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掲載日:2011年1月13日

航空宇宙関係の仕事に就きたいと思うようになったのは、中学生のとき。スペースシャトルが初めて打ち上げられたのを見て感動し、こういう仕事に就きたいなと思ったのです。その思いから大学、大学院では流体力学(※1)を専攻。「流体力学を応用した機械をつくりたい」という希望で、今の会社に入りました。入社以来携わってきたコンプレッサーやタービンなどのターボ機械はまさに私が携わりたかった技術。しかも研究開発部門で流体機械(※2)をつくっていれば満足という私にとって、本当に希望通りのキャリアが歩めてきたと思っています。
2010年4月より担当課長となり、自ら手を動かして開発することよりも、若手エンジニアの育成や予算どりすることなどが私の役割となりました。これまではただ、機械を回すことに一喜一憂していた私ですが、今はいかに10人の部下を育てるかが、最大のミッションです。
その部下に常に言っていることは「研究開発に携わる者として生きていくのであれば、技術ばかであることは最低の条件だ」ということ。私のいう「技術ばか」とは、技術を追究することが好きで、技術力の研さんも楽しんでできる人のこと。技術者にとってコアになる技術がないと、プロジェクトを率いることも、将来、マネジメントに就くことも難しいと思うのです。自分が専門とする知識を深く掘り下げていくことが、キャリアアップには欠かせません。私自身もコア技術を掘り下げてきたから、今のポジションに就いているのだと思います。
民間企業で研究開発に携わる面白さは、なんといっても実機に近い条件で実験ができること。大学では設備や安全性などの問題から実機条件での実験はなかなかできません。実際に自分で考えたターボ機械を動かしてみたい、という人にとっては非常に魅力的な職場です。
とはいえ、コンプレッサーにしろ、タービンにしろ、新しい技術というわけではありません。しかもこれらを開発するうえで欠かせない知識である流体機械を学べる大学も減ってきており、人気もなくなりつつあるようです。確かに変革の激しい技術分野からすると、進化のスピードは緩やかに見えるかもしれませんが、まだまだ開発していかなければならない要素技術もあります。私にとっては自分が設計したターボ機械が実際に運転されるのを見るだけで一喜一憂してしまうほど、面白い技術分野。これからも若い人たちが興味を持ってもらえるよう、この分野を盛り立てていきたいですね。
※1 気体や液体などの流体の運動とその中で運動する物体に作用する力を研究する学問
※2 流体のエネルギーと機械エネルギーの変換を行う機械
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航空宇宙事業本部に配属され ジェットエンジンの開発に携わる |
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入社して配属されたのは東京都西多摩郡の瑞穂事業所にある航空宇宙事業本部。そこで「HYPRプロジェクト」という超音速機のエンジンを試作するという大プロジェクトに参加しました。担当するのはジェットエンジンの一部であるコンプレッサーの空力(※)開発。しかし参加したときは、コンプレッサーの開発の大きな山場は越えていました。実際にコンプレッサーがエンジンに組み込まれたときに問題を生じないかどうか、また性能改善の余地がないか、などを検討するという仕事が、4年間続きました。
この仕事と並行して、「IM270」という発電用ガスタービンの開発にもかかわることとなりました。この開発をメインに担当していたのが、技術開発本部にいた現在の上司です。お手伝い的なかかわりでしたが、こちらの方が面白そうだと思い、入社4年目に入ったころ、異動したいと当時の上司に願い出ました。
IM270の開発が面白そうだと思った理由は2つあります。1つはこれまで携わったことのない技術だったこと。これまで私が経験してきたコンプレッサーは軸流式(交互に並んだ複数の回転翼と静止翼により昇圧させる装置)でした。一方のIM270のコンプレッサーは遠心式(遠心力の作用で昇圧させる装置)だったのです。2つめの理由は航空宇宙事業本部での開発は製品に直結するという面白さはありますが、その半面、長期間にわたる大規模な開発なので、自分が担当するのはその一部。若かったせいもあって開発の全体像が見えにくく、ただ担当する分野をコツコツこなしていく仕事が多かったからです。当時の原動機技術開発部は基盤技術研究所の一部にあり、若手でもある程度自由に自分のアイデアが反映されるような研究開発ができる環境でした。
※ 空気力学の略。流体力学の一つで、空気(気体)の運動作用や空気中を運動する物体への影響力などについて研究する。
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異動の希望がとおり 遠心式のターボ機械の研究開発に従事 |
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異動を願い出て1年後に、希望どおり現在の部署に異動。当時は東京都江東区豊洲の本社にありました。異動後、最初に参加したのはセラミックス・ガスタービンの開発プロジェクト。異動したときはすでにプロジェクトも後半に差し掛かっていましたが、羽根車の空力設計に携わりました。
次に携わったのは世界最小クラスの産業用コンプレッサー「Tx型ターボコンプレッサー」の空力設計です。先輩たちの設計したコンプレッサーの試験や改良設計が主な業務でしたが、あまり大きな成果は上げられませんでした。入社10年間ぐらいは、大きな仕事を担当したという実感はなく、会社には貢献できていなかったかもしれません。
だからといって10年間を無為に過ごしていたわけではありません。仕事で大きな成果を出せなかったかもしれませんが、この時期に自分の発想や着想でさまざまな技術の開発にチャレンジし、失敗したことが、その後の仕事の成果につながったと思います。

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ロケット用ターボポンプの 開発プロジェクトに参加 |
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ある年の上司との面談で「いろんな技術の専門家たちとともに開発する仕事がしたい」と言いました。その希望がかない、入社10年目の01年よりロケット用ターボポンプの開発プロジェクトに参加することとなりました。これは米国のエンジンメーカー向けに燃料ポンプを開発するという大プロジェクト。宇宙開発事業部門のメンバーに加え、技術開発本部からも熱・流体、強度、振動など各技術専門家が多数参加し、開発を進めたのです。同じ技術開発本部に所属しているとはいえ、大きなプロジェクトに参加しない限り、ほかの分野の専門家と一緒に仕事をする機会などなかなかありません。これまであまり話をすることのなかった人たちとのネットワークができたことは、よい機会となりました。このころから、勤務先は現在の横浜事業所に移りました。
この後急遽、換気用ファンの開発を担当することになりました。空力設計にかけられる時間は2カ月。しかも従来機種に比べて大幅に性能を向上させなければならないというハードルの高い仕事でした。最初の1カ月は資料を読んだり、関係者に教わったりしてなんとか進めてきましたが、解決策は見つかりませんでした。そこで今までの延長で考えるのをやめ、まったく新しい形でアプローチすることにしました。当初の予定の1カ月遅れではありましたが、求められた性能を満たせそうな解決策が見つかったのです。そこで製作を開始。4カ月目には試験を実施し、期待していた性能が得られていることがわかり、受注につなげることができました。

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本格的に自分が中心となる 重要プロジェクトが始まる |
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入社13年目となる04年7月に、専門課長に就任しました。専門課長とは実務がメインのプレーイングマネジャーです。そして翌年、入社して初めて本格的に自分が一から空力設計に携わる重要プロジェクトを担当することとなりました。大手業務用空調機器メーカーから売り出すターボ冷凍機向けの遠心圧縮機の開発です。ターボ冷凍機とはビルやプラントなどの大型施設向けの冷却装置。それまで自分が携わってきたターボ機械は主に空気を扱うもので、冷凍機のような冷媒を扱う機械の開発は初めて経験するものでした。そのため空力設計するのにも実験するのにも、それまでに遭遇しなかったやっかいな問題に直面し、開発を進めていく上でいろいろと工夫が必要となりました。
製品化され、売り出されたのは07年。そのときはすでにプロジェクトから外れ、米国に留学していましたが、自分が一から開発にかかわった製品が無事に発売されたと聞いたときは、うれしかったですね。
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米MITに2年間留学。 人生で最も頭を使った |
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入社16年目となる07年秋に米マサチューセッツ工科大学(MIT)のガスタービンラボラトリに、ビジティング・エンジニアとして留学しました。海外で働きたいという希望が、たまたまかなうチャンスに恵まれたのです。留学期間は2年間。毎週金曜日に1週間の進捗状況の報告と、その成果について担当教官と議論を交わすという時間が設けられているのですが、1週間で先生と熱く議論を交わすような成果がぽんぽんでるわけではありません。しかも先生は私が1週間考えて答えを出したものを、5分ぐらいで理解してしまうという頭の良さ。英語もそれほど堪能ではなかったということもありましたが、金曜日がくるのが憂うつになるくらい大変でした。世の中には頭のいい人がいっぱいいることをあらためて実感することもできました。
この2年間は考える時間が豊富にあるという貴重な経験もできました。普通に働いていると、どうしても目の前の仕事に追われてしまい、なかなかゆっくりと考える時間がありません。私の人生の中でも最も頭を使った時間となりましたね。

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米国から帰国して担当課長に。 若手の育成に注力する |
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入社18年目の09年秋に帰国しました。10年4月にはターボ機械グループの担当課長に就任。マネジメントの仕事が主となりました。私が率いるグループには中堅研究員が少なく、ほとんどが入社10年未満の若手。しかし開発していかなければならないことはたくさんあります。これら若手研究者をいかに育成していくかが、今の最大のミッションです。
研究開発でそれなりの成果を出すには、1〜2年では足りません。長い場合は10年ぐらいかかるものもある。一方でビジネスの動きはどんどん加速しており、半年〜1年後には成果を出さなければならないことも多い。研究開発のタイムスケジュールとビジネスのタイムスケジュールをうまく整合性をとり、目前の成果も大事にしながら、長い目で研究開発の計画を立て予算どりをすることも担当課長の重要な仕事です。
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キャリアアップのために2〜3年で職場を変えていくという人がたまにいます。しかし2〜3年で身につけたことは、しょせん2〜3年でできること。そんな技術者は世の中にたくさんいます。せめて5年、いや10年は一つの技術を辛抱強く掘り下げていかないと競争力のある技術者にはなれません。 もちろん「自分は天才だ」というのであれば、その限りではないでしょう。確かに世の中には天才的な人がいます。とはいえ、その確率は例えば1パーセント程度。私を含め99パーセントの人は普通の人だと思うのです。この「普通」であることをばかにしてはいけません。実は先の確率は技術の進化への貢献度と同じだと思うからです。つまり技術の進化への貢献度は普通の人が99パーセントに対し、天才は1パーセント。なぜなら技術の開発は一人でできないことが山ほどあります。天才一人がいくら頑張ってもできることは限られてしまうのです。技術の進化は99パーセントの普通の人である私たちにかかっているということです。 私は入社以来ずっと、ターボ機械という技術分野に携わってきました。それが私のコア技術であり、その技術が支えになっているからこそ、マネジメントという仕事にも自信を持って取り組めるんです。最低でも5年は頑張って一つの技術を掘り下げる。競争力のある技術者・研究者になるためには、必須だと思います。 |
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取材・文/中村仁美 撮影/刑部友康 デザイン/ラナデザインアソシエイツ