ビジネスパーソン研究FILE

Vol.372 国家公務員

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
さいとう・いくお●財務副大臣秘書官。東京大学法学部公法コース卒業。2003年4月財務省入省。仕事で政府関係者と接することの多かった父親から「若いうちから責任ある仕事を任される」と聞き、大学進学前から国家公務員になることを意識。就職活動では、金融や製造業など民間企業の説明会に参加したが選考には進まず、国家公務員Ⅰ種(現在の総合職)だけに絞った。官庁訪問では経済産業省、環境省など4省庁を回ったが、マクロな視点で日本に貢献する財務省の機能とそこで活躍する魅力的な職員に惹かれ、財務省へ。

採用活動、税務調査などの仕事を経てアメリカ留学。帰国後は税制改革に携わる

国家公務員の仕事は、府省庁によって担当分野が分かれ、国の財政運営、産業振興、外交、防衛、環境、医療、教育など、国民の生活全般に関わっている。2003年に齊藤郁夫さんが入省した財務省は、予算・税制といった財政政策や国際的な経済協力など、国の経済・財政運営において重要な機能を果たしている。

 

入省して2年間、大臣官房秘書課で採用活動に携わったのち、3年目には仙台国税局調査査察部で税務調査および査察を行った。東北6県の大手企業を担当し、税務調査のイロハを学ぶとともに、東北の経済や産業に精通するようになり、貴重な現場経験となった。
「税務調査の目的は、税務処理の不備を指摘して適正な納税を確保すること。秋田県のある企業で行った調査では、不適切な処理を見つけ、先方の経理担当者と議論を重ねて修正してもらいました。自分の調査によって相当な追加納税額を確保できたので、税収に貢献できたという達成感がありましたね」

 

仙台への異動前からアメリカ留学が決まっていた齊藤さんは、日中は調査査察部の仕事、夜は修士課程の出願に必要な論文執筆などの留学準備を進めた。そして06年から2年間、スタンフォード大学とシラキュース大学で経済学を中心に学び、それぞれで修士号を取得して帰国。
「政府内の留学制度を利用しましたが、留学先は自分で選定し、受験を進めていきます。財務省で仕事をしていくには、大学で学んだ法律の知識に加えて、経済の専門知識が不可欠と考えて留学先を選びました。留学中は勉強量が多くて大変でしたが、さまざまなバックグラウンドの人たちと知り合うことができ、大いに視野が広がりました。また、留学を機に海外でも働いてみたいという思いが強くなりました」

 

08年に帰国した齊藤さんは、主税局調査課に配属。この部署のミッションは、税制関連のリサーチと、それを踏まえて中長期を見据えた税制の企画・立案を行うこと。齊藤さんは係長に昇進し、現在も進行中の税制の抜本改革のひな形となった「2009年度税制改正法附則104条」の取りまとめに携わった。
「104条は、高齢化といった日本経済・社会の変化に対応し、消費税率の引き上げや法人税制の改革を含む税制抜本改革の下地となったもの。07年の税制調査会で大きな方向性が示されていたため、それをどのように制度化するかが当時の課題でした。08年は9月にリーマン・ショックが起こり、中長期の課題への対応は後回しになってもおかしくありませんでしたが、税制の抜本改革の必要性を粘り強く説得。所得税・法人税・消費税を含む8項目について何とか法制化することができました。法律に書き込んだことで、09年に政権交代があっても税制抜本改革の推進力を維持することができた。大変でしたが、とても手応えのある仕事でした」

 

ph_business_vol372_03
IMF在籍時の1コマ。イタリア、ベルギー、インド、韓国、オランダ、アゼルバイジャンとさまざまな国籍の同僚と共に仕事をする貴重な機会だった。担当国の直面する課題やその処方箋について、時に議論は熱を帯びる。左列1番手前が齊藤さん。

 

国際局でIMFを担当後、ワシントンDCのIMFに勤務。国際的な業務を経験

8年目、齊藤さんは国際局国際機構課の課長補佐のポストに異動し、IMF(国際通貨基金)を担当することに。IMFは、約190カ国が加盟している国際金融協力のための中心機関。各国の経済・金融や政策の状況をモニターし、加盟国に対して経済政策に関する助言や必要な場合には融資などを行っている。
「IMFには24人の理事がいて、日本からも1人理事を出しています。例えば、財政危機に陥ったギリシャにどのように対応すべきかといった世界経済にとって重要な事項が理事会で決定されるので、そこで日本がどう対応すべきかを考えるのが私の役割でした」

 

10年7月の着任早々、齊藤さんは、リーマン・ショック後に危機国向けの貸し出しが急増していたIMFの資金力を増強するためにどのような形で増資を実行すべきかという政策課題に直面した。IMFの理事会は1人1票ではなく、その国のIMFに対する出資額によって票の重さが異なる。当時7%弱を出資していた日本は、アメリカに次ぐ2位だったが、中国からの出資が大幅に増えれば、その順位が入れ替わる可能性があった。
「日本は長い間資金面・政策面で国際社会に貢献してきていますから、2位がふさわしいという判断でした。他方、経済規模ではすでに中国が上回っていましたので交渉は簡単ではありませんでしたが、日本は2位を維持し、中国が6位から3位に上昇するという形で、10月に決着しました。異動直後からタフな4カ月間でしたが、それだけにやり遂げたという満足感も大きかったですね。IMFの資金力増強は国際経済・金融の安定に結びつくものですし、2位を維持できたことは国際社会における日本の役割の大きさを保ったということですから、達成感もひとしおでした。その後すぐさま出資のための法律改正を担当したので、ほとんど息をつく間もありませんでした」

 

入省10年目には、「国際機関の職員として働きたい」という希望が叶い、ワシントンDCのIMF本部に勤務することに。アジア太平洋局のエコノミストとして、日本、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、フィジーの経済・財政、政策状況を調査・分析し、政策提言を含む年次報告書やワーキング・ペーパー(研究調査報告書)を作成する仕事に就いた。

 

赴任後、まず苦労したのは英語の文章力。留学で身につけた英語では通用しないことを痛感した。
「公式文書の作成には、ネイティブ並みの文章力が求められるので、かなりの努力が必要でした。もう1つ痛感したのが、経済学の博士号を持っている同僚との専門知識面の差。対等に議論・貢献するために、経済学や計量分析の能力を高めるべく必死で取り組みました」

 

こうした努力が実り、IMF勤務4年目には初めて一人でワーキング・ペーパーを執筆。IMFから日本への政策提言を理論面からサポートするもので、16年9月にIMFのサイトに公表されると、雑誌『東洋経済』にも取り上げられた。齊藤さんはこれまで計4本のワーキング・ペーパーを公表しており、職務外の時間を利用して現在5本目を執筆中だという。
「初めて一人で書き上げたワーキング・ペーパーがIMFに貢献するとともにメディアにも注目され、うれしかったですね。経済・財政の専門知識や語学力は、諸外国のカウンターパート(同僚)と議論・交渉するために必須の共通言語です。4年間のIMF勤務を経て、そのスキルが身につきました。また、IMF勤務時に築いた人的ネットワークも、今後の財産になると思っています」

 

16年8月からは、木原 稔財務副大臣の秘書官に着任。副大臣の公務をあらゆる側面から支援するのが秘書官の役割だ。主税局、関税局、国際局の政策決定を中心にサポートするほか、国会答弁の原稿を事前にチェックするなど、財務副大臣が国会で果たす役割をサポートしたりしている。
「緊張感の高い仕事ですが、これまでの仕事にはなかった新しい世界を見ることができ、とても勉強になります。政治との接点も財務省の業務にとって重要なので、将来的にも役立つと期待しています」

 

国家公務員の総合職は、数年ごとに仕事が変わることが珍しくないが、齊藤さんはそこも魅力の一つだと言う。
「われわれの職種は、いろいろな仕事を通してゼネラリストになることが求められているのだと思います。現在の秘書官は、まさにゼネラリストであることが求められる業務です。ただし、単なるゼネラリストではなく、それぞれの分野を深く理解していなければ、政策に責任を持つことはできません。異動したら1週間でその分野のエキスパートになるつもりで新しい仕事に取り組むことで、自分を高めながら公に貢献することができるのです。財務省に限らずどの省庁でも、このような自己研さんや同僚との切磋琢磨(せっさたくま)の機会に恵まれていると思いますが、政策を磨き上げていく専門性とゼネラリストとしての視野の広さを身につけることができるのは財務省ならではだと思います」

 

齊藤さんの究極の目標は、日本が今の豊かさを維持すること。そのためには、マクロの経済・財政運営が適切に行われるよう、理論的に何が正しいかを常に考えながら政策を立案していくことが重要だと考えている。
「個人的には、上質なゼネラリストとして、また、専門知識を有する職員として貢献することが目標です。海外経験も生かして、国際的にも力を発揮していきたいですね」

 

ph_business_vol372_02
登庁した木原財務副大臣と副大臣室で当日のスケジュールや会議内容を確認。16年10月にはペルーで開催されたAPEC財務大臣会合にも同行した。

 

齊藤さんのキャリアステップ

STEP1 2003年 合同新人研修を経て、大臣官房秘書課で採用に携わる(入省1年目)

4月に入省し、大臣官房秘書課に配属。全省庁の総合職約500名を対象とした、5週間の合同新人研修に参加。地方自治体や介護施設で1週間ずつ現場研修も行われ、同期3人で兵庫県の温泉町(現・新温泉町)という自治体へ。研修を通してできた他省庁の同期との横のつながりは、公私にわたり貴重な財産となっている。大臣官房秘書課では、職員の採用に従事。説明会シーズンの9月からは、一人で地方の大学に出張し、省を代表して説明会を行うことも。モノクロだった採用パンフレットをカラーに一新したり、理系向けや女性向けに特化した説明会を企画したりするなど、さまざまな改革を提案・実行した。

STEP2 2005年 仙台国税局で税務調査を経験したのち、アメリカに留学(入省3年目)

7月、仙台国税局調査査察部に異動し、東北6県の大企業を担当。赴任前に取得した簿記2級の知識を土台に、先輩からノウハウを学び、半年後には1人で調査を行うまでに成長。映画に出てくるような、ガサ入れ(査察)も経験した。1年間の勤務だったが、複数のスタッフで1週間出張して税務申告の実地調査を行うことも多かったので、同僚との親交が深まり、仙台が第二の故郷に。今も当時の同僚とは交流が続いている。06年7月、語学と専門知識の修得のために2年間アメリカに留学し、経済学を中心に学び、二つの修士号を取得。

STEP3 2008年 主税局調査課で中長期を見据えた税制の企画・立案に携わる(入省6年目)

帰国した7月、主税局調査課に配属。「中期プログラム」(※)および「2009年度税制改正法附則104条」の取りまとめに携わる。係長に昇進したことで、サブスタンス(政策の立案にかかわる仕事)とロジスティクス(他部署との調整業務)の両方を任され、最初の1年は仕事量の多さに苦戦した。翌年には課長補佐に昇進し、新政府税制調査会の立ち上げ・運営や議員説明などの仕事も行うようになった。海外の税制関連調査もサポートし、調査報告のため、イギリス、オランダ、ドイツに出張。
(※)2008年12月に麻生内閣が閣議決定した、税制の中期的な改革方針を含む文書。

STEP4 2010年 日本とアメリカでIMF(国際通貨基金)の業務に携わる(入省8年目)

7月、国際局国際機構課に異動し、国際交渉、IMF関連政策の企画・立案などに携わり、IMFの機能強化やIMFにおける日本の発言力の確保・向上に尽力。12年からは4年間、ワシントンDCのIMFに出向。各担当国に年に1回ずつ出張し、政府や中央銀行の幹部職員、民間のエコノミスト、大手企業経営者などから聞き取りを行った。さまざまな角度から担当国の経済を分析して金融や財政に関する政策提言を行うなど、エコノミストとして担当国の経済成長、政策改善に寄与。帰国後、16年8月より木原 稔財務副大臣の秘書官となる。

ある日のスケジュール

8:15 出勤して準備を整え、議員宿舎で副大臣をピック・アップして自民党本部へ。
9:00 自民党税制調査会に陪席(ばいせき)。
11:00 副大臣事務所と今後の予定について打ち合わせ。
11:30 副大臣主催勉強会で税制についてプレゼン。終了後、買ってきたランチをデスクで済ませる。
13:00 午後の国会に備え、副大臣に説明。13時30分から国会での議論に陪席し、適宜メモを入れる。
16:15 ある地方自治体からの予算・税制関連の要望について副大臣に説明したのち、要望のヒアリングに陪席。
17:00 主計局、主税局から副大臣への案件説明に陪席。
18:00 副大臣を見送り、翌日の国会や案件説明の準備を整えて、19時ごろ退庁。

プライベート

ph_business_vol372_03

旅行が好きで、日本に勤務している時もタンザニアやニュージーランドなどに遠征。写真はIMFに勤務していた14年の夏休みにガラパゴスに行った時のもの。海亀やペンギン、アシカと泳いだのが印象に残っている。

 

ph_business_vol372_04

大学時代はスキーサークルに所属。留学時代に行って感動したコロラド州にあるスキーのメッカ、ベイルに、13年1月IMF在職時に妻と再訪した。雪質と広大さは圧巻。

 

ph_business_vol372_05
異動のサイクルは短いが、同僚とは公私にわたって深いお付き合い。写真は09年10月に、主税局時代の同僚と駅伝大会に出た時のもの。後列の右から4番目が齊藤さん。先輩とテントを背負って屋久島を縦走したこともある。

 

取材・文/笠井貞子 撮影/鈴木慶子

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
10分トレーニング:みんなの回答をチェック! ▼
1年生も、もちろん!
大学生・院生・短大生・専門学校生になったら!

リクナビで詳しく見てみよう!

この企業についてリクナビで研究する