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掲載日:2010年6月30日

Vol.27  元世界銀行副総裁 西水美恵子氏

にしみずみえこ・大阪府豊中市生まれ。東京都立西高校1年在学中に姉妹都市高校生親善大使としてニューヨークでの1カ月間のホームステイを経験。3年生の夏にフィラデルフィアの高校に留学し、卒業後、ガウチャー大学で経済学を学ぶ。1975年、ジョンズ・ホプキンズ大学博士課程修了後、プリンストン大学助教授(経済学)。80年世界銀行入行、生産性調査局開発リサーチ課開発政策担当スタッフ、産業戦略・政策局上級エコノミストなどを経て、97年より南アジア地域担当副総裁。南アジア担当として、アフガニスタンやスリランカの復興支援なども手がけた。2003年、世界銀行を退職。現在は米国首都ワシントンと英国領バージン諸島に在留。執筆や講演、アドバイザー活動を通して優秀なリーダーの育成に情熱を注いでいる。07年よりシンクタンク・ソフィアバンクのパートナー。
ソフィアバンクホームページ:http://www.sophiabank.co.jp

何のために経済学をやってきたのか。貧しさで失われた命を前に自問した

「女性も自立するべき」という母の教えを受けて育ちましたが、私が高校生だった1960年代は、女性の就職が難しかった時代。閉そく感から米国に活路を見出し、高校3年生の時に留学しました。「親不孝したからには卒業を」と一生懸命勉強し、親の反対を押し切って大学にも進みましたが、将来の目標が見つかっていたわけではありません。英語力に自信がなかったので、教養課程で選択したのは理数系の科目ばかり。数式を立てるのは得意でしたが、「これが本当に役立つのかな」という思いが頭をよぎっていました。

そんな時に単位上の必要から経済学の授業を取り、1日目にして道が決まりました。思えば、先生の教え方もよかったんでしょうね。経済学では経済活動上の人間の行動や心理を理論的に分析し、政策に結び付ける。得意の数学も生かせますし、世の中に役立つ学問ということがはっきりしている点にほれ込んだんです。それからは経済学一本。大学卒業後、このままでは日本人でなくなるような気がして一度帰国しましたが、どうしても経済学をやりたくて、1年後に家出同然で再渡米し、大学院に進みました。

退路を断ったからには必死です。アルバイトをしながら脇目も振らず勉強。一般に5、6年かかる博士号を4年で取り、プリンストン大学の助教授として就職しました。研究するには申し分のない環境でしたし、学生たちも非常に教えがいがありましてね。学者として、教育者として熱意を持って仕事をしていました。研究休暇の1年を世界銀行の研究所で過ごさないかとの誘いを受けたのは、プリンストン大学で教え始めて5年目のこと。高待遇で研究に専念できる願ってもないお話に二つ返事でしたが、休暇後は大学に戻ることしか考えていませんでした。

契約にあたって世銀から出された条件は、途上国の実情を自分の目で見てくること。世銀の調査団にくっついてエジプトの首都・カイロの貧民街を訪れました。その時、単純な下痢から脱水症状を起こした少女がこの腕の中で亡くなるという経験をしたことが、私の人生を変えました。エジプトは長い歴史を誇る資源を持った国です。貧富の差をなくすことは可能なはずです。それなのに、どん底の貧しさに苦しむ人口が過半数。つまりは経済政策が悪いということです。自分は何のために経済学をやってきたんだろうと悩みました。

それまでは、政策を研究し、学生に教えることで世の中に貢献できていると自負していたところがありました。でも、役に立ち切れていませんでした。貧しさで命を落とした少女の死を通して、その無力感が私に迫ってきた時、もう学究生活には戻れなくなってしまいました。世銀に移り、途上国の開発を通して貧困と闘いたいと思ったのです。

国づくりは、リーダーシップを持った人たちの存在にかかっている

世界銀行は加盟途上国の経済成長を支援するために資金や知識の提供を行っています。顧客はその国で暮らす市井の人々。貧しさにあえいでいるその人たちが何を求めているかを理解していなければ、よい仕事はできません。例えば、一見何の問題もなさそうな電力開発プロジェクトに融資をしたとしても、汚職が横行し、貧しい家庭に電気が届かなければ開発の意味はないのです。

私自身、貧しい人たちの実情を理解できているのだろうか。そんな思いから、47歳で南アジアの営業局長(担当の国々への融資の是非を判断する責任者)に就任後間もなくパキスタンの貧しい村に2週間ホームステイをさせてもらいました。電気も水道もない家で、読み書きもできないホストファミリーと過ごしていると、いかに自分が何も知らず、知ったつもりになっておごっていたかを思い知りました。水道がなく、ホストマザーが水くみに毎日6時間もの時間を費やすことが、一人の女性から何を奪っているのか。その苦しみを間近で見、自分も体験して、経済指標からだけでなく、生身の人間として貧困を考え始めました。頭と体をつなげて仕事に向かうようになったのです。

それからは担当する国ごとの貧しい村に1週間ほど滞在し、その経験をベースに仕事をしました。草の根でさまざまな人たちに出会って実感したのは、いい国をつくれるかどうかは、リーダーシップを持った人たちの存在にかかっているということです。バングラデシュの国民のエイズへの意識を高めるために、信頼できる新聞記者を連れて、売春婦の休憩所を訪ねた時のこと。過酷な生活の中で、共済組合を運営し、瞳の輝きを失わずに助け合って生きている彼女たちにリーダーシップを学びました。リーダーシップというのは何も組織のトップだけに求められるものではありません。世の中をより希望のある状況に変えるために、自分から道を切り開いていく力というのは、誰にとっても大切なものなのです。

アジアの途上国の中には、残念ながら、国家元首や政治家といった一国のリーダーとしての肩書きを持つ人たちが、汚職などの国民を冒とくするようなふるまいをしているケースもよく見られました。そういうときには「汚職がはびこるような政策を変えないと、融資はできない」とケンカを仕掛けましたが、不思議と怒鳴り返されたことはないんですよ。どんな悪事を働いている人であろうと、まずは人間として尊重して相手の意見を聞いてからのケンカでしたから、向こうもある程度耳を傾けてくれたのかもしれません。

南アジア地域担当の副総裁に就任したのは49歳の時。管理職として世銀の官僚的な体質を変えようと組織改革にも力を入れました。部下と話し合いながら改革を進めるようにしていましたが、話し合いが十分でなく、判断を誤って関連部署の全員に心から頭を下げたこともあります。そのことが部下との間の見えない壁を取り払い、改革も順調に進みましたが、部下が私を頼りすぎていると感じた時、辞めなければと思いました。リーダーのDNAに染まった組織は成長しなくなるからです。

現在は次世代のリーダーを養成するためのアドバイザー的な活動に情熱を燃やしています。年に数回は日本に戻り、学生と接する機会も増えました。皆さんよく勉強しているし、何か世のためになりたいという夢を持った人もたくさんいる。日本もまだまだ捨てたものではないと希望を感じています。一方で、自分に自信がなく、行動できない人も少なくないのは心配ですね。大事なのは、自分に嘘をつかないこと。内なる心に常に問いかけ、良心のもとで自分に正直に生きるということです。本当にやりたいことや大切にしたい姿勢、鉄のごとき信念というのはそこから自然に生まれてくる。そうなったら、怖いものなどありません。

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世界銀行で貧困問題に取り組んだ23年間を、西水氏は「この世界を変えたいと願う、あらゆる職場のリーダーたちと共に歩んだ道のりだった」と振り返る。著書『国をつくるという仕事』(英治出版/税込1890円)では、農民や村長、貧民街の女性たちや売春婦、学生、社会起業家、銀行家、ジャーナリスト、政治家、中央銀行総裁、将軍や国王に至るまで「国づくり」の現場で出会ったさまざまなリーダーたちの姿を情感を込めて綴っている。「仕事とは何か」、「リーダーシップとは何か」を揺るぎない情熱を持って語りかける一冊。
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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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