さだまさしさん(シンガーソングライター・小説家)の「仕事とは?」

さだまさし・1952年長崎県生まれ。小学校卒業後、ソロ・バイオリニストを目指し単身上京。國學院大学在学中の72年に吉田政美とグレープを結成、『精霊流し』『無縁坂』などのヒットを放つ。76年からソロ・シンガーとして活動を開始。繊細なハイトーン・ボイスと親しみやすいメロディで幅広い層から根強い支持を得、『雨やどり』『関白宣言』『北の国から』『秋桜』など数々の名曲を世に出す。活動の中心をコンサートに置き、76年から続くソロコンサートの回数は2013年7月で4000回を迎えた。01年より本格的に小説家としての活動も始め、『精霊流し』『かすてぃら』『サクラサク』(小説『解夏』収載)など9作を上梓。うち6作が映画化されており、13年に発表された『風に立つライオン』が7作目の映画化作品として15年3月に公開。

さだまさしオフィシャルサイト http://www.sada.co.jp/

歌を歌うのは、男子一生の仕事にあらずと思っていた

僕は音楽をやっていない自分を知らないんです。3歳でバイオリンを始めて、小学校時代にはクラシックの世界で生きていくと決めていましたから。ところが、中学で単身上京してまで目指していた音楽大学附属高校の受験に失敗しましてね。それまで自分をバイオリンの天才だと信じていて練習もひと一倍やってきたのに、上には上がいたのです。挫折感でいっぱいで気持ちはバイオリンから遠ざかっていくけれど、周囲の期待は痛いほど感じる。これからどうやって生きていけばいいのか、自分には何ができるのかと悩みました。

大学に入っても答えは見つかりませんでした。在学中にフォークデュオ「グレープ」を結成してデビューしましたが、男子一生の仕事にあらずと思っていたのが正直なところです。当時、フォークやロックなどクラシック以外の音楽はよく「軽音楽」と呼ばれて軽んじられることがあり、僕もそのマジックに引っかかっていました。もちろん、今は違いますし、そうは言わせませんよ。クラシックに比べてそれ以外の音楽の何が軽いとみなされがちかというと、構造なんです。クラシックの世界では、音楽を構造的、立体的に感じるということを徹底的に勉強させられますからね。つまり、構造がしっかりしているものはたとえ流行歌であっても、軽くはないんです。

だけど、そのことを自覚したのは歌い始めて何年もたってからで、「グレープ」を始めたのはアルバイト感覚というか、青春の思い出感覚ですかね。どうせこんなのは長く続かないし、フォークをやりたいわけではないから、いずれは先のことを考えなければと思っていました。ところが、『精霊流し』や『無縁坂』がヒットして、世間からフォークソングの代表曲として扱われるようになると、立場に責任を感じて追い込まれました。「えー!? これは俺が行きたいところじゃねえよ」と(笑)。

このままでいいのかと悩んだ揚げ句に「グレープ」を解散。故郷の長崎に帰りました。自分のアーティスト人生は終わらせたつもりでしたから、NBC長崎放送に就職してラジオのディレクターとして音楽番組を作ろうと考えたんです。NBC長崎放送には、もう亡くなった方ですが、「グレープ」時代に育ててもらった仲のいいプロデューサーがいましてね。彼に会いに行き、履歴書を差し出して「社員にしてください」とお願いをしました。

そうしたら、そのプロデューサーから「君は歌っていなさい」と一笑されたんですよ。さらに、机の下からゴミ箱を出してきて「履歴書をここに入れろ」と言われました。横面をパーンと張られたような気持ちがしましたね。ちょっと有名になってヒット曲があるくらいで、ツテを頼れば音楽以外の仕事もできると思っていたなんて、自分は甘ったれていたなと。

それでも食い下がることもできたはずです。でも、僕はそうしなかった。その時に、「ああ、やっぱり俺は歌うんだ」と。腹を据えたと言えばいいんでしょうかね。何かを受け入れるような割と静かな感じで、歌うとなったら、じゃあ、どうするかと考えてソロデビューをしました。本当に歌い始めたのはそこからですよね。「お前のいる場所はここじゃない」と言ってくれたプロデューサーに今でも感謝していますし、あそこが僕の分岐点だったと思います。

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メルヘンの中にある覚悟を感じ取ってもらいたい

1987年に発表した『風に立つライオン』はケニアで国際医療活動に従事した実在の医師・柴田紘一郎先生をモデルに作った曲です。柴田先生は父の飲み仲間で、僕が初めてお会いしたのは「グレープ」結成の少し前。大学2年生の時に肝炎になり、長崎に逃げ帰っていたころです。当時、柴田先生はケニア・ナイロビの長崎大学熱帯医学研究所から帰国したばかり。僻地(へきち)医療に向かう小型飛行機から見た遥か(はるか)なる大地、村の先住民が踊ってくれた真夜中の歓迎のダンス、サソリよけの金の足輪がカチャカチャ鳴る音、満天の星、フラミンゴの大群…。居酒屋で柴田先生から聞くアフリカの話はそこに情景が広がって見えるほどいきいきとしていて、先が見えずに思い悩んでいた僕の心を揺さぶりました。

それから何度も柴田先生からうかがったアフリカの話を歌にしようとしたのですが、歌にならないんですよ。つまりね、アフリカの何を書いていいのかがわからない。フラミンゴの大群、草原の象といった自然を描写してアフリカの雄大さを歌っても、「広いですね」「すごいですね」というだけの話ですよね。では、自分は何を歌いたいのか、自分が柴田先生の話の何に感動したのかを突き詰めていくと、「真摯に仕事に取り組むひとりの青年医師が感じたアフリカ」こそがテーマなんだということがわかった。それで、僻地医療について歌おうと思ったんです。

故郷の長崎は離島が多く、離島の医師が苦労していることは知っていました。ましてや、海外の僻地医療がどれだけ大変なのかは、想像に難くありません。でも、大変なことを歌うときに「つらいです」「悲しいです」ということばかり歌っていても伝わらない。だから、「つらくないと言えば嘘(うそ)になるけど、しあわせです」という表現を『風に立つライオン』ではしているんです。すごく感動的だけど、つらいという。これが仕事の正体ですよね。

『風に立つライオン』には「僕たちの国は残念だけど何か大切な処(ところ)で道を間違えたようですね」という歌詞があります。前後の脈絡なく出てくるので、リリースした80年代後半当時はいろいろな人に意味を問われました。当時は世の中がバブル景気の狂騒に浮かれていた時代です。僕は経済優先で何か大切なものを失いつつある日本にいらだちを感じ、その対局にある、私利私欲を捨てて仕事に取り組む人たちの存在を伝えたかった。あの歌詞があるのは僕にとっては必然だったのですが、説明をすることはありませんでした。解釈は人それぞれでいい。歌詞の奥行きを損なうようなことはしたくなかったんです。

『風に立つライオン』を「小説にしてください」と俳優の大沢たかおさんから熱心に言っていただき、その気になりましたが、書き上げるまでには5年かかりました。伝えたいことは歌で言い切っているわけですから、歌では表現できないことを書かなければ意味がない。この歌を大事に思ってくれている人たちに対してどこを裏切り、どこを裏切ってはいけないかの線引きが難しくて苦しみました。そのひとつが、いかにして歌詞を説明せずに小説を書くかということです。悩み抜いた末に考えついたのが、主人公以外の登場人物のモノローグで物語を構成する手法。他人から見た主人公のことしか書かれていませんから、歌で語られた彼の言葉の意味は種明かしされていないんです。

僕は自分の歌をもとにした小説も書いたことがありますが、これほどまでに苦しんだ作品はありません。苦しんだのは、『風に立つライオン』がたくさんの人の人生を少しずつ変えていった歌であり、すでに僕のものではないからです。この歌を聴いて医師を志した人は多く、青年海外協力隊に参加する人も増えたと聞いています。NPO法人「ロシナンテス」の川原尚行先生はこの歌をきっかけに外務省医師を退職して単身スーダンに渡り、医療活動を始めました。鹿児島の堂島晴彦先生はNPO法人「風に立つライオン」を立ち上げ、若い医師をインドにあるマザー・テレサの終末病院に派遣して心の教育をする活動をしています。さらに、ある少女はこの歌を聴いたことからケニアに渡り、マサイの夫人になったといいます。

なぜこの歌に人々が動かされたのか、それは僕にはわかりません。ただ、それは柴田紘一郎先生の話に僕が動かされたのと同じエネルギーなんだということだけはわかります。僕は柴田先生の仕事への熱に触れてこの歌を書かされた。同じ思いがこの歌に宿っているから、多くの人に伝わっていったのかなと思います。

『風に立つライオン』は、歌が生まれて26年の歳月を経て小説となり、2015年3月には映画化されました。主人公の青年医師の思いが、今の日本の若い人たちの心にどう届くでしょうか。この主人公よりもっと過酷な現場で、もっと命がけで頑張っている日本人が世界中にいるということを伝えたいです。それは本当に見事な命ですよ。たった一度の人生なのに、愚痴を言って酒を飲んで、この国の安全に守られてくだらないことでうさをはらしている命もあれば、人のために自分の命を平然と捧げる人たちが今でもいる。そのことをどう思うのか、皆さんに問いたいですね。

歌も小説も映画も、メルヘンなんです。あくまでもメルヘン。だけど、このメルヘンの中にある覚悟を感じ取ってもらえたらと思います。

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INFORMATION

映画『風に立つライオン』は2015年3月14日(土)より公開中。

俳優・大沢たかおさんがさださんの楽曲『風に立つライオン』に惚れ込み、小説化・映画化を希望したことからプロジェクトがスタート。大沢さん主演、『十三人の刺客』『藁の楯』など数々のヒット作が続く三池崇史監督で映画化された。アフリカ・ケニアで医療に従事する主人公が、心に傷を負った元少年兵と心を通わせるさまを、アフリカの雄大な自然を交えて描く。「三池監督の演出のすごいところは、ケニアでロケをしながら、キリンも象もライオンも出てこないんです。『これは観光映画ではないんだ』という三池監督の決心が伝わってきて、震えました」とさださん。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

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