仕事とは?

Vol.239 <前編>杉江 弘

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すぎえ・ひろし●1946年、愛知県生まれ。1969年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、日本航空株式会社に入社してDC-8、B747、エンブラエルE170などに乗務する。首相フライトなど政府要請による特別便の経験も多い。同社安全推進部に所属中は安全運航のポリシーの立案・推進に従事し、特に「スタビライズド・アプローチ」と呼ばれる運航ポリシーは現在では広く航空界全体に採用されている。B747の飛行時間では世界一の1万4051(機長として1万2007)時間を記録し、2011年にボーイング社よりそれを記念して設計者のジョー・サッター氏のサイン入りのモデルプレーンを贈られ表彰を受ける。2011年10月の退役までの総飛行時間(すべての機種)は2万1000時間に及ぶ。新聞、テレビ、講演会などを通して航空問題(最近ではLCCの安全性)について解説、啓発活動を行っている。また海外での生活体験を基に日本と外国の文化の違いを解説し、日本と日本人の将来のあるべき姿などにも一石を投じている。日本エッセイスト・クラブ会員。

数々の緊急事態に遭遇しながら、安全運航を守り続けた

-2011年の退役までの総飛行時間は2万1000時間に及び、ジャンボジェット機の乗務時間1万4051時間は世界最長記録(2017年10月現在)とか。その間には、数多くの緊急事態も経験されたそうですね。

エンジントラブルによる片肺飛行(※)、油圧系統の損傷はそれぞれ数回ありましたし、コクピット火災やナビゲーションシステムの故障が起きたこともあります。同僚を見回しても、私ほど多くの緊急事態を経験した人は見当たらず、「神の試練」としか思えないほどです(笑)。それにもかかわらず、乗客や乗務員にかすり傷一つさせず、機体の損傷もない「安全運航」を42年間続けられたのは、乗務員や地上スタッフ、乗客の皆さまの協力のおかげだと感謝しています。

(※)二基の発動機を備えている飛行機で、片方だけしか動かないこと。

 

-最も怖かった経験について教えていただけますか?

入社3年目、乗務員として一人前になったばかりのこと。香港を離陸後、ベトナム戦争中のダナン市上空を通過し、目的地のバンコクまであと1時間という地点で、米軍の戦闘機とニアミスをしたことがあります。あと1、2秒航行にズレがあったらと考えると、今でもぞっとします。現在では戦争中の空域を民間機が飛ぶなんてあり得ないことですが、当時は「高高度なら支障がない」とされていたんです。

 

機長になって2年目、1985年夏に台湾・高雄空港で経験した、離陸滑走中の豪雨も忘れられません。雨が急に激しくなって前方がまったく見えなくなり、離陸を中止しましたが、機体が滑走路のどこにいるのかさえわかりません。高雄空港の滑走路は幅45メートルと狭く、機体が芝生に突っ込む危険性がありました。とっさに横を見て、滑走路の外側にぼんやり見える草の色と自分の位置が変わらないよう操縦し、事なきを得ましたが、一歩間違えば、大事故になっていたかもしれません。

 

-豪雨を想定した訓練はされていたのですか?

シミュレーターによる緊急操作訓練では、エンジン故障などで急ブレーキをかけたときに限られた滑走路内で止まることができるかというものはありましたが、雨が急にひどくなって前方の視界がなくなるというような想定の訓練はありませんでした。この時に恐ろしい思いをしたことから、以後は世界中で起きたあらゆる事故の調査報告書を調べ、同じようなトラブルが起きたときに自分ならどうするかを考えることが習慣になりました。

 

航空機の事故の90パーセント以上は過去に同じような原因で起きていますから、分析を繰り返すことで頭にデータが蓄積されていったんでしょうね。飛行機を操縦中、ある局面になると、「これは事故になりそうだ」という「悪魔のささやき」が聞こえてくるんですよ。そのささやきに対して、もう一人の自分が「その手にはのらないよ」と返すというやりとりをすることで安全なフライトをしてきたという感覚があります。

 

いざというときの判断は、「勘」ではできない

-安全運航の裏には、日常的な備えがあったんですね。

事故で人の命が失われるというのはあってはならないことです。それでも起きてしまった事故のデータというのは多くの人の犠牲の上にあるわけですから、きちんと生かし、決して同じことを繰り返してはいけないと肝に銘じていました。

 

どのパイロットもマニュアルの想定内の事態については対応を学んでいますが、プロとしての真価が問われるのは、マニュアルにはない「想定外」の事態をいかに切り抜けるかだと私は思っています。その観点からお話しすれば、2009年にニューヨークでバードストライク(鳥の衝突)に遭い、全エンジンの推力を失いながらもハドソン川に不時着して乗客の命を救ったUSエアウェイズのサレンバーガー機長はプロのパイロットのお手本と言えるでしょう。パイロットは片側のエンジンが故障しても離着陸できる技術を身につけていますが、複数のエンジンを失うということは訓練で想定されていません。

 

エンジン停止から飛行機が落ちるまでの時間は3分。管制塔は最寄りの飛行場への着陸を誘導しましたが、エンジンの推力が失われて油圧も低下し、操縦かんのコントロールも十分に利かず、滑走路に安全に着陸できない可能性がありました。市街地の上を飛べば、墜落によって二次災害を起こすリスクもあります。サレンバーガー機長は一瞬でそれらの状況を読み取り、着水という決断をしました。こういう判断というのは、単なる「勘」でできるものではありません。日ごろから備えていた結果のはずです。

 

-なぜそう思われるのですか?

ニューヨークの離陸では鳥がすごく多いため、私自身も複数エンジンの故障に備えて研究と対策を考えていたからです。シミュレーターで何十回も墜落しながらテストを繰り返してわかった実験結果をボーイング社に検証してもらい、「この結果は使える」と1993年に認められました。だからこそ、サレンバーガー機長のプロとしてのすごさがわかるんです。

 

何千回もやって、たった1回の失敗も許されない職業

-パイロットとして活躍される一方で、40代後半からは安全推進部の管理職として安全対策にも尽力されましたね。

幸か不幸か、数多くの緊急事態の経験も、安全対策を考える上では役立ちました。当時、力を入れて取り組んだ仕事の一つとして、「スタビライズド・アプローチ」と呼ばれる運航ポリシーの導入があります。これは、飛行機が着陸間際のある時点であらかじめ定められた条件を満たしていなければ、いったん着陸をやめて、もう一度進入を試みるという考えです。また、条件を満たしていても、コクピットに入る2人のパイロットのうち、操縦していないパイロットが安全でないと判断すれば、やり直しをしなければいけません。

 

かつての日本の航空界には、悪天候でもなんとかして着陸する技術を持つのが「名パイロット」の条件とされる風潮がありました。私も実際に悪天候で強引に着陸する先輩機長を見たことがありますし、同僚が副操縦士の時に、着陸を無理に進めようとする機長に危険性を進言したところ、「うるさい」と一蹴されたことがあるという話も聞いたことがあります。しかし、パイロットというのは人の命を預かる仕事。何千回やってたった1回の失敗も許されない職業です。おまけに飛行機事故の7割は離着陸時に起きています。「多少の悪条件でも技術があれば、なんとか着陸できる」という考え方は大変危険だと若手のころから疑問を持っていました。だから、安全推進部の調査役を任された時に、今がチャンスと着陸時の運航ポリシーの確立に取り組んだんです。

 

-諸先輩からの反対もあったのではないですか?

私も心情はわかりますが、機長というのは「あまり細かいことは言わず、判断は現場に任せてほしい」と思うものです。先輩だけでなく、同期の機長からもいい顔はされませんでした。でも、約1年かけて会議などで説得したところ、導入がかないました。その結果、着陸時の重大インシデント(事故)が減り、今では日本の航空会社全社がこのポリシーを取り入れています。

後編ではパイロットとして大切にしてきたことや、次世代への思いをお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 11月1日更新予定)

 

INFORMATION

『乗ってはいけない航空会社』(双葉社/1600円+税)には、杉江さんのパイロットとしての豊富な経験から分析した、世界中の航空会社の実態が書かれている。安全な航空会社はどこか、乗ってはいけない航空会社はどこなのか。杉江氏の調査から導き出した「本当のエアラインランキング(トップ20&ワースト15)」もズバリ指摘する、本音の航空会社論。

 

取材・文/泉 彩子 撮影/臼田尚史

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