企業TOPが語る「仕事とは?」

Vol.39 三菱電機株式会社

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1952年、兵庫県生まれ。東京大学大学院修了。77年、三菱電機入社。電力・産業システム部門に長く在籍。2008年、常務執行役電力・産業システム事業担当。10年、取締役 専務執行役経営企画・関係会社担当。12年、代表執行役 執行役副社長半導体・デバイス事業担当。14年より現職。

発電所の巨大タービンの設計開発に携わる

今思えば、子どものころから理科系人間でしたね。家のラジオの中身を分解してのぞいたり、それが高じて自分で無線機を作るようになって。中学、高校ではアマチュア無線に夢中になっていましたが、無線機を作るのが楽しかったんです。そのまま、ごく普通に工学部に進みました。

 

大学で印象深いのは、山登りです。登ってみると、本当に気持ちいいんです。大学の外のクラブに加わり、毎週のように丹沢(神奈川県)や谷川岳(群馬県・新潟県)など、東京近郊の山に登っていました。

 

工学部では機械工学を学びました。専門分野は潤滑(摩擦を減らし動きを滑らかにする)。シャフト(動力を伝達するための回転軸)の軸受けの研究です。卒論は高速回転体で、大学院でもその研究を続けました。研究者になろうと博士課程まで進みました。国家公務員の道にも興味があり、上級試験にも合格。さまざまな事にチャレンジしてきましたが、「モノづくりの楽しさ」についてあらためて考えてみたとき、やはり手がけた製品が社会で活躍する醍醐味(だいごみ)に勝るものはなく、これは実業の方が面白いかもしれない、と強く思うようになりました。それで、博士課程を中退して企業に入る道を選びました。

 

大学時代に研究していたのが高速回転体だったわけですが、世の中で最も大きな高速回転体は、発電所のタービン(流体のエネルギーを有用な機械的動力に変換する回転式の原動機)です。私は関西出身でしたので、関西で発電機や大型モーターに携われるところ、ということで出合ったのが、三菱電機でした。結果的に7年前に東京に来るまで、31年間、神戸で暮らしていました。

 

入社後、発電所のタービン発電機に携わりますが、今でも覚えている光景があります。上司だった課長の目標が、「技術的自立」というものだったんです。これには驚きました。

 

日本の高度成長期、電力が足りず、大容量の発電機が求められるようになりました。ところが、小型の発電機を作る技術はあっても、大型の発電機を作る技術がなかった。そこで、アメリカから技術ライセンスをもらって作っていたんです。

 

大型の観光バス一台くらいの大きさで、その中に重さ60トンのローターが毎秒60回まわるタービン。とんでもない遠心力が働き、振動のバランスを取るのも難しい。アメリカからもらってきた図面を基に作っていたわけですが、いつか自分たちで製品開発できるようになろう、というのが当時のチャレンジだったんです。新人でしたが、そんなチームに加わり、自分たちでの開発が始まりました。

 

例えばアメリカからもらった図面を見ると、発電機内のゾーンを区切る仕切り板にいくつか穴があいていたりする。しかし、それが何のための穴なのかがわからない。冷却のためか、掃除のためか。それぞれの穴の正体を探るためには、用途を自分たちで解読するしかありません。そうすることで初めて、自分たちで設計することができるようになる。こう言うと簡単そうですが、やってみると本当に大変なんです。

 

6年間ずっとこの技術の自立に取り組んで、31歳からはライセンス提供していたメーカーとの技術者交換契約で1年間、アメリカで仕事をすることになりました。日本人がまったくいないところで一人で仕事をする。英語が流ちょうにできたわけではありませんでしたから、やはり苦労がありました。仕事は専門用語ですからなんとかなりますが、むしろ生活面で困りましたね。

 

それでも数カ月で英語にも慣れ、図面ではわからなかった部分を確かめようとしたのですが、そこで働いている人たちから満足な情報を十分に得られませんでした。残念であったと同時に、これはチャンスと考え、絶対に技術的自立をするぞ、とますますやる気になりました。

 

一方で、アメリカが進んでいたこともたくさんありました。いろんな技術者が携わることができるようマニュアルづくりが徹底されていたことや、品質を保ち、効率よく仕事を進めるための設計審査など、仕事の仕組みをたくさん学びました。

 

一年間でしたが、この経験は大きかったと思います。いかなる逆境の中でもやっていけるという自信や度胸もつきましたね。

 

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難題へのチャレンジ、その支えは「いい製品を作りたい」という気持ち

帰国してからの30代も、技術的自立との闘いでした。20代もそうでしたが、とにかくたくさん失敗しました。私はもしかすると、社内で最もたくさん失敗をした人間かもしれません。しかし、やったことがないこと、難しいことをすれば、最初は必ず失敗します。大事なことは、そこから失敗の原因を見つけ出し、それを分析して二度と起こらないようにすることです。これを何度も繰り返したことが、大きな財産になりました。

 

そして、たくさん失敗する私を、とがめたり、責めたりする上司は本当にいませんでした。そうやって、わからないことを少しずつ一つずつ解決していったんです。

 

しかし、来る日も来る日も、次から次にやってくる難題にチャレンジするのは、本当に大変でした。毎日、必死でしたね。このころは、最もハードワークをしていました。妻には今でも言われます(笑)。

 

そんな毎日を支えていたのが、いい製品を作りたい、という気持ち。どこにも負けない、いいものを作って、お客さまに評価してもらう。それだけを考えていました。

 

その間、自分たちで自立できたアイデアを取り入れた技術がどんどん出て行きました。コスト、性能、効率を追求し、やがて自分たちの技術だけで大型の発電機ができるようになったんです。技術的自立を果たしたんです。これはやっぱりうれしかった。

 

よりいいものにする、という開発は今も続いています。つい最近も後輩たちが世界を驚かせる発電機を開発したと報道発表されました。かつては夢だったことを、どんどん実現させているんです。技術的自立から始まり、どんどん技術を追求していく姿勢が今なお継続しているというのは、本当にうれしいこと。私たちのコーポレートステートメントである「Changes for the Better」“常により良いものを目指して変革していく”が、まさに実践されているということです。

 

40代は、発電機の開発を離れて発電プラントの仕事をしたり、現場を持つ製造部長を担ったり、50代では香川県の受配電システム事業所長、神戸にある電力システム製作所長などを務めていました。

 

その後、東京に来て、会社の経営に加わることになりました。私はもともと技術者ですが、技術と経営は決して別々にあるものではないと思っています。それこそ、液晶テレビから人工衛星まで作っている会社ですから、あらゆる分野の技術を完璧に理解することはできませんが、一人ひとりが、情熱を持って、技術開発に挑戦し、いい技術を作り続けていくこと、それができる環境を作り上げることが大切だと思っています。いい環境を作ることが、社会を豊かにすることにつながっていくからです。

 

私たちの企業理念は、技術・サービス・創造力の向上を図り、活力とゆとりある社会の実現に貢献することです。今後も省エネルギー、セキュリティなど、いろんなステージで生活レベルの向上に貢献できる会社になりたいと考えています。

 

そのためにも必要になるのが、チャレンジし続ける姿勢です。野球でいえば、打席に立ってバットを振らないといけない。一度は空振りするかもしれません。そうしたら、その原因を追究し、次はどうすればボールが当たるか考えてから打席に入ればいい。とにかくバットを振らなければ、何も始まらないんです。当たることもないし、何も見つけられない。挑戦した結果、失敗しても、原因を見つけ出し、それを解決することで、成功につながる。だから、三菱電機はチャレンジができる会社であり続けたいと思っています。

 

思い出すと入社式のとき、当時の役員からこんなことを言われたのを覚えています。月に1冊は専門書を読め、と。常に自ら行動し、向上心を持ち続けろ、ということです。これは、どんな仕事でも言えることだと思います。

 

今も本はたくさん読みます。理工系の専門書を読むことは減りましたが、経営哲学から宇宙、時代小説まで、いろんなものを読みます。向上心があれば、ずっと学び続けられる。そして、必ず何かを得ることができるんです。

 

新人時代

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会社に入った年の10月に結婚。休日には、妻とよくテニスを一緒に楽しんでいました。写真は1983年にアメリカに交換留学に行った時のもの。技術的自立という目標に向かって挑んでいました。タービンの冷却ひとつとっても、風がどんなふうに流れるのか、その解析から始まりました。来る日も来る日も、自分たちで設計できるよう技術開発に挑む日々でしたね。

プライベート

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40代後半からは、久しぶりに無線を楽しみました。パソコンでシミュレーションし、思うようなビームパターン(アンテナの特性を表す指標)のアンテナをいかに作るかに夢中になっていましたね。その後引っ越しをして、無線ができなくなっていたので、そのころから本格的に始めたのがゴルフ。最近の休日は、妻と行くことが多いです。会話しながら自然(森林の中)を歩くのが気持ち良いですね。

 

取材・文/上阪徹 撮影/刑部友康

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