髙田 明さん(ジャパネットたかた創業者)の「仕事とは?」|前編

たかた・あきら●1948年、長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、阪村機械製作所に入社し通訳として海外駐在を経験。1974年に平戸市にUターンし、父親が経営していた「カメラのたかた」に入社。観光写真撮影販売から事業拡大し、1986年に「株式会社たかた」を設立、代表取締役に就任する。1990年からラジオショッピング、1994年にはテレビショッピングに参入し、通信販売事業を展開。1999年に社名を「株式会社ジャパネットたかた」に変更する。2015年1月、ジャパネットたかた社長の座を長男に譲り退任。「株式会社A and Live」を設立し代表取締役に就任。番組出演も卒業し、現在は『おさんぽジャパネット』という番組にのみ出演している。また2017年4月よりJ2サッカー「V・ファーレン長崎」の代表取締役社長に就任。

会社を辞めて平戸市にUターン。家業の手伝いが人生のターニングポイントに

-大学時代、自分のキャリアをどう描いていましたか?

とにかく就職しようというくらいで、キャリアについては深く考えていませんでしたね。私は4人兄弟で、兄・弟・妹の3人は皆、実家の写真館「カメラのたかた」で働くために写真の学校に進学していました。1人くらいサラリーマンでもいいだろうと就職をすることにしましたが、私はそもそも先のことを見据えて動くことが苦手なんです。「この経験が将来何につながるだろう」なんて考えることもなく、大学時代は海外への憧れを胸に英語の勉強に没頭。大学の先輩でもある叔父が貿易部で働いていたので「そこなら海外で仕事ができるかもしれない」とアルバイトを始めました。卒業後、そのまま社員として入社したのが、ネジ製造機械メーカーの阪村機械製作所です。

-阪村機械製作所ではどんな仕事を担当しましたか?

貿易部で英文の納品書やパッキングリスト(国際取引の際に必須の梱包明細)の作成、契約書の翻訳など営業事務をしていました。すると入社半年後に、8カ月間のヨーロッパ駐在を社長から任命されたのです。ドイツを拠点に200回くらい飛行機に乗ってヨーロッパ中を飛び回りました。現地の工場に納品した大型機械が規格に合ったネジを正しく製造するか、技術者に付いて通訳をしていました。海外で仕事をする夢がまさかこんなに早くかなうとは思いませんでした。

-その後、25歳で故郷・長崎県平戸市に戻ります。どんな経緯だったのでしょうか?

8カ月も海外に行かせてもらったのに、その1年後に退社したのですから薄情者です。友人に「一緒に翻訳の仕事をしよう」と誘われ、軽い気持ちで辞めたのですが、うまくいくはずもなく立ち消えとなり、平戸に戻って「カメラのたかた」を手伝うことになりました。阪村社長は辞める時に私を呼び出し、「キミがいつか、ここで働いて良かったと阪村を思い出してくれればそれでいい」と言ってくださった寛大な方。その後も親交があり、阪村機械製作所の創業50周年の際には講演をさせていただきました。

「写真を撮る」ひとつにも、ビジネスのヒントがたくさん詰まっていた

―「カメラのたかた」に入ったことが、37歳での「株式会社たかた」(のちの株式会社ジャパネットたかた)創業へとつながっていきます。「カメラのたかた」での経験について教えてください。

Uターンした当時、平戸は観光産業が盛り上がっていました。平戸大橋のような観光名所もないころでしたが、市内のホテルには全国から年間200万人もの観光客が来訪。当時「カメラのたかた」では、カメラ販売のほかに、観光地やホテルでお客さまの写真を撮って現像して販売する仕事もやっていました。

「明、やることがないなら手伝え」と家族に言われ、家業を手伝い始めた途端、その仕事に夢中になりました。私に特別な才能は何もないけれど、ひとつ言えるとするならば、目の前の仕事に没頭する力はずば抜けているかもしれません。「カメラのたかた」では、団体客でいっぱいになるホテルの宴会場に行って、撮影。何百人分のスナップ写真を明け方までに現像し、翌朝の朝食会場で販売しました。「1枚でも多く写真を買ってもらうにはどうしたらいいのか」を常に考え続け、お客さまがカメラの方を向いてくれるまで何度も声を掛け続けたり、仲良しグループはどこかをじっと観察して写真を撮ったり、アルバムにしたりお皿に焼くなどの工夫もしました。朝食までに現像が間に合わなかった時は、帰りの観光バスに乗り込んで販売したこともありました。

「観光客の写真を撮る」という、なんでもないように見える仕事にも、ビジネスのヒントはたくさん詰まっています。「こういう団体で来るお客さまはよく買ってくれる」「こんな表情を引き出せば買ってくれる」「ホテルでは売れなかったけれど、観光地で撮った写真は売れる」など、お客さまの属性や状況、出身地や職業によっても売り上げがまったく異なるのです。

この経験は、のちにラジオショッピング、テレビショッピングをする際に貴重な糧となりました。そして何より、夢中で目の前の仕事に取り組んでいれば、次の課題、工夫すべきことが見えてくるということ、その積み重ねが自分を大きく成長させてくれるということを学ぶ機会になりました。

後編では、「株式会社たかた」創業から、退任を決めた思い、今後の挑戦についてうかがいます。

→次回へ続く

(後編 7月12日更新予定)

INFORMATION

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取材・文/田中瑠子 撮影/鈴木慶子

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