仕事とは?

Vol.246 <後編>望月衣塑子

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もちづき・いそこ●1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東京新聞を発行する中日新聞東京本社に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をスクープし、自民党と医療業界の利権構造の闇を暴く。経済部記者などを経て、現在は社会部遊軍記者。防衛省の武器輸出政策、軍学共同などをメインに取材。2017年4月以降は森友学園・加計学園問題の取材チームの一員となり、取材を続けながら、官邸会見で質問を重ねている。著書に『武器輸出と日本企業』(KADOKAWA)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著、あけび書房)。2児の母。

前編では望月さんが注目を浴びるきっかけとなった官邸会見に出席するまでの経緯や、現在の活動の背景にある駆け出し時代の経験についてお話しいただきました。後編では出産・育児の仕事への影響や、逆風を受けながらも官邸会見での質問を続ける理由をうかがいます。

子育てとの両立に不安を感じ、転職を考えたこともある

-お子さんもいらっしゃるそうですね。新聞記者のお仕事との両立は大変ではないですか?

以前のように午前3時に酒席に呼び出されたり、午前6時過ぎに朝回り(担当先を早朝に取材すること)をしたり、ということはなくなり、朝9時から夕方18時、19時まで仕事をする生活にシフトしたので、健康的になりました。ただ、試行錯誤もありました。それまでは夜討ち朝駆け(予告なく早朝や夜遅く取材先を訪れること)が私にとっての取材の基本でしたが、子どもがいたら同様の働き方は難しくなります。第1子の育児休暇中は両立に不安を感じました。手に職をつけて転職した方がいいんじゃないかなと思い詰め、司法試験のガイドブックを眺めたこともあります(笑)。

 

実際、育児休暇から復帰後は経済部に配属されましたが、出産前のようには働けず、悩みました。そんな時に上司が「日々の取材にはあまりこだわらずに、テーマを絞り込み、問題意識を強く持って掘り下げてみたら?」とヒントをくれたんです。おかげで遊軍記者として調査報道に腰を据えて取り組むようになりました。「武器輸出」というテーマに出合ったのは、2014年に第2子の育児休暇から復帰した直後。「武器輸出三原則」が撤廃されて「防衛装備移転三原則」が閣議決定され(2014年4月)、武器の輸出入が実質的に解禁されたことがきっかけです。これまでの「戦後日本」とは明らかに異なる動きに得体の知れない怖さを感じ、未来の子どもたちのためにも自分の記事を通じて少しでも警鐘を鳴らせればという思いから取材を重ねています。また、「武器輸出」の取材を通して抱いた現政権への疑問や懸念も「官邸会見に出席したい」という気持ちにつながりました。

 

世界を変えるためではなく、世界に自分を変えられないために

-今も官邸会見に通われていますが、菅長官の対応に変化は?

以前と変わらず、私が手を挙げてもなかなか当ててもらえず、誰も質問する人がいなくなるとやっと当ててもらえる、という状況です。途中で質問を内閣府の報道官に打ち切られてしまうことが増えました。それでも、菅長官は質問すれば何かしら答えてくれますから、ひと言も答えをもらえないこともあった支局時代の警察回りとは違います。回答の内容は「ご指摘のような事実はありません」「まったく問題ありません」といった定型句がほとんどですが(笑)。

 

疑問や疑念に対するきちんとしたご説明を頂けているとは言えず、むなしさも感じます。だからといって、質問を続けることに意味がないとは考えていません。冷静沈着で表情を変えることのない菅長官から別の表情を引き出し、その表情を見た人々に少しなりとも何かを伝えることができると思うからです。

 

-社会部記者の望月さんがたくさんの質問をすることに対して同業者から苦情が寄せられたり、「政権批判をするな」と脅迫めいた電話が会社にかかってきたこともあるそうですね。

気持ちのいいものではありませんし、「もう会見に行くのはやめた方がいいかな」と弱気になったこともあります。ただ、私へのバッシングはインターネットの掲示板に書き込まれたり、会社に電話が来たりする程度ですが、政治家の皆さんの中には家族を含めて身の危険を感じるようなたたかれ方をしている方もいる。官邸会見での菅長官もそうですけど、政治家の方々は常に自分をさらけ出して戦っているわけですから、その覚悟は生半可なものではないなぁと、ある種の尊敬の気持ちを抱くようになりました。それに、「出るくいは打たれる」と言いますが、「出るくい」になることで同じ思いを持った方たちからたくさんの応援も頂き、励まされました。

 

-批判を受けてもなお質問を続けるのはなぜなのでしょう?

新聞記者として「警察や権力者が隠そうとする事実を明るみに出すこと」をテーマに仕事をしてきて、それを実行しているだけなんです。やるべきことをやっているだけで、何か大それた思いがあるわけではないんですよ。

 

忘れられない仕事の一つに、さいたま地検の熊谷支部のある検事の暴力団組長に対する不審な捜査の事実を報道したことがあります。当時の最高検察庁の刑事部長は「厳しくこの検事を処分し、捜査・取り調べのありようを見直すべきだ」と言ってくださったと聞いていますが、東京地検、最高検察庁の幹部は記事を書いた私に対して激怒。結局、その検事の処分は総長による口頭注意だけにとどまり、捜査・取り調べの見直しの徹底はあいまいな形となりました。

 

この検事はその後大阪地検に異動となり厚生労働省元局長・村木厚子さんが虚偽有印公文書作成などの罪で逮捕、起訴され、その後無罪となった「障害者郵便制度悪用事件」で村木さんの取り調べを担当。村木さん側から「ストーリーありきで事件を作り上げた」と厳しく批判を受けました。村木さんの無罪確定後、主任検事が証拠を改ざんしていたことも発覚。事件当時の特捜部長や副部長までが逮捕されるという、検察史上始まって以来の特捜部の不正事件へと発展したことは周知の通りです。

 

改ざん事件後、さいたま地検熊谷支部の報道で私を批判したかつての東京地検幹部がこんなことを言ってくれました。「あの記事の根底にあっただろう『こんな取り調べや捜査を検事がやることが許されるべきか』という、おまえに記事を書かせた声なき検察関係者の声にもっと真摯(しんし)に耳を傾けるべきだった。厳しい処分と併せて、捜査や取り調べのありようを徹底的に見直せば、その後の無罪事件にもつながらなかったはずだ。本当に申し訳ない」。今も時々この言葉を思い出し、社会部記者として私がやるべきことは「権力が隠そう、隠したいという事実を見つけ出し、それをひたすら取材、質問し、報じ続けることだ」と思いを新たにしています。

 

-ご自身の仕事を通して「世界を変えたい」「世の中を良くしたい」という思いは?

もちろん世の中がいい方向に向かってほしいと思いますが、自分の仕事によって「世界を変えたい」とはあまり思わないんです。政治や社会問題にかかわりが深くなると、つい「なぜ世の中は変わらないんだろう」「どうしてみんな気づかないんだろう」といら立ちがちですが、人にはそれぞれの価値観があって、自分の思いや正義と感じるものを人に強制すべきではないと思っています。

 

だから、「世界を変えたい」とは望まないけれど、「自分を世界に変えられないように」という思いはあります。インドの独立の父、ガンジーの言葉に「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって、自分が変えられないようにするためである」というのがあるんです。時代や国際情勢によって社会の価値観は大きく変わっていきます。それでも、自分にとって「これだけは」と思うものは貫いていきたい。自分が理不尽だと感じることを「おかしい」と言い続ける。その覚悟を私はどれだけ持っているのかと自分に問いかけながら、今の自分にできることを一つひとつ積み重ねていきたいと思っています。

 

学生へのメッセージ

私が新聞記者を志したのは、フォトジャーナリストの吉田ルイ子さんが南アフリカのアパルトヘイト政策について書いた本を中学生の時に読んだのがきっかけです。就職活動では新聞記者の先輩が「大変なこともあるけれど、本当に面白い仕事だよ」と熱く語る言葉を聞き、ますます憧れを募らせました。ところが、結果はさんざんでした。ようやく拾ってくれたのが東京新聞でした。入社後は記者の仕事を外され、希望していなかった部署に配属されて転職を考えた時期もあります。

 

思い通りとは言えない仕事も経験した立場から言えるのは、どんな職種に就くかよりも、自分がどういう思いを持って社会で生きて行くかによって仕事の充実感は変わるということです。第1志望の仕事に就いても目標を見失って辞めてしまう人もいれば、思い通りの仕事に就けなくてもそこに自分の思いや社会への思いと重なるものを見つけて力を発揮できる人もたくさんいます。将来の仕事を考えるときには、「何をやりたいか」というよりは自分が生涯を通して守り通していきたいことは何なのかを出発点にするといい出合いに恵まれるのではと思います。どの仕事に就いているかで、その人の価値が決まるわけではまったくありません。どんな仕事でも、その仕事に対して、どう自分が真剣に向き合い、社会とどうコミットしているのか、そういうことを常に考え続けることこそが、一番大切なのではないかと思います。

 

望月さんにとって仕事とは?

−その1 スキル以上に、どれだけの情熱を持ち、本気で考えているかが大事

−その2 「もっと突っ込んだ取材はできなかったのか」と常に問い続ける

−その3 自分にとって「これだけは」と思うものは貫き通す

 

INFORMATION

近著『新聞記者』(KADOKAWA/800円+税)には、望月さんの東京新聞記者としてのこれまでの仕事ぶりや、幼少期から新聞記者になるまでの歩みがつづられている。激しいバッシングにさらされながらも、望月さんが官邸会見で質問を続けるのはなぜなのか。根底にある仕事への真摯な思いが伝わってくる一冊。

 

編集後記

2児の母でもある望月さん。出産後、勤務時間などの制約は生じるようになったものの、育児を通して視点が増えたと感じることも多いそうです。「保育園でさまざまな職業のママたちと知り合って世間話をしていると、政治家のファッションを楽しんでいる人もいれば、テレビに映る笑顔を見て『いい人そうよね』と好印象を持ったりしている。以前なら『なんでみんなもっと深く考えないんだ』と疑問に感じたかもしれませんが、今はみんなが新聞記者をやっているわけではないことに気づきました(笑)。価値観や関心は人それぞれで、自分にとって身近ではない分野においては判断が報道のイメージに左右されるのも無理はありません。だからこそ、きちんと政治や社会の問題を伝えていきたいと思っています」と話してくれた望月さん。かたくなさを感じさせない、気さくな女性でした。(編集担当I)

取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子

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