金田一 秀穂さん(言語学者)の「仕事とは?」|前編

きんだいちひでほ・1953年、東京都生まれ。上智大学心理学科卒業。1983年、東京外国語大学大学院修了。中国大連外語学院、米国・コロンビア大学の講師、ハーバード大学客員研究員などを経て、東南アジア諸国で日本語教師の指導に携わる。1988年より杏林大学外国語学部で教鞭(べん)をとり、2001年教授に就任。専門は日本語教育、意味論、言語行動論。著書に『適当な日本語』『金田一先生のことば学入門』『金田一家、日本語百年のひみつ』など。編者として『学研現代新国語辞典』など多数。

大学卒業後、3年間のニート生活。働かなくて何が悪いのかと思っていた

-大学では心理学を学ばれたんですよね。なぜ心理学だったんですか?

自由になりたかったんです。思春期に入ったころから、文化であるとか、言葉だとか、いろいろなものに縛られているような感覚がずっとつきまとい、なんとなく周囲にもなじめなくて。ひょっとすると、自分がおかしいのかもしれないと思いましてね。心理学というのは生いたちや環境というのが人の心にどのような影響を与えるのかということも研究しますから、自分を縛っているものの正体を知れば、そこから自由になれるだろうと考えたわけです。

-言語学者として有名なおじいさま、おとうさまの下に生まれ、跡を継ぐことを周囲から期待される重圧のようなものがあったんでしょうか?

よくそう聞かれるのですが、重圧はなかったです。父から「跡を継げ」と言われたことはありませんし、学者というのは自分の見つけたテーマをゼロから研究する仕事ですから、そもそも代々継いでいくような類いの職種でもない。思春期には、「金田一」という名前によってどこに行っても日本語や国語と結び付けられることに、「なんだかなあ」という気持ちはありましたけどね。心理学を学んだのはもっと根源的な、「自分を知りたい」という思いからでした。

-心理学を学んでみて、いかがでしたか?

面白かったのですが、心理学を仕事にしようとまでは思えませんでした。自分が何をしたいかわからなかったので、就職活動は一切せず、卒業後は今で言うニート。昼過ぎに起きてパチンコに行き、稼いだお金で本を買って明け方まで読みふけるという生活を3年間送りました。友人たちには心配されましたが、「就職しなくても最低限の生活はできるし、時間も自由もある。それの何が悪いのか」とどこ吹く風。そんな僕に父は何も言いませんでした。僕を信じて、待ってくれていたんだと思います。

日本語学者・寺村秀夫氏に出会い、日本語研究の面白さに目覚めた

-ニート生活に終止符を打ったのは?

知識を吸収するばかりの日々を長く送っていると、アウトプットしたいという欲求が自然と出てくるんですね。ところが、そんな場もないから、鬱々(うつうつ)とした思いを抱えるようになって。当時の僕には日本にいることが原因のような気がしたわけですよ。それで、「外国に行きたい」と言っていたら、父が「外国人に日本語を教える仕事があるよ」とヒントをくれて。「まあ、やってみようかな」と思い、週3日、1年間の日本語教師養成講座に通い始めました。

そんな調子でしたから、日本語に特別な関心があるということではなかったんです。特に文法はわかりづらく、退屈なものだと思っていました。ところが、講師に言語学者の寺村秀夫さんがいましてね。日本語教育の礎を築いた人物で、「日本語には論理的な構造があって、クリアに説明できる」ということをわかりやすく教えてくれました。例えば、助詞の「と」について、「『青木さんと学校に行く』の“と”と『青木さんとけんかする』の“と”には違いがありますが、わかりますか?」と寺村先生。なんとなくわかるような気はするものの説明できないでいると、「『と一緒に』と言い換えられるかどうかですね」とおっしゃり、「なるほど」と膝を打ちました。寺村先生から学ぶと、普段何気なく使っている言葉にさまざまな発見があって、日本語の世界にひき込まれていきました。

おまけに、寺村先生はまったく偉ぶらない方でね。学生と一緒に日本語について考えることを楽しみ、「日本語の構造には、まだ解明されていないこともある。それを解明していくのは、君たちだよ」と伝えてくれた。だから、「僕にもできるかもしれない」と思ったんです。

時間がかかっても焦らずに、好きなものを見つけてほしい

―その後、東京外国語大学の大学院で日本語学を専攻し、修了後は中国や米国などで日本語教師を経験。現在は杏林大学外国語学部で日本語教育に携わりながら、言語学者として活躍されています。最終的には、おじいさまやおとうさまと同じ道を歩まれていますね。

祖父や父とは異なり、僕は最初からこの道を歩もうと思っていたわけではありませんが、僕たち3人に共通しているのは、日本語が好きだということです。寺村先生がかつて、「文法の研究には向き、不向きがある。向いているのは、ぶらりと道を歩いているときでも思わず文法について考えてしまう人」とおっしゃったことがあります。文法が好きな人は気がついたら文法のことを考えていて、そういう人の研究はうまくいく。暇さえあればお金もうけのことを考えている人は、やはりお金もうけがうまいです。才能とか適性というのは結局、「好きで好きでたまらないかどうか」ということなんだと思います。

よく「努力すれば、うまくいく」と言いますよね。でも、僕は努力というものを認めません。そう考えるようになったのは、小学校低学年で難病を患い、2年間を病院のベッドの上で過ごした経験からです。いくら先生の言いつけを守っていい子にしていても治らないし、入院中に仲良くなった子たちが1人、2人と亡くなっていく。僕は10歳の時に退院できましたが、それは運良く新薬が出て、たまたま効いただけ。「ああ、物事を左右するのは運。努力は無駄なんだ」と早いうちに悟ってしまったんです。

ただし、好きで、どうしてもやってしまうことは、端から見て努力と思えることであっても、努力とは言いません。そうではなくて、自分を強いてやるのなら、「努力」は即刻やめた方がいい。イヤイヤやることは、身になりませんから。物事というのは好きだからこそ積み重ねられ、能力も上がっていく。それはもう、明らかなことです。だから、若い人たちには無駄な「努力」をするよりも、焦らずに好きなものを見つけてほしいですね。

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後編では大学教授として学生を教える仕事の魅力や、言語学者としての姿勢についてうかがいます。

→次回へ続く

(後編 4月26日更新予定)

INFORMATION

『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』(文藝春秋/税抜き1200円)。金田一さんと13人の「言葉を使うプロ」との対談集。詩人・谷川俊太郎さんや英文学者・外山滋比古さん、脚本家・三谷幸喜さんなど幅広い立場の対談相手と日本語の美しさや難しさを語り合っている。

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取材・文/泉 彩子 撮影/大星直輝

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