仕事とは?

Vol.219 【前編】永山祐子

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ながやま・ゆうこ●1975年、東京都生まれ。1998年、昭和女子大学生活科学部生活環境学科卒業。同年、青木淳建築計画事務所入職。2002年に独立し、永山祐子建築設計設立。「ルイ・ヴィトン 大丸京都店」(2004年)、「カヤバ珈琲」(2009年)、「木屋旅館」(2012年)、「豊島横尾館」(2013年)、ホール複合施設「女神の森セントラルガーデン」(2016年)などを手がける。2012年「Architectural Record Design Vanguard Architects 2012」、2014年日本建築家協会 JIA新人賞(豊島横尾館)など受賞多数。

駆け出し時代は、全速力でマラソンをしているような毎日だった

-大学の建築系学科を卒業後、青木淳建築計画事務所にお入りになったんですよね。

当時の青木事務所のスタッフは留学をしたり、大学院を修了した後に入社した人がほとんどでした。私ももう少し勉強してから応募しようかと迷いましたが、早く現場を見たいという気持ちが強くて。ダメモトで受けたところ面接に通り、「とりあえず、トライアルに来てみる?」と言ってもらえました。個人設計事務所はトライアル期間を経て採用をするのが一般的で、青木事務所もそうだったんです。

 

青木さんはスタッフの感覚を取り入れながら仕事を進めていくスタイルで、トライアル初日からビルの改装デザインなどの提案を次々と求められました。とにかく「全力で頑張れる」ということを見せなければと思っていたので、必死でたくさんアイデアを出し、1週間ほどで採用が決定しました。喜んだのもつかの間、そこからが大変。いきなりプロジェクトを任され、「いい案が出なければ、ここまでになってしまうから、頑張ってね」と軽く言い渡されて。毎日ひと案を考えて模型と図面をセットにして青木さんに持っていきましたが、突き返されてばかり。1カ月ほど泊まり込み状態を続けて、ようやく「これはいいね」と言われました。

 

-ホッとしたでしょうね。

一瞬だけ(笑)。青木事務所ではスタッフに1つのプロジェクトを最初から最後までひとりで担当させる方針で、竣工(しゅんこう)までゴールはやってきません。1つの課題をこなしたら、すぐに次が湧いてきて、全速力でマラソンをしているような毎日でした。大変でしたが、仕事を任せてもらえたおかげで、短期間でひと通りの仕事をこなせるようになりました。今、私の事務所のスタッフの姿を見ていても、「これは自分の仕事なんだ」「絶対成功させるんだ」という強い気持ちがあるかどうかで成長スピードが変わるように思います。

 

建築家というのは「伝える」という作業が仕事のほとんど

-初めて担当したのは、どんなプロジェクトだったんですか?

神奈川県藤沢市の約50坪の住宅で、設計から竣工まで2年ほどかかりました。その過程で感じたのは、建築家というのは「伝える」という作業が仕事のほとんどだということです。学生時代の課題では図面を描き、模型を作って発表するまでで終わりですから、すべてをひとりでやっていましたが、実際に建てるとなるとたくさんの人たちの協力が必要です。思い描いたものを形にするには、お施主(建築・設計の注文主)さんにも、現場の職人さんたちにも「こういうものを作りますよ」というイメージを共有してもらい、まだ見ぬものに向かってみんなの意識をひとつにしていかなければいけません。

 

図面や模型というのはそのためのコミュニケーションツールで、最初の頃はこれらのツールを細かく丁寧に作るのが「きちんと伝える」ということだと思っていたんです。だから、26歳で独立して初めて住宅のご依頼を頂いた時も少し大きめで、細部までリアルに作り込んだ模型を用意したんですね。窓ガラスとしてアクリルの板を入れたり、コンセントの位置もわかるようにしたりして。それで完璧に伝えたつもりになっていたのですが、工事が始まってからお施主さんとの認識にズレがあったことがわかり、手直しに苦労しました。その時に、模型では細かいところがよくわからなかったとお施主さんがおっしゃって…。

 

-わかる気がします。一般の人は模型を見慣れていない人も多いですよね。

そうなんです。私たち建築家の視点というのは、一般の方たちよりも訓練を受けた目線になっていて、自分が当たり前だと思っていることも相手にはそうではないと知って、すごく勉強になりました。それからは模型の中に人が入り込んだ視点で撮った写真をお渡ししたり、CGを作ったりして工夫をするようにしていますし、「伝わって当たり前」という思い込みをなくすよう気をつけています。

 

安心して仕事を任せてもらうために、思いつく限りの準備をした

―独立されたのは26歳の時だったんですね。早い時期に独立したいという思いはありましたか?

特になかったのですが、青木事務所の方針でスタッフは4年で独立することが決まっていたんです。若くしてひとりでやっていくことになったので、最初はいろいろ大変でした。現場や打ち合わせでは私の外見からアシスタントと間違われ、自己紹介をすると、目を丸くされることも多かったです。

 

安心して仕事を任せてもらうために、独立したてのころは思いつく限りの準備をして打ち合わせに臨んでいました。レジュメにも細かいことまでびっしりと書き込んで。私は独立当初から企業の仕事を頂くことが多く、ひとりでプレゼンテーションにうかがうと会議室に10人くらいのおじさんが並んでいて。大勢の方からの視線を浴びるのが怖かったのですが、レジュメにいろいろなことが書いてあると、皆さん、紙に目を落としてくれるので助かりました。そんな猫だましみたいな要素も含めていろいろなことをやっていましたね。

 

独立当時のことを思い返すと、「え? そんなことで私、悩んでいたんだ」と不思議に思うのですが、一つひとつが判断に迷うことばかりで。どうしても答えが出ないときは青木さんのところに相談にうかがうと、親身になって聞いてくださいました。ただ、いつもお時間を頂くわけにはいかず、ひとりぼっちで心細すぎて、自分の中に「ミニ青木さん」を作って…。

 

―ミニ青木さん?

はい。小さな青木さんが「目玉おやじ」のように私の肩に乗っているようなイメージで(笑)。こういうときに青木さんならどうするかな、こういう場面ではどうしていたかなと考えながら仕事をしていました。でも、時間がたち、事務所にスタッフが入ってきて一緒に考える仲間ができたりするうちに、「ミニ青木さん」が登場する場面が少しずつ減って。いつの間にか、自分なりの答えが出せるようになりました。

後編では、仕事を通して学んできたことや仕事で大切にしていること、今後の展望をうかがいます。

→次回へ続く

(後編 6月14日更新予定)

 

INFORMATION

永山祐子建築設計オフィシャルサイト(http://www.yukonagayama.co.jp/)。これまで手がけてきた建築が写真や解説つきで紹介されており、永山さんの世界観が伝わってくる。講演会や新規スタッフの情報も随時掲載している。

 

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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