仕事とは?

Vol.243 <前編>松崎英吾

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まつざき・えいご●1979年、千葉県生まれ。2003年、国際基督教大学卒業後、株式会社ダイヤモンド社、ベネッセ・コーポレーションに勤務。業務のかたわらブラインドサッカーの手伝いを続けていたが、「ブラインドサッカーを通じて社会を変えたい」との思いで、2007年11月より日本視覚障害者サッカー協会(現・NPO法人日本ブラインドサッカー協会)の事務局長に就任。スポーツにかかわる障がい者が社会で力を発揮できていない現状に疑問を抱き、障がい者雇用についても啓発を続ける。サステナビリティ(持続可能性)を持った障がい者スポーツ組織の経営を目指し、事業型非営利スポーツ組織を目指す。

自分の中にあった強い偏見がブラインドサッカーを通じて消えていった

-松崎さんがブラインドサッカー(※1)に出合ったのは、大学時代だそうですね?

(※1)視覚障がい者のために考案された5人制のサッカー。選手はアイマスクをつけ、音が出るボールと敵陣のゴール裏にいる「ガイド」の声を頼りに競技を行う。日本に紹介されたのは2001年。視覚以外の全感覚を研ぎ澄ませて展開される迫力のある試合が魅力で競技人口を年々増やしている。2020年東京パラリンピックでは「5人制サッカー」として正式競技のひとつでもある。

 

大学3年生の時に友人から誘われ、奈良県郊外のゴルフ場で行われた合宿を軽い好奇心から見に行ったのが始まりです。当時は「ブラインドサッカー」という呼び名もなく、「視覚障がい者の人たちがやるサッカーみたいな競技をのぞきに行く」といった感覚。サッカーがものすごく好きだったわけでも、視覚障がい者への理解があったわけでもありません。むしろ、障がい者には苦手意識を持っていて、正直なところ、「あまりかかわりたくない」と思っていました。

 

-合宿に行ってみていかがでしたか?

もう、待ち合わせ場所に着くなり後悔の嵐です。すぐそばで僕と同じくらいの年齢の男性が5名くらいの選手たちをすっと介助して歩いているのに、僕は何をすればいいのかわからず、立ち尽くすばかり。バスで隣り合わせた選手と自然に話すこともできず、「なんで来ちゃったんだろう」と思いました。ところが、選手の一人に「ザキちゃん(松崎さんの愛称)もやってみなよ」とアイマスクを渡され、30分ほどパスの練習をしているうちに、なんだか、彼らの輪に入っていけそうな気がしたんですね。練習以外でも一緒にお風呂に入ったり、夜は少し飲みながら男子トークをしたりして、合宿から帰るころにはみんなと友達みたいになっていて。自分の中にあった障がい者に対する強い偏見が、一緒にピッチに立つことで消えていった。それは僕にとってものすごくインパクトのある経験でした。

 

自分にできそうなことをやっているうちに役割や出番を与えられた

-その後はどのようにブラインドサッカーとかかわっていったんですか?

合宿から戻った後に関東在住の選手から「練習場所がない」と聞き、地元の小学校のグラウンドを借りるお手伝いをしたんです。それをきっかけに、現在僕が所属する「日本ブラインドサッカー協会(以下JBFA)」の前身団体の活動に参加するようになりました。大学卒業後は出版社に就職しましたが、仕事の合間に活動は続けていて、試合にゴールキーパー(※2)としての参加や、開催が始まって間もない日本選手権の運営のサポートなどをしていました。自分にできそうなことをやっているうちに役割や出番を与えられ、みんなの役に立てたり、失敗して悔しい思いをしたり、リアルな手応えを感じられる。それは僕にとって、会社の仕事では得られない報酬でした。

(※2)ブラインドサッカーのゴールキーパーは晴眼者(視覚に障がいのない人)または弱視者が担当する。

 

当時、選手たちとは毎週のように飲みに行っていました。今では日本代表として活躍している選手も当時は上手とは言いづらい状態で(笑)。ピッチでけんかもしながら、「強くなるにはどうすればいいか」をみんなで真剣に探す日々でしたね。

 

-専業として携わるようになった経緯は?

ブラインドサッカーを含め、当時の障がい者スポーツの協会にはお給料をもらって働いているスタッフはおらず、行政の支援やボランティアで成り立っている状態で、お金のことを考えるのはタブーというような雰囲気があったんですね。でも、僕はこの世界の常識を知らなかったので、「自分たちで事業を展開して資金を得れば、活動の幅が広がるのに」という思いが強くて。一方、出版社では雑誌の記者として忙しくしていて、ブラインドサッカーの活動に費やせる時間がほとんど取れない時期もある。協会の先輩たちにあれやこれや提案するものの言葉に説得力がありませんでした。

 

そこで、1年かけて事業計画を練り、協会の方々の賛同を得られたら専業でブラインドサッカーに携わる覚悟でプレゼンテーションをしたところ、「そこまで言うなら、やってみたらいい」という言葉を頂きました。実はもともとは協会に迷惑をかけないよう独立して事業を立ち上げ、業務提携というスタイルで一緒にやっていけたらと考えていたんです。ところが、その日の夜に理事長と初代の事務局長から呼んでいただき、「ぜひ、協会の中で実現していってほしい」と2代目の事務局長を任せていただけることになりました。

 

自分のスタンスを変えることで、相手の理解を得られるようになった

-事務局長就任後、事業計画はスムーズに実現しましたか?

若気の至りと言いますか、ブラインドサッカーに専従することを決めた時は、「まあ、なんとかなるだろう」と思っていたんですね。でも、実際は全然なんとかなりませんでした(笑)。今でこそJBFAには30社ほどの協賛企業に付いていただいていますが、当初は2カ月かけて200社にアプローチし、アポイントが取れたのは3社ほど。そのうち2社は1度お会いしたきりで、1社はお茶飲み友達になってしまいました。一般の小学生を対象としたブラインドサッカーの体験授業も企画し、「ブラインドサッカーの楽しさを知ってほしいんです」と学校へのアプローチも始めましたが、興味を持ってくださる先生はいませんでした。「子どもにブラインドサッカーをやらせても、教育的になんの意味もないじゃない」と率直に言われたこともあります。

 

-厳しいですね…。

「一生懸命やっているのに、なぜ理解してもらえないんだろう」と落ち込みました。でも、その先生の言葉で気づいたのは、「自分たちはどこかズレているんじゃないか」ということです。当時は「日本代表が頑張っているから、応援してください」「ブラインドサッカーを知ってください」とお願いをするばかりで、こちらが企業や学校にどういう価値を提供できるかをまったく説明できていませんでした。「価値を提供して初めて対価が払われる」というのはビジネスでは当たり前のことですが、その視点が欠けていたことを反省しました。

 

だから、今ではまずコミュニケーション力やチームビルディング、多様性の理解といったスキルの向上を目的としたワークショップに参加していただき、ブラインドサッカーの意義を実感してもらった後に協賛のお申し出を頂くというケースがほとんどです。企業に協賛をお願いしに行くことはなくなりました。かつては「体験会」と銘打っていた小学校での体験授業も、「スポ育」と名前を変えて、「子どもたちの教育にこんな効果がありますよ」と伝えるようにしました。そうやって自分たちのスタンスを切り替えることで、応援してくださる方が増え、競技の認知度も高まっていきました。

後編では松崎さんの取り組みによる視覚障がいがある選手たちの変化や、今後の課題についてお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 11月29日更新予定)

 

INFORMATION

日本ブラインドサッカー協会公式サイト http://www.b-soccer.jp

大会やイベントの最新情報を掲載しているほか、ブラインドサッカーの歴史やルールもわかりやすく解説。松崎さんや日本代表の選手たちのブログも読める。

 

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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