上田一生さん(ペンギン会議研究員)の「仕事とは?」|前編

うえだ・かずおき●1954年、東京都生まれ。ペンギン会議研究員(創設メンバー)。國學院大學文学部史学科卒業後、ドイツ・ボン大学の大学院で軍事史を学ぶ。1981年より目黒学院高等学校教諭(地歴公民科担当)。一方で、40年以上ペンギンの調査・研究・保全活動を続ける。 葛西臨海水族園、長崎ペンギン水族館、しものせき水族館海響館、埼玉県子ども動物自然公園、天王寺動物園、京都水族館、すみだ水族館、福岡市動植物園、上越市立水族博物館などの動物園・水族館の監修を手がける。『ペンギンの世界』『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』など著書も多数。『生きもの地球紀行』『ダーウィンが来た!』『ワイルドライフ』『どうぶつ奇想天外!』『わくわく動物ランド』『皇帝ペンギン』『ハッピー フィート』などテレビや映画の監修も務める。

ペンギン会議研究員 上田一生 Official Web Site http://www.penguin-ueda.net

日本は世界最大の「ペンギン飼育国」

-上田さんは高校で地理や歴史、公民を教える一方で、ペンギン研究家として活動されています。最近では、2005年に公開されて日本でもヒットしたフランス映画『皇帝ペンギン』の続編(2018年夏公開予定)を監修されたとか。

映画『皇帝ペンギン』の監督のリュック・ジャケは動物行動学の研究者で、僕の長年の友人なんです。前作では、産卵後すぐに餌を求めて海に旅立つメスの代わりに、南極の厳冬に約115日間も絶食して卵やひなを守るオスの姿など一般にはあまり知られていないコウテイペンギンの生態をたくさんの人に知っていただけて良かったです。

-上田さんがペンギンについて監修された水族館や動物園も全国にありますね。中でも2001年にオープンした長崎ペンギン水族館は、世界最多の9種類のペンギンを飼育している水族館として有名です。

長崎ペンギン水族館は、計画からオープン後の施設増設まで全面的に監修させてもらっています。2020年には、ペンギンを中心に日本の水生動物を研究する「ペンギン研究所」ができる予定です。そのためのステップとして2017年に「ペンギン研究室」がオープンしまして、長崎大学水産学部と共同研究を計画中です。ところで、日本が世界最大の「ペンギン飼育国」であることはご存じですか?

-え!? そうなんですか。

野生のペンギンは南半球にしかいませんが、動物園や水族館で飼育されているペンギンは地球上に15種類、1万5000羽以上いるといわれ、日本では12種、約4000羽が飼育されています。世界中の飼育ペンギンの約4分の1が日本にいるんです。また、日本にはペンギンのキャラクター商品も多く、「ペンギン好き」の数でも世界有数だと思います。それにもかかわらず、研究者は欧米に比べて少数。動物園や水族館もレジャー施設としてペンギンに親しんでもらうための手法では進歩していますが、欧米のような保全・研究機関としての役割はあまり果たせていません。この「ペンギン研究所」が日本のペンギン研究や保全活動を進めるための拠点となればと願っています。

ペンギンについて調べるほど謎が深まり、興味がつきなかった

-上田さんご自身はペンギンの研究・保全活動から動物園・水族館、映画やテレビの動物番組の監修といったレジャーまでオールラウンドに活動されていますよね。そもそも、ペンギンにここまでかかわるようになったのは?

僕はまず「虫屋さん」から始まったんです。特に蛾(ガ)が好きで、小学生のころは約800種類の蛾を集めて自由研究として提出したりしていました。中学生になると蛾を食べるコサギという鳥に興味を持ち、そこから日本の野鳥を追いかけるようになり、その延長線上で高校生の時にペンギンにたどり着きました。当時は「彼女」だった妻から、上野動物園でデート中に「ペンギンってどんな鳥?」と聞かれ、答えられなかったのが悔しくて、手当たり次第に文献をあさるようになったんです。それでわかったのは、ペンギンは解明されていない点が多い鳥だということ。調べれば調べるほど謎が出てきて、興味がつきませんでした。ただ、そのうちに歴史にも興味を持つようになり、ドイツに留学して軍事史を学んで27歳の時に帰国。高校の「社会の先生」になり、いったんはペンギン熱が落ち着いていたんです。

-ペンギン熱が再燃したのは?

1984年に新聞に掲載された小さな記事がきっかけでした。日本のペンギン研究の第一人者として知られる青柳昌宏先生が、南アフリカ共和国で起きたタンカー事故の影響で重油を浴びたケープペンギンの保護活動を始めようとしていることを報じたもので、妻が見つけて教えてくれたんです。当時の南アフリカではアパルトヘイトへの反対運動が激化しており、社会科の教師としてすごく気になる国でした。その上、そこに生息するペンギンが危機的な状況にあると知って居ても立ってもいられず、青柳先生に手紙を書いたんです。A4の便箋にびっしり12枚ほどだったと思います。

世界で初めてのペンギン学の国際会議に、ただ1人のアジア人として参加

―ペンギンへの思いをつづられたのですね。

思いをつづるというより、経歴を書きました。自分がどういう経緯でペンギンに関心を持ち、青柳先生のご著書を含めどんな文献を読んできたか。職業としては高校で社会を教えており、語学は何ができるかといったことです。自分のやってきたことの何かがペンギンを守るために役に立てばという気持ちでした。すると、1週間後に「一緒に活動をしませんか。南アフリカの担当者とのやり取りを手伝ってほしい」とお電話を頂いたんです。願ってもないことでしたが、1つジレンマがありました。アパルトヘイトという人種差別制度によって世界的に非難されている国を支援することに対してです。青柳先生にお会いして話してみると、先生も同じ思いを持っていました。でも、危機にひんしたケープペンギンを放ってはおけません。そう遠くない日にアパルトヘイトが撤廃されると信じて1984年から現地との交渉を水面下で開始。1994年に制度が撤廃されるや否やケープペンギン保護のための募金活動を実施するとともに、僕も現地に入って救護活動をしました。

その活動の過程で声がかかり、1988年にはニュージーランドで開催された「第1回国際ペンギン会議」(ペンギンに関する世界初の国際学会)に参加しました。この会議が僕の大きなターニングポイントになりました。世界中のペンギン研究家200人ほどが集まりましたが、アジア人はたまたま僕1人。会議では多様なバックグラウンドを持つ人たちが「環境破壊にさらされて世界中のペンギンが危機的状況にあるという事実をそれぞれの地域・国で広く知らせ、国際的なペンギンの研究・保全の輪を作っていこう」と合意しましてね。その思いを実現しようと、ペンギンの飼育技術向上や野生ペンギンの保全・研究を進める「ペンギン会議」を1990年に立ち上げました。当初は80人ほどの組織でしたが、今では820人を超える会員がいます。

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後編では長年にわたってペンギンの研究を続けてきた理由や、上田さんのもう一つの顔である高校教師の仕事についてうかがいます。

→次回へ続く

(後編 9月6日更新予定)

INFORMATION

上田さんの著書『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』(岩波書店/定価:2900円+税)。大航海時代から「未知の大陸」のシンボルとしてさまざまな場面で大活躍してきたペンギンには、食料や燃料などとして利用されてきた受難の歴史もある。人間ではなくペンギンを主体に編んだ、異色の文化史。ペンギンに関する貴重な図版も豊富に掲載されている。

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取材・文/泉 彩子 撮影/臼田尚史

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