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Vol.365 株式会社アサツー ディ・ケイ

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とがわ・なおひろ●コミュニケーション・アーキテクト本部 クリエイティブ・ディレクター/CMプランナー。筑波大学第三学群国際総合学類卒業。2003年4月入社。大学時代に調理師免許を取得するほどの料理好き。自分が好きなことをして、相手が喜んでくれる。その両立性を仕事でも追求したいと、広告業界を志望し、現社に入社。

「自分は厨房(ちゅうぼう)で料理を作りたい」。営業からクリエイティブへチャレンジしようと決めた

テレビCMを中心とした従来の広告手法にとらわれないアイデアで、クライアントのコミュニケーション設計を手がける砥川直大さん。2016年3月から携わったJR九州のプロモーションでは、インスタグラムで360万人のフォロワーを持つローラさんを、公式フォトグラファーに任命。鹿児島の情報をインスタグラムでリアルタイムに発信し、CMがオンエアされる前から大きな話題をさらった。

 

学生時代から、友人へのサプライズパーティーを企画したり、料理を振る舞ったりと、人を喜ばせることが好きだったという砥川さん。ものづくりが好きで、クリエイティブへの憧れはあったが、「美大を出ていない自分には務まらないだろう」と、入社時点では営業への配属を希望。広告の仕事の全体像がつかめる場所でまず実績を積もうと考えた。
「入社後は、10日ほどの研修を経て、すぐに現場へ。外資系製薬メーカーや消費財メーカーなど、さまざまな業界を担当し、3年目には大手飲料メーカーが当社で初めてテレビCMを打つというタイミングで営業担当になりました。全体をディレクションする先輩をサポートする傍ら、CMキャラクターを使ったノベルティグッズのアイデアが実際に採用されたこともあり、ものづくりの面白さを実感しました」

 

クリエイティブ局に異動したのは、3年目の11月。社内の転局試験に合格し、CMプランナーとしてのキャリアがスタートする。挑戦したいという自身の熱意に加えて、周りに背中を押されたことも大きかった。
「営業時代は、社員旅行の“旅のしおり”を本格的にデザインして冊子を作ったり、同僚の結婚式の企画作りに熱中したり…。たまたま冊子を見たクリエイティブ・ディレクターが『これ作ったのは君? クリエイティブに来たらいいのに』と言ってくれたこともありました」

 

もう一つ、きっかけになったのは学生からのOB・OG訪問だった。「広告会社の営業って、どんな仕事ですか?」と質問され、答えているうちに、自分がやりたいのはクリエイティブだと明確に思うようになったという。
「僕は、広告会社をレストランに例えて学生たちに説明していました。お客さまに接するウェイター(営業)が、お客さまが何を求めているかを聞き取り、厨房にいるシェフ(クリエーター)にオーダー(制作物の依頼)を入れます。その時、旬のものは何か、お客さまの嗜好は何かを考える栄養士(マーケティング)や、料理をどのような空間で提供するのかを考えるコーディネーター(プロモーション)と協業しながら、料理を作り提供します。われながら、なかなかわかりやすい説明で、学生の皆さんはよくわかったと喜んで帰っていきます。でも、ある時ふと、レストランの最大の売りは料理なのだから、自分は料理を作る側でありたいと思ったんです。営業の仕事を、すべてを仕切るオーケストラの指揮者に例えることだってできるのに、そうしなかった。広告会社の肝はクリエイティブにあると思っている自分に気づき、その道にチャレンジしようと心に決めました」

 

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社内のオープンスペースを利用して、企画のアイデアを練る。

 

クリエイティブの力で社会をどう変えていくか。新しい挑戦が始まった

クリエイティブ局に異動したものの、最初の2年間は、企画を出しても社内でボツとなり、通ったとしてもクライアントには採用されない苦しい日々が続いた。ターニングポイントは、入社5年目の関西支社への異動だった。
「担当となったのは、大手ゲームメーカーでした。ゲームソフトが次々と発売されるため、コンペ(※1)は年間10数本。都度、クライアントから商品のオリエンテーションを受けるのですが、実際にプレーしないことにはゲームの魅力はわからず、コンペで使うゲーム画像も得られません。業務時間の多くをゲームに費やし、収録された内容を絵コンテに書き出す地道な作業を進めていきました。作り手であるクライアントは、相手が実際にプレーをしているのか、内容をしっかり理解しているのかをすぐに見抜きます。『自分たちのゲームをきちんと理解してくれている』とクライアントが信頼してくれるようになり、コンペの勝率も高くなりました」

(※1)コンペティションの略。複数の広告会社によって行われる競合プレゼンテーションのこと。

 

担当3年目には、クライアントから「砥川さんにリーダーとして担当してほしい」と1カ月半で4本のCM制作を任され、CM自体の評価はもちろん、売り上げに貢献する仕事を成し遂げた。
「面白いものを作ってやろうとか、自分のクリエイティブを発揮しようということではなく、やるべきことに集中し、真面目にやっていれば、見てくれる人は必ずいる。そして、きちんと評価してくれるんだと実感した、得難い経験でした」

 

その後、東京本社のクリエイティブ局に戻り、10年目からは現在のコミュニケーション・アーキテクト本部で、外資系クライアント業務を多く担当。テレビCMを主軸とする広告戦略では、多様化する時代のニーズをとらえられないと、デジタルやリアルの場を使ったコミュニケーション設計を幅広く手がけている。
「従来はテレビCMありきで案件が動いていましたが、今はCMを打つことが正解とは言えないこともあります。戦略次第では、安価に作れるWeb動画でも十分な認知が得られますし、SNSも力を持っています。『こんなお題をどう料理しよう』とクリエイティブ、マーケティング、プロモーション、デジタルの担当が集まってアイデアを出し合い展開していくのが、今の仕事の進め方。考えるプロセスが変わりました」

 

2013年にはドミノ・ピザを担当し、「♪ドミノ・ピザ」と歌うサウンドロゴを「♪どこのピザ!?」と言い換えるコアアイデアを発案。ピザを注文する際、消費者の多くは自分の生活圏内にあるピザ店を利用するというマーケティングデータに基づき、「どこのピザにする?」という日常のフレーズそのものを、商品名に差し替える戦略を展開した。
「プロモーションは、まず外国人社長が1日1個ダジャレを発信する『DAJARE-A-DAY ダジャレやで~』というサイトをオープンし、1カ月間発信するところから始まりました。さらに『ダジャレが好きすぎて、ダジャレを社内公用語にする』とプレスリリースを出して話題づくりをし、最終的に『ダジャレでテレビCMを作りました』と展開。ネットからテレビへとキャンペーンのフィールドを移行させていく、新しい手法に挑戦できました」

 

時代のニーズを的確にとらえたクリエイティブを追求しつづける砥川さん。仕事に没頭した20代を経て、今は子育てとの両立をどう図るか働き方変革に挑戦中。毎日4時に起きて仕事をし、週の半分は保育園へ送り迎えに行くそうだ。

 

クリエーター歴12年の今、強く心ひかれているのは、「クリエイティブの力をどう社会に還元するか」というテーマだ。休日にNPO活動やプロボノ(※2)に参加するようになり、商品やサービスの魅力を“伝える”ために培ってきた職業上のスキルが、世の中にもっと役立てられると感じているという。 
「3.11(東日本大震災)や、娘の誕生をきっかけに、これから自分はどんな社会を残していけるだろうと考えるようになりました。クリエーターが持つスキルを、社会を改善する方向にもっと転用したいとの思いから、社員の知恵を無償で貸し出し社会課題の解決を図る『ブレーンタル』(ブレーン+レンタル)というプロジェクトを立ち上げました。16年8月から、ADK(アサツー ディ・ケイ)創業60周年を記念したCSR(企業の社会的責任)プロジェクトとしてサービスを開始しました。集まった応募の中から支援対象を決め、社内の有志と取り組むんですが、どんなものが生まれるのかまったく未知数です。とてもわくわくしています」

(※2)あらゆる分野の専門家が、仕事の中で身につけた知識や経験を生かして社会貢献するボランティア活動

 

「クリエイティブの力で、社会をポジティブに変えていきたい」と、仕事以外にも活動の幅を広げる砥川さん。
「海外では、社会課題をクリエイティブの力で解決する事例が多く、広告賞の対象にもよく選ばれます。日本ではまだまだハードルが多いのですが、まずは小さな活動でもいい。ADKの名刺をうまく使いながら、世の中をどうよくしていくか、挑戦し続けたいですね」

 

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新たなプロジェクトに向けて、クリエイティブ局のメンバーと企画内容をすり合わせする。

 

砥川さんのキャリアステップ

STEP1 2003年 国際営業に配属される(入社1年目)

40人の同期と、10日ほどの新入社員研修を経て、現場配属になる。「広告の仕事は、日常生活の小さな変化にもヒントを見いだせ、人生経験が丸ごと成果につながっていくもの。このころは、どんなことからでも気づきを得ようと必死でした。『このお店はどうして人気があるのだろう』『この人は、なんでこの商品を手に取ったのだろう』と。好きな人とのデートですら、マーケティング調査のように相手の動きを観察していましたね」。

STEP2 2005年 転局試験に合格し、クリエイティブ局に異動(入社3年目)

CMプランナーとしてクリエイティブを手がけるも、企画はほとんど通らず苦労する日々。「料理が好きだったら、食品メーカーの案件をやってみるか」と仕事を振ってくれる上司の下、少しずつ力をつけていった。07年には、27歳以下のクリエーターが2人1組で参加するヤングカンヌ・クリエイティブコンペで国内優勝。出されたお題に対し、どんな広告アイデアで挑むか、24時間以内に考えるというものだった。「(優勝によって)周りの評価が変わったり、仕事が増えるのかなと思いきや、大した変化はなく拍子抜けでした(笑)」。

STEP3 2008年 関西支社に異動(入社5年目)

東京に比べて少数精鋭の関西支社で、大手ゲームメーカーを担当したことがターニングポイントとなった。当初、2年間の配属予定だったが「あと1年担当させてほしい」と関西に残り、クライアントとの固い信頼関係を築いていった。「クライアントの商品、サービスを知るために愚直に努力する。その姿勢の大切さを学んだ3年間でした。クリエイティブ局は、あらゆる業界の案件を手がけるので、プロジェクトが動き始めた時は、いつも知らないことばかり。その業界や会社を理解し、クライアントと対等に話ができるまで、情報収集に力は抜きません」。

STEP4 2013年 コミュニケーション・アーキテクト本部に異動(入社10年目)

戦略を含めたコミュニケーション全般の設計から考える、コミュニケーション・アーキテクト本部に異動する。14年、タイの歯磨き粉のプロモーション施策でSPIKES ASIA Bronzeを受賞。口臭予防をうたった商品で、「恋するハミガキ」というコンセプトの下、1日限りのイベントを実施した。15年には、アメリカの人気スマホゲームを日本で展開するにあたり、俳優・伊勢谷友介さんを起用してCMを制作。WOW WAR TONIGHT(作詞作曲・小室哲哉)を歌いながら、男たちが荒野を勇ましく駆け抜ける映像は大きな話題となった。同年、それまで手がけた数々の広告を評価され、業界内で活躍した人に贈られるクリエーター・オブ・ザ・イヤー メダリストを受賞。「あのCM見たよ、と周りに言ってもらえるのはもちろんうれしいですし、『この作品に携われて幸せでした』と撮影クルーなどの制作スタッフに言われるのもすごくうれしい。やっぱり、周りを喜ばせることが好きなんだと思います」。

ある日のスケジュール

4:00 起床。自分だけの静かな時間帯に企画を練る。
7:00 掃除、洗濯、朝食の準備。娘の登園準備。
9:45 娘を保育園に送ってから出社。
10:00 競合コンペに向けたプレゼン資料を作成。打ち合わせ。
12:00 デスクで仕事をしながらランチ。
14:00 撮影したCM素材の編集作業。
17:15 退社し、娘を保育園に迎えに行く。
21:00 娘と一緒に就寝。

プライベート

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料理は、調理師免許を持つほどの腕前。「家でおいしいものを食べたい」という妻の要望に応え、おしゃれレシピを完コピ。

 

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ハロウィーンに飲料のCMでおなじみの衣装を着せて娘をぱちり。「親バカです」。

 

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週末はDIY。何もなかったスペースに寸法ぴったりの棚を作成。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/刑部友康

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