松崎英吾さん(NPO法人日本ブラインドサッカー協会 事務局長)の「仕事とは?」|後編

まつざき・えいご●1979年、千葉県生まれ。2003年、国際基督教大学卒業後、株式会社ダイヤモンド社、ベネッセ・コーポレーションに勤務。業務のかたわらブラインドサッカーの手伝いを続けていたが、「ブラインドサッカーを通じて社会を変えたい」との思いで、2007年11月より日本視覚障害者サッカー協会(現・NPO法人日本ブラインドサッカー協会)の事務局長に就任。スポーツにかかわる障がい者が社会で力を発揮できていない現状に疑問を抱き、障がい者雇用についても啓発を続ける。サステナビリティ(持続可能性)を持った障がい者スポーツ組織の経営を目指し、事業型非営利スポーツ組織を目指す。

前編ではブラインドサッカーに出合い、競技団体の事務局長として組織の運営を軌道に乗せるまでをうかがいました。
後編では松崎さんの取り組みによる視覚障がいがある選手たちの変化や、今後の課題についてお話しいただきます。

ビジョンを明確化し、共有することで進むべき道が見えた

-事務局長に就任されて今年で10年目。企業向けの研修プログラムや「スポ育」も今やキャンセル待ちの人気とか。プログラムの講師は視覚障がいのある選手たちが務め、雇用にもつながっているようですね。

何よりもうれしいのは、事業を通して彼らの姿勢がポジティブに変化したことです。僕がブラインドサッカーに出合い、視覚障がいがある選手たちと交流を深める中で、不思議に思うことがあったんですね。どの選手もピッチではすごく積極的なのに、ピッチから一歩出た途端、どこか受け身になってしまう。更衣室で着替えて、ふと周囲を見渡したら、さっきまで「しっかり声を出して!」とリーダーシップを発揮していた選手が介助されるのを待って立ちすくんでいたりするんです。「ひと声かけてよ」と言うと、「そっちがかけてよ」なんて言い返され、こちらも思わずムカッとしたりして(笑)。彼の心細い思いはもちろん理解できるのですが、「ピッチであれだけ自由に動いているのに、どうして」と歯がゆく思っていました。

そんな選手たちが、今では「スポ育」で子どもたちを前に自分の障がいとの向き合い方や競技について胸を張って語っている。その語り口も「支えてください」という受動的なものから、「僕はこんなことを社会に働きかけていきたい」という能動的なものに変わっていきました。「自分が発信をする」「自分が価値を創出していくんだ」という意識がみんなの中に育っていることを感じます。ただ、障がいのない方たちを対象とした事業を始めるに当たっては、選手や協会関係者から「競技団体というのは選手の強化や競技がミッションなのに、どうしてこんなことをするのか」「障がいのない人たちに対して、なぜ障がい者がサービスをしなければいけないのか」という批判も少なからずありました。

-どのようにして協力を得られるようになったのですか?

僕が事務局長に就任した当時、協会には明確なビジョンが掲げられておらず、僕自身も一つひとつの事業をなんのためにやるのか言語化できていませんでした。事業をみんなになかなか理解してもらえないのは、それも理由の一つかもしれないと考え、策定したのが「ブラインドサッカーを通じて視覚障がい者と健常者が当たり前に交ざり合う社会を実現すること」というビジョン。これは選手や理事はもちろん、ボランティアさんやマスコミ関係者など協会をサポートしてくださる方たちを集めてワークショップを行い、みんなで決めたものです。策定までにはさまざまな議論もありましたが、ビジョンを明確化し、共有することで進むべき道が見えたことがすごく大きかったですね。障がいのない人向けの事業についても「障がい者と健常者が交ざり合うというのは、障がい者に向けてアクションを起こすだけでは実現しない。マジョリティーの人たちに働きかけ、社会の在り方を変えていくことが大事だよね」とクリアに説明できるようになり、一人ひとりに納得して協力してもらえるようになりました。

「2020年」が追い風になるかリスクになるかは自分たち次第

-今後に向けて、課題に感じていることはありますか?

現在は試合に足を運んでくださるお客さまや協賛を頂く企業が増えていますし、「スポ育」などの事業も好調ですが、2020年の東京パラリンピック以降もこの需要が続くかどうかはわかりません。「2020年」が追い風になるか、リスクになるかは僕たち次第。パラリンピック競技の注目度が高まっている今だからこそ、事業拡大と合わせて、観戦環境を整えたり、「スポ育」などのプログラムの意義や効果を広く伝えていくなど地盤固めも大切にしようと思っています

学生へのメッセージ

学生時代はまだ勉強や経験が十分ではなくて、自分が思い描いていることを発信した時に「学生のくせに生意気な」と否定されることも多いかもしれません。でも、その生意気さこそが学生の財産で、社会を知らないからこそ、真っ白なスポンジで物事を吸収して、枠にとらわれずに何かを思い描ける。僕も今、38歳でブラインドサッカーに出合ったとしたら、障がい者スポーツにかかわる仕事で食べていったり、障がい者のスポーツを障がいのない人に広げていくことが「実現できる」とはイメージできなかったはずです。「よそ者」「若者」「バカ者」だったからこそ、夢を大きく広げることができた。学生時代に描いた理想とか夢というのは社会に出ても心の真ん中にあって、迷ったときも道しるべとなるものなので、今の皆さんの社会に対する感じ方、捉え方を大事にしてほしいなと思います。

松崎さんにとって仕事とは?

−その1 自分にできることをやるうちに、役割や出番を与えられる

−その2 相手に対して価値を提供して初めて、対価が払われる

−その3 ビジョンを明確にすることで、進むべき道が見える

INFORMATION

日本ブラインドサッカー協会公式サイト http://www.b-soccer.jp

大会やイベントの最新情報を掲載しているほか、ブラインドサッカーの歴史やルールもわかりやすく解説。松崎さんや日本代表の選手たちのブログも読める。

編集後記

松崎さんは大学入学時からジャーナリストを志望し、卒業後は雑誌の記者に。その後、日本ブラインドサッカー協会の事務局長となり、活躍のフィールドは移りましたが、職種が変わっても仕事に向かう原動力は同じだそうです。その原動力とは「本質的な問題だけど、世の中であまり知られていないことを明らかにしたい」という思い。浪人時代に環境問題を報じた記事を読んでその内容に衝撃を受け、「世の中の大事なことは埋もれていて、みんなが知っているとは限らない」と感じたことがきっかけだったそうです。「学生時代に描いた理想とか夢というのは社会に出ても心の真ん中にあって、迷ったときも道しるべとなる」という松崎さんのメッセージは、ご自身の体験に裏打ちされたものだけに大きくうなずけました。(編集担当I)

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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