企業TOPが語る「仕事とは?」

Vol.45 株式会社ワールドホールディングス

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1956年、京都府生まれ。義兄が経営する建売会社を経て、81年に三晋産業(現・株式会社ミクニ)を設立し、社長に就任。93年、製造業向け人材派遣・業務請負を行うワールドインテック設立し、取締役を経て、99年に社長に就任。同社は、2005年ジャスダック上場。人材・教育、不動産、情報通信ビジネスなどを展開。11年から現職。14年、持株会社体制へ移行し、商号をワールドホールディングスに変更。16年、東証1部に市場変更。現在、関連会社25社を束ねる。

お客さまに本当に喜んでもらえた、という感動

仕事のキャリアの始まりは、義理の兄が経営する建売住宅の会社からでした。入社式もなければ、新入社員研修もなかった。いつの間にか社会人になっていた、という感じでしたね。
仕事は、材料の手配をしたり、力仕事をしたり。ラッキーだったと思うのは、モノづくりは本当に楽しかったということ。それこそ家がどうやって造られるか、どんな材料が必要になるのか、その工程が全部頭の中で描けるようになりました。

 

当時は日本経済が急成長し、自分の家が欲しい人たちが多かった時代。家づくりは感謝される仕事でした。今も忘れられないシーンがたくさんあります。新築の家は鍵の引き渡しの儀式があるんですが、これが感動的なんです。借家のときは、ドアをバタンと閉めていた子どもたちが、そっと閉めたり。子ども心にわかるんですね、大事なものだということが。そういう毎日に感動して、いい仕事だと思いました。

 

「この職業に就くぞ」と一生懸命に勉強するのも幸せなことだと思いますが、明確になっていない中で、たまたま出会う仕事というのも幸せなことだと私は思っています。私も住宅や不動産の仕事をするなんて、まったく思いもしなかった。でも、真剣にやっている中で、楽しくなっていったんです。この仕事に就いて良かった、と思うようになった。皆さんも、そういう瞬間がきっと待っていると思って、仕事をしてほしいんです。

 

時代はちょうど、建売住宅から注文住宅への過渡期でした。建売住宅で大きく成功していた義兄は、早くから会社はもうやめる、と言っていました。これから先、リスクを取って、新しい事業にチャレンジすることはしない、と。
私はそうではありませんでした。注文住宅の事業に挑んでみたかった。そこで、起業するんです。入社した頃は、経営者になろうなんて思ってもみなかった。でも、新しく住宅の仕事を自分でやってみたかった。そこに一人、二人と仲間が加わってくれました。

 

しかし、住宅の会社には、大きな資金が必要になるんです。貯めていた貯金から出した資本金は300万円。銀行からもお金は借りられない。困りました。しばらくして、北九州の小倉に三井のリハウスができたんですね。当時、地元の不動産会社7社が集まって共同仲介の形で展開していた。私は知人のツテをたどって、そこに参画しました。
そんな形から始まって、三井不動産に認められて自分の会社が特約代理店に。社員みんなで頑張って仲介でダントツの成果を上げ、最終的には三井不動産と一緒に共同出資で九州北部リハウスをつくり、その初代社長になりました。

 

どうして不動産仲介で結果を出すことができたのか。それは、いち早く見込み顧客の情報をつかめたからです。例えば、7社共同で仲介で展開していたとき、私は朝みんなが来る前からやってきて、電話対応をしていました。帰りは、みんなが帰ってからも電話を取った。不動産を売りたい相談などは、夜かかってくることが多かったんです。そうやって、たくさんの見込み客を獲得することができた。
どうしてこんなふうに頑張れたのかというと、生きていくためにはやるしかなかったからです。だから、頑張れた。そしてそんな姿を、周囲が認めてくれたんです。

 

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幸運だったのは、年配の人、目上の人にかわいがられたこと

九州北部リハウスで不動産仲介の事業を展開してコツコツと収益を上げながら、私自身は九州を出て仕事をするようになっていました。同じ働くなら、大きなマーケットでやりたいと思ったからです。東京や大阪に出張し、九州の物件を提案したり、九州の富裕層に東京や大阪の物件を紹介したり。これが思った以上にうまくいきました。時代は、バブルの直前でした。
このときも、見込み客のリストをしっかり持っていたことが大きかったと思います。知人のツテをたどり、飛び込む。ただ、そう簡単に会ってもらえません。どうするのかというと、毎日、通いつめたんです。そうすると、相手も変わっていく。信頼をもらうことができれば、また次につながっていく。その繰り返しでした。

 

日本ではなかなか資金が調達できない状況に変わりはありませんでした。そこで、私は海外に出ることにしました。ハワイでモールを造ったり、マンションを開発したり、ホテルを造ったりする。プロジェクトファイナンス(※)の仕組みが、アメリカにはもうあったんですね。だから、私たちのような小さな会社でも手がけることができた。
そのままロサンゼルスに進出しようとしていたとき、バブルが崩壊するんです。海外で仕事をしていたこともあって、早く崩壊に気づくことができた。だから、大きな傷を受けずに済みました。

 

※  資金調達を行う際に、プロジェクト自体から生じるキャッシュフロー(事業から発生する収益や事業の持つ資産)をもとに資金を調達する方法のこと。

 

このときに強く感じたのは、一つの仕事だけをやっていくリスクです。不動産1本では厳しい。もっと違う仕事に参入していかないといけない。たまたま、早くから人材ビジネスの可能性を訴えていた役員がいて、不動産会社をベースにして、モノづくりに特化した人材ビジネスを立ち上げるんです。10年で上場させよう、と考えました。実際、11年目で上場をする。これが、ワールドインテックです。

 

同時にいろんなビジネスを模索しました。会社を安定させるには、リスクヘッジをしないといけない。私は「3分の1論」と呼びますが、会社のみならず事業も最低3つの柱をつくるんです。実際、リーマン・ショックの時には情報通信ビジネスが会社を支えてくれた。そして、この時、不動産ビジネスに再び大きく踏み出すんです。

 

人材・教育、不動産、情報通信…。複数の事業を展開するのは大変ではないか、と問われることもありますが、そんなことはありません。なぜなら、手がけているのは、みんなプロだから。私たちは、プロの集団なんです。当社には、業界のトップを張った人間も少なくない。プロを集め、彼らが若い人に教え、ビジネスを大きくしてきたんです。
経営者の仕事は売り上げをつくることですが、それはすなわち優秀な人材を集めてくることだと私は思っています。そのために、いつもアンテナを立てて、私自身も全国を回っています。各事業のトップにもよく言いますが、優秀な人材を集めて組織ビジョンをしっかり作れば、ある程度、任せておいても成長するんです。大事なことは、適材適所の人材を探してくること。そしてどれだけ優秀な人間を集めてこられるか、です。

 

私が幸運だったのは、年配の人、目上の人にかわいがられたことだと思っています。たくさんのことを教えてもらうことができた。経験のある人というのは、誰かに教えるのが楽しいんです。だから、素直に教えを請う。そうすると、喜んでもらえる。
でも、いつか先輩に追い付き、そして追い抜くときが来ます。そのときは、ちゃんと帽子を取ってあいさつができる人間にならないといけません。そうでないと、足を引っ張られることになりかねない。謙虚さは大事です。人はついそのことを忘れてしまう。つい勘違いしてしまう。だから私は、手帳の最初のページに「謙虚であれ」と書き記しています。手帳を開くたび、それが目に飛び込んでくる。ハッとわれに返る。自分は何もわかっていない、ということを思い出すんです。

 

実際、私たちは知らないことだらけです。どうして私が目上の人に教えを請えたのかといえば、本当に“知らない”からです。わからない、ということを認めないといけない。これは、失敗を繰り返してきたことが大きかったかもしれない。すべてうまくいっていたら、ここまで素直になれたかどうか。
そして、教えは必ず生きてきます。過去を知るからこそ、未来はつくれるんです。基本がわかっていなければ、次には進めない。それを教えてくれるのが、人生の先輩なんです。そういう気持ちで社会に出たら、大きく成長できると思います。

 

働くことは、人が生きる原動力になると私は思っています。人が働くことは喜びなんです。働かないと、人は苦しくなる。実際、義兄の会社に勤めていたころの後半、積極的な事業の展開を控え始めた義兄から、もう働かなくていいと言われた経験を持っています。この時は本当に辛かった。仕事のある喜びをあらためて強く感じました。
この働く喜びを、多くの人にしっかり感じてもらいたいんです。そして働くことは、おのずから社会貢献になる。だから、仕事をつくることは、大きな価値を生むんです。

 

新人時代

24歳で義兄の会社から独立、三晋産業株式会社(現・株式会社ミクニ)を設立しました。不動産の仕事をすることになるなんて、それまでには考えてみませんでしたね。いろんなご縁から一人、また一人と仲間が集まってくれて、会社は少しずつ大きくなっていきました。とにかく生きるために、ガムシャラに頑張っていました。

プライベート

特に趣味はないのですが、花を見るのが好きで、花屋さんをよく訪れますね。買って帰ると枯らしてしまうのが嫌なので、あまり買って帰ることはしません(笑)。花は本当に美しいです。どうしてこんなきれいなものが土の中から出てくるのか、いつも不思議に思っています。花を見ながら散歩したりすることもありますね。

 

取材・文/上阪 徹 撮影/鈴木慶子

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