など約50社の説明会に参加。6社から内定を受けたが、自然の大切さを教える体験プログラムがあること、全国に転勤できることが決め手となり、休暇村への入社を決意。

障壁を乗り越え、新企画「JRで行く休暇村」を実現。周囲と共鳴する大切さを体得

休暇村は、全国37カ所の国立公園や国定公園などの豊かな自然環境の中に設置されたリゾートホテル。低廉な宿泊料金で誰もが滞在でき、キャンプやスキー、ウオーキングなど、自然と触れ合うプログラムを体験できるのが特徴だ。

 

2000年に入社した渡邊さんが最初に配属となったのは、福岡県にある休暇村 志賀島(しかのしま)。そこで、レストラン、客室、フロント、ビーチ売店などで働き、ホテル業に欠かせない裏方仕事をすべて経験した。

「あっという間の2年間でしたが、単に体で仕事を覚えるだけでなく、『この人数の宿泊客なら何人態勢が適切なのか。その経費はいくらぐらいなのか』など、ホテル経営の視点で仕事を考えることも教わりました」

 

3年目、香川県の休暇村 讃岐五色台に異動した渡邊さんは、休暇村初の女性支配人の下で徹底した“プロ意識”を学んだ。

「厳しいと評判の人でしたが、一緒に働いてみると、その厳しさはプロの証しなのだと納得しました。『休暇村は高級ホテルのような高額料金ではないのだから、多少サービスが行き届かなくても…』という甘えを許さず、お金を頂いている一期一会のお客さまの満足が第一という姿勢を貫いていました。お客様満足があり、従業員満足があり、会社の利益という順番。“接客サービスのあるべき姿”を、この支配人から学びました」

 

讃岐五色台では、営業主任として企画立案や販売セールスも担当。5年目には自ら提案した「土・日限定の地元スイーツ食べ放題」企画が大ヒット。予約が取れないほどの盛況を見せた。

「山奥にあって地元の人たちにもあまり知られていないホテルでしたが、地元テレビ局の取材が入るなどして、一気に知名度が上がりました。ほとんど利益が出ない企画だったので経理は渋い顔でしたが、営業や地元の人たちの評判は上々でした」

 

ほかにも複数の企画をヒットさせた渡邊さんは、05年、東京センターに異動。営業係長として、セールスを行うことになった。ミッションは、旅行会社やマスコミ、団体客となる可能性がある企業や学校などに、全国の休暇村を売り込むこと。休暇村の中枢で働けることに心躍ったが、いざ活動を始めてみると、セールスの厳しさに直面。あいさつに行ってもまともに話を聞いてもらえず、決裁権を持つ上司にたどり着くことができない。

「それにも増してもどかしかったのは、休暇村の魅力を明確に伝えられない自分自身でした。そこで、休暇村のことをあらためて学び、営業先に粘り強く通いました」

 

通い続けて約1年、ようやくJR東日本との新規企画「JRで行く休暇村」が実を結んだ。会員をさらに増やしたいJRと知名度を上げたい休暇村にとって、双方にメリットのある画期的な企画である。ところが上層部の中には、過去に前例がなく、会員顧客情報の流出につながるのではと難色を示す人もいて、社内での承認がスムーズに下りなかったのだ。

「何事にも慎重な企業体質は理解していたつもりですが、予想外の反応に驚きました。『新しいことをやるには、これまでの常識を覆す必要があるのに…』と理不尽さすら覚えました」

 

そこで、渡邊さんはまず所長を説得。所長が上層部に根回ししてくれたことで、約3カ月後に無事企画が実現した。

「正論を振りかざすだけでは周囲は動かない。そして、周囲の協力なしでは何事も実現できないことを実感しました。実現できたのは、所長だけでなく、部長や、現地スタッフの応援があったから。この一件で、周囲と共鳴する大切さを学びました」

 

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フロントで宿泊台帳をチェック。常連客の滞在状況や、体の不自由な宿泊客の部屋やテーブルの位置などを確認し、スタッフと共有する。

 

休暇村初の海外駐在事務所をソウルに設立。3年目に年間1万人送客の目標を達成

08年、渡邊さんは休暇村初の海外駐在員に抜てきされた。当時のインバウンド(訪日外国人)第1位だった韓国人旅行客を休暇村に送客することが目的だ。一人ソウルに赴いた渡邊さんは、約半年でソウル駐在事務所を設立。休暇村の紹介や旅行客の誘致活動に奔走した。

 

「とにかく苦労したのが言葉でした。韓国語をほとんど話せなかったので、日本語と韓国語でつづった単語帳を手作りし、それを片手に旅行会社などを訪問しては、日本語を話せるスタッフとつないでもらうようお願いして回りました」

 

事務所が開所するころになると、ようやく日本語を話せる人とのパイプができてきた渡邊さん。そんな時、ある旅行会社の社長に出会った。

「その方が、日本語を話せる同業他社の人をたくさん紹介してくれ、仕事が回り始めました。たまたま出会った“人の優しさ”が心に染みましたね。その方とは、今も家族ぐるみのお付き合いをしています」

 

低廉な料金がウリの休暇村だったが、海外では日本の一流ホテルが格安の団体料金を設定している現実を知り、値下げを余儀なくされたり、ようやく予約が取れて日本に送客しようとしたところ、休暇村側から「外国人の受け入れに自信がない」と難色を示されたりと、予想外の問題にもぶつかった。

 

「料金は各休暇村と交渉して解決しました。また、最初のうちは、日本語のできる添乗員が同行する団体旅行の送客から始めることで、外国人受け入れに対する不安の払しょくに努めました。その上で、日韓の対訳を付けた館内案内書を作成して休暇村に送るなどして、受け入れ側の不安を解消しました」

 

こうしてさまざまな障壁を乗り越えながら、渡邊さんは、赴任当初に掲げた「3年後に年間1万人を送客する」という目標を3年目に見事達成した。

「大変だと思う人もいるでしょうが、私はむしろ、パイオニアとして海外に出て何でもやらせてもらえることはラッキーだと思いました。韓国では常に『どの人と話せば、この会社は動くのか』を観察していたので、人間洞察力がかなり磨かれました。おかげで、休暇村のフロントでチェックインするご夫婦を見れば、どちらのお客様が決定権を持っているかを見極められるようになりました(笑)」

 

4年3カ月間のソウル駐在を終え、12年10月、休暇村 館山に配属となった渡邊さん。14年7月からは、副支配人としてホテル経営全般に携わりながら、人材教育にも力を注いでいる。

「心がけているのは、教育というより“共育”。スタッフには自発的に行動してほしいので、気づいたことは言葉にしますが、『こうしなさい』と教えることはしません。私は何年かすれば異動してしまいます。私に言われてやるのでは、先生が怖いから従う生徒と同じ。大切なのは、スタッフが自ら考え、変わること。働く人の意識が変わってこそ、ホテルがレベルアップするのです」

 

渡邊さんの夢は、地方発の一流サービススタッフを育てること。地方で働いていても、東京の高級ホテルで通用する一流のサービスを身につけられるようにしたいと考えている。一番大切なことは「マインド(おもてなしの心)やモチベーション(やる気)そして、自分の力を信じること」。

「そして、スタッフにはハッピーに仕事をしてほしいと思いますし、出会った人にも自分のハッピーを波及させていってほしい。一期一会のお客さまにご満足いただき、従業員もその満足に共鳴して、お互いが笑顔になれたら素晴らしいですよね。休暇村を通して、お客さまと従業員の人生が豊かになっていく――これが私が思い描いている“共育”であり、理想です」

 

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清掃が終わる14時ごろから客室の見回りを行う。全室を回り、調度類や備品がきれいに配置されているか、備品が壊れていないかなどを確認する。

 

渡邊さんのキャリアステップ

STEP1 2000年 休暇村 志賀島で裏方仕事全般を、休暇村 讃岐五色台で接客術を習得(入社1年目)

2泊3日の新入社員研修に参加。本社(東京)で、休暇村の概念や成り立ち、主要な接客用語や所作などを学ぶ。研修後、福岡県の休暇村 志賀島に配属。営業課長から「3年間は文句を言わず、人の3倍のスピードで3倍量の仕事を、誰よりも清潔・丁寧に処理するように」と言われ、衝撃を受ける。レストランの準備と片づけ、客室清掃、フロント業務、経理伝票の整理、喫茶店対応、夏季の浜売店の準備、自販機の補充など、ホテル業務の裏方仕事全般を経験。02年4月、香川県の休暇村 讃岐五色台に異動し、営業主任に昇進。自分が提案した企画が次々ヒットし、何でもできると勘違いしていた時期。

STEP2 2005年 東京センター(本社)にて営業を経験(入社6年目)

休暇村の魅力を広く知ってもらい、全国の休暇村に送客することをミッションに、旅行会社、マスコミ、企業や学校などに営業。マスコミに向けた販促活動は休暇村勤務時代にも経験はあったが、初めての本格的な営業活動でセールスの基本を習得した。営業に際して、休暇村の魅力や存在意義などをあらためて勉強し、理解した。飛び込みも含めて1日約10件など、誰よりも多くの営業先を訪問。営業活動を通して、相手の考え方を理解する大切さを学んだ。

STEP3 2008年 韓国に転勤。ソウル駐在事務所を開設し、韓国人誘致に尽力(入社9年目)

4月、韓国ソウルに異動。渡航前の2カ月間、韓国語のレッスンを受けたが、英語も韓国語もほとんどできないまま単身ソウルへ。JETRO(日本貿易振興機構)やJNTO(日本政府観光局)などに協力を仰ぎながら、韓国語で必要書類を作成し、赴任半年でソウル駐在事務所を設立。韓国人に休暇村を知ってもらい、「3年後には韓国人旅行客を年間1万人送客する」ことを目標に、現地の旅行会社やマスコミなどを訪問してPR活動を行った。韓国人のビジネスに対するシビアな考え方に鍛えられながらも、今でも交流を続けている旅行会社社長との出会いなど、貴重な財産を得られた4年3カ月。

STEP4 2012年 帰国し、休暇村 館山の経営業務に携わる(入社13年目)

東日本大震災の影響で、休暇村への旅行キャンセルが相次いだこと、被災した休暇村の対応を優先させるという判断からソウル駐在事務所が一時撤退を余儀なくされ、7月に帰国。海外誘致事業の継続の必要性から、営業本部販売促進部(旧東京センター)にて、3カ月間ソウル駐在事務所の引き継ぎ業務などを行い、10月、休暇村 館山に着任。課長として総務・経理・管理・営業・企画などホテル経営全般に携わる。14年7月、副支配人に昇進。営業利益の確保や営業計画の達成はもちろん、人材教育や地域貢献などに注力。お客さまと従業員が気持ち良く過ごせるようなマネジメントを心がけている。

ある日のスケジュール

8:30 出社。本日の宿泊客、チェックアウト状況、本日業務を確認。レストランなどの見回り。
10:15 朝礼を行い、「笑顔・あいさつ・身だしなみ」とスタッフの雰囲気をチェック。朝礼後、経理処理、給与計算、企画立案、アンケートチェックなどのデスクワーク。
14:00 従業員食堂でランチを済ませ、1時間ほどリフレッシュ。
16:00 レストランなどの営業準備状況をチェックする。
18:00 繁忙状況によって、レストランの応援に回る。
19:15 デスクワーク。サービス改善、予約状況確認、販売企画の選定などを行う。
20:30 営業スタッフと来年の企画打ち合わせ。悩みなどの相談にのることも。翌日の宿泊客とスケジュールを確認して、帰宅。

プライベート

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大学時代は野球部。韓国駐在員時代は、ソウル日本人会のソフトボールチームに所属し、4連覇した。12年9月の優勝祝勝会(前列左が渡邊さん)。「ちなみに4大会目は帰国後だったため、助っ人外国人として参加しました」。

 

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社会人2年目から始めたゴルフは、ベストスコア82。最近は息子と練習場に行くことも。写真は14年7月。「未来のプロゴルファーを育成中! いつか一緒にラウンドするのが夢です」。

 

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夫婦の趣味は海外旅行で、毎年1回は楽しんでいる。写真は15年12月に3泊4日で行ったサイパン・マニャガハ島。「次男が生後8カ月なので、今年は海外は控えて沖縄に行く予定です」。

 

取材・文/笠井貞子 撮影/刑部友康

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