企業TOPが語る「仕事とは?」

Vol.37 中外製薬株式会社

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1953年、東京都生まれ。北海道大学農学部農芸化学科を卒業後、76年に中外製薬に入社。3年間のMR、国際部を経て、ニューヨーク駐在、中外ファーマヨーロッパ(ロンドン)副社長、医薬事業戦略室長、執行役員経営企画部長。2004年、常務執行役員、10年、取締役専務執行役員。11年、経済同友会幹事。12年より現職。

お互いのプラスを追い求めていくのが、営業の仕事

生まれも育ちも東京ですが、私は北海道の大学に進みました。大きな自然、広大な大地を持つ北海道に住んでみたかったからです。そしてもうひとつ、一人暮らしをしてみたかったからでした。若いときは、のびのびとしたいではないですか(笑)。

 

学生時代に何に熱中していたのかと問われて記憶をひも解いてみると、最もよく覚えているのは、麻雀です。試験中でもやっていたくらいでしたから。麻雀というのは非常に複雑で面白いゲームでしてね。4人で行い、駆け引きも必要になる。フレキシビリティを持って役を作っていかないといけない。ビジネスや経営に通じるところもあるかもしれません。

あとは、大学がバンカラ(飾りっけがなく武骨)な校風だったこともあり、仲間たちとよく飲みました。輪になって寮歌を歌ったりもして。なつかしいですね。

 

私が就職をした1976年というのは、第2次オイルショックの影響による不況で、極めて就職状況が厳しい年でした。私は農学部で発酵などを学んでいて、先輩たちの多くが行っていた会社も考えましたが、ほとんど採用がなかったのです。そんなとき、たまたまダイレクトメールが中外製薬から届いて、興味を持ちました。

その後、採用担当者が来て、募集は営業職になると言われました。振り返ってみると、当時は製薬会社についても営業についても、まるでよくわかっていませんでしたね。今の学生さんは、会社や職種の研究をしっかりされますが、当時の学生はみんな、「来るものは拒まず」という感じだったのかもしれません。結局、製薬会社についても、営業の仕事についても、詳しくは知らずに入社することになりました。

 

おかげで、会社に入ってから驚くことに。そもそも学生時代、何かを売るために誰かに頭を下げたことなど一度もない。そんな状況でしたから、営業の仕事は想像とまったく違う世界に見えたのです。入社から3日で、会社を辞めよう、と思いました。

それで、研修の合間を縫って、大学の研究室の先生のところに相談に行ったのです。大学院に戻ろうかと思います、と言い出した私に、先生は言われました。石の上にも3年という言葉がある。もし3年たっても、同じ思いを持っているなら、戻ってきなさい、と。

 

それで、まずは続けてみようと思いました。そして、やっているうちに、営業の仕事が面白くなっていって。当時の上司が非常に魅力的な人だった、ということも大きかった。大らかで、包容力のある人で、若い私にいろいろと任せてくれた。そのうち、よく売れるようになったのです。こうなると、仕事が楽しくてたまらなくなりました。

製薬業界の営業をMR(Medical Representative)と呼びます。仕事はお医者さんや医療関係者に薬の情報を提供し、自社の医薬品を普及させること。私は、そうした人たちと、すぐに仲良くなれました。最初はもちろんうまくいかないこともありましたが、そもそも、お互いのプラスを追い求めていくのが、営業の仕事。それがわかってから、粘り強く、あきらめず、近づいていって、良い人間関係が作れるようになっていきました。

 

実際、お医者さんや医療関係者には、魅力的な人が多かったです。病院を複数、経営している方もおられました。人間的に本当に立派だと思える人も少なくありませんでした。

時には、仕事を離れて飲みに行かせてもらうこともありましたね。医療のこと、病気のこと、死についてなど、いろいろ勉強させてもらいました。今はできないことですが、昔はそんなふうに、信頼関係を築くこともあったのです。

 

何よりまったく知らない世界でしたから、逆に私にとってはものすごく新鮮だったのです。そして、このMRの3年間は、本当に貴重な経験になりました。直接、患者さんと接したり面談したりすることは、ほとんどありませんでしたが、仕事を通じて病気の大変さ、医療の必要性、薬の大切さを肌で実感することができました。これが、仕事に向かう大きなモチベーションになりました。

 

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結果というのは、努力が7割、運が2割、能力が1割

入社して3年ほどしたころ、製薬業界に国際化の時代がやってきました。会社は、国際化を推し進めるために国際部を作り、私はそこに異動することになりました。

4年ほど本社にいる間、一生懸命に英語を勉強して、アメリカのカンザスシティに赴任しました。国際部からは、アメリカの大学に行く人もいて、私も大学院でサイエンスを学ぶのもひとつの道かと思いましたが、多くの社員が大学に行きましたから、上司から実学をやりなさい、と言われたのです。それで、コントラクト・リサーチ・オーガニゼーションと呼ばれる、研究開発を請け負う会社に行くことになりました。そこで勉強してきなさい、と。

そして、アメリカの薬事や開発の仕方を学ぶことになったのです。

 

カンザスシティは100万人都市ですが、当時、日本人はほとんどいませんでした。20人いるかいないか、というくらいだったようです。ただ、これが良かったのです。まったく違う世界で、ほとんど一人で生きていかないといけない。それこそニューヨークあたりだと、朝から晩まで、一言も英語を使うことなく生活しようと思えば、できる環境がある。日本人もたくさんいますし、日本語が通じるところもたくさんありますから。ところが、カンザスではそうはいかないのです。

また、中西部のアメリカ人ならではの生活習慣も垣間見ることができました。みんな、とてもフレンドリーで、古き良きアメリカが残っているのだな、と感じましたね。

 

こんなキャリアを作れたのも、当時の上司のおかげでした。国際部に行ってこい、頑張ってこい、と私を強く推薦してくださったのです。

もともと一人で北海道の大学に行きたくなるタイプですから、そう言われてみるとぜひ行ってみたいと思うようになりました。何か新しいこと、違うこと、チャレンジングなこと、知らない世界が見られることに対して、単純に強い動機を持っていたのだと思います。

 

その後、いろいろな仕事をすることになりますが、最も印象深い仕事は、と問われると、やはり2002年のスイスのロシュとの戦略的なアライアンスのオペレーションに深く携わったことです。中外製薬は日本ロシュと合併。これは、社運を賭けたプロジェクトでした。準備期間は3年。大変で忙しかったですが、やりがいも大きく面白かったです。

企業合併というのは、後が大変なのです。ひとつの会社として人事も公平に行う必要がある。合併した双方から交代でトップを出すなどということはしてはいけないのです。能力のある人が適正なポジションに就くことが大切。こうした公平さを、とにかく最初から心がけました。

中外製薬という会社は、とにかく真面目です。ちょっと真面目過ぎるくらいですけどね(笑)。でも、そこがこの会社の良さ。長い歴史の中で、歴代トップが作ってきたものだと思っています。そういうトップが多かった、ということです。

 

5代目の社長として何がしたいですか、と問われたら、とにかくいい薬を作りたい、という一点です。患者さんに役立つ画期的な薬を作りたい。世の中に役に立てれば、会社としての利益も出ます。世にまったくなかった、初めての薬を作りたい。それを作れる体制を強化したい。

 

自分が将来、社長になるなんて、まったく考えてもいませんでした。いい会社に出合えたこと、いい上司に恵まれたこと、いろんな偶然が重なって今がある。私がよく言うのは、結果というのは、努力が7割、運が2割、能力が1割だ、ということです。努力をすることも大切ですが、やっぱり運も大きい。それが現実だと思います。

外国人と話すと、運の要素はもっと大きい、と言う人も多いです。3割、4割、5割は運なのではないか、と。ただ、努力をしなければ、運をつかむことはできないと私は思っています。そして運をつかむときに重要なことが、機会をとらえることです。

努力をして、何かの機会に巡り合えたとき、人は大きく成長します。だから、機会は大切にした方が良いし、受け入れた方が良い。機会をテコにして成長することを考えた方が良いのです。

 

そして大きなことと、小さなことと、両方を常に頭に入れておく。着眼大局、着手小局という言葉がありますが、大きなことを考えながらも、小さなことから始めるのです。自分の仕事が所属する組織に、会社全体に、国に、世の中全体にどう役立っているかを、いつも考える。その一方で、目の前のことを一生懸命にやる。それが大事です。

 

新人時代

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※本人:写真左

配属は東京第一支店。MRとして仕事をする一方で、支店内で先輩たちとバンドを組んでいたりもしました。当時、実験動物だったのが、ビーグル犬。感謝の気持ちを込めて、バンド名はビーグルス。日本のポップスなどを演奏し、私はギターを担当。もっとも演奏レベルはちょっと厳しいものがありましたが(笑)。

プライベート

週末はのんびりと過ごすことが多いですね。好きな音楽を聴いたり、日ごろはどうしても運動不足気味になりますから、それを解消するためにウォーキングをしたり。温泉が好きなので、温泉に行くこともよくあります。しっかりとリラックスをすることで切り替えをして、翌週からの仕事に専念することができると考えています。

 

取材・文/上阪徹 撮影/刑部友康

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