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掲載日:2012年10月3日

Vol.82 小説家 百田尚樹

ひゃくたなおき・1956年大阪府生まれ。同志社大学中退。学生時代に素人参加型のバラエティ番組『ラブ・アタック』に常連として出演したのをきっかけに声をかけられ、放送作家の道に。数々の番組を手がけ、人気テレビ番組『探偵! ナイトスクープ』のチーフ放送作家として20年以上にわたって活躍している。小説家としては2006年『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)でデビュー。2009年に映画化された『ボックス!』(太田出版)、『風の中のマリア』(講談社)、『モンスター』(幻冬舎)、『リング』(PHP研究所)、『影法師』、『錨を上げよ』(以上講談社)など著書多数。『永遠の0』は2009年に講談社より文庫化され、100万部を突破。岡田准一氏主演で映画化が決定しており、2013年に公開が予定されている。

「好きな仕事しかしない」なんて、そんなのはただの趣味

親父は水道局の職員でした。高度成長期の大阪にはまだ水漏れする水道管がそこここにありましてね。汚れた作業着を着て市内を一日中歩き回り、漏水管を掘り起こして直すのが仕事です。僕が育ったのは貧しい街で、近所のおじちゃんもおばちゃんもみんな家族を養うために朝から晩まで働いていたんでね。仕事ってそういう地道なもんやと思っていました。

だから、放送業界で働き始めた当時は、自分がいっぱしの社会人になったとはとても思えなかったです。放送作家の仕事は大学を5年で中退してぶらぶらしている時に知り合いに声をかけてもらって始めたのですが、放送作家なんて職業は聞いたこともなかったし、だいいち出社時間も決まっていない。日が高くなってから普段着のような格好で企画会議に出て、面白おかしいことを言ってあとは自由時間ですから、「なんや、これ」と(笑)。食いつなぐためにずるずると仕事を続けながらも、「いずれはちゃんとした仕事に就かねば」という思いがありました。

真剣に働き始めたのは、35歳で長男が生まれてからです。それまでも普通に仕事はしていましたけど、どこか腰を据えていないところがあったんですね。でも、「この仕事で家族を養っていくんだ」という意識が生まれてからはがむしゃらでした。そこからの10年は自分でも本当によく働いたと思います。

チーフ放送作家としてかかわった『探偵! ナイトスクープ』が人気番組として成長していったのもちょうどこのころです。『探偵! ナイトスクープ』は今年で25年目を迎えて、3000本以上のVTRを作ってきました。収録後はスタッフ一同で反省会をやるのですが、「演出が間違ってる」と殴り合い寸前の議論になることもあります。深夜番組にもかかわらず、番組開始以来の平均視聴率が20パーセントを超えているのはだてじゃないと思っています。

不思議なもので、必死でやってしんどい思いをするほど放送作家の仕事は面白くなりました。仕事ってね、僕はこう思っているんですよ。好きな仕事をすることよりも、就いた仕事を好きになることが大事。どんな仕事でもやりようによって、あるいはのめりこみようによって魅力がにじみ出てきます。よく「好きな仕事に就きたい」という人がいますけど、世の中それほど甘くはないし、順序が逆です。仕事なんて本当はしたくないけど、自分や家族が生活するために働く。僕にとってはこれが基本ですから。「好きなことを仕事にしたい」というのは、「趣味を仕事にしたい」と言うのと同じです。

小説家というのは、僕にとってはそんなに誇れる仕事じゃない

初めて小説を書いたのは29歳のとき。僕は学生時代にまったく本を読まなかったのですが、放送作家になると、仕事仲間が読書家ばかりだったんですね。企画会議でも僕の知らない話がぽんぽん飛び交い、これは本を読まないととてもついていけないと思いました。それで片っ端から本を読み出したら面白くて、20代は1年間に300冊くらい読んでいたんです。そのうちに自分にも小説が書けるような気がして、1年半くらいかけて手書きで2200枚の原稿を書き上げました。

この作品は20年以上たって『錨を上げよ』というタイトルで本になりましたが、当時は出版の目途などあるはずもなく、『これ、どうすんねん?』という感じですよ。その直後に結婚し、小説どころではなくなりました。もう一度書いてみようと思ったのは、50歳を迎えたのがきっかけです。まだまだ若いつもりだったけど、50歳といえば、昔なら人生が終わる時期。はたと自分の人生を振り返り、「これをした」と言えることがあるかなと考えたら、ひとつも思い浮かばず、がく然としました。

作ってきた番組に自負はありますが、テレビ番組は僕ひとりで作るわけではありません。それに、どんなにみんなで知恵を出し合って作っても、バラエティー番組はDVD化されない限り1回放送すればおしまいですから、さみしさもありました。これまでの人生もそれなりに頑張ってきて、楽しく暮らしてはいるけれど、「自分が成し遂げた」と実感できることをやってみたい。そう考えて書いたのが、小説家としてデビュー作となった『永遠の0』(2006年刊行)でした。

実は、50歳で小説を書いた理由はもうひとつあります。さっき「一生懸命やれば、どんな仕事も面白くなる」なんて偉そうなことを言っておきながらお恥ずかしいのですが、当時の僕は放送作家の仕事に飽きていたところがあったんです。フリーの放送作家は会社員のように昇進もないので、新人もベテランも基本的な仕事は同じ。いい加減な気持ちで番組を作ったことはありませんが、40代半ばには惰性である程度の仕事をこなせるようになっていました。

世の中には職人さんのように同じ仕事を生涯続ける人たちがいて、僕はそういう人を心から尊敬しています。だから、「僕は本当にだめだな」と落ち込みますが、同じ仕事を一生続けるのは簡単なことではありません。皆さんも僕みたいに途中で飽きてしまうことがあるかもしれません。ただし、「飽きた」と言って働くのをやめるわけにはいきません。飽きても何でも、どうにかして食べていく。それが働くということです。だからこそ、仕事を好きにならなければいけないのです。「仕事に飽きたから」と言ってすぐに職を変える人がいますが、そういう人はどこへいっても仕事を好きになれないでしょう。言い訳みたいですが、僕は放送作家を25年以上やってから小説家に転身しました。

戦争を取り上げたかと思えば、侍の世界を描いたり、スズメバチを主人公にしたり、僕の小説は毎回テーマが違います。インタビューなどで理由を聞かれると、「常に新たなことに挑戦したいから」とかっこいいことを言いますが、卑近(ひきん)な話をすれば、飽きないようテーマを変えて自分のモチベーションを上げているんです。

ただ、ある人に言われたのですが、僕の小説はテーマは違えど、主人公が全員闘っていると。「確かにそうや」と思います。明日には出撃する特攻隊員も、下級武士もハチもがむしゃらに生きている。僕は自らの置かれた境遇から逃げずにベストを尽くす人間が好きで、「闘う」というのはそういうことだと考えています。そして、仕事を含め人生というのはやはり闘いだと思うんです。

今年、僕は『海賊とよばれた男』(2012年発行)で初めてノンフィクション小説を書きましたが、モデルの出光興産創業者・出光佐三氏(1885〜1981年)も人生を闘い切った人物でした。戦後の混乱の中で、英米の圧力にも屈せず、身を賭して他国に頼らない石油供給の道を拓いた彼のことを知ったとき、「なんという日本人がいたんや。これは書かねば」と思いました。

でも、僕は類まれなる経営者の「偉人伝」を描いたつもりはありません。彼の偉業の後ろには、自らに与えられた仕事に黙々と向かって日本経済の復興を支えた、たくさんの働く人たちがいました。戦争に負けても誇りを失わずに働き続けた、かつての日本人たちのすごさを描きたかったんです。第二次世界大戦では約300万人の日本人が亡くなったと言われます。日本中が焼け野原になって、会社もほとんどが潰れた。普通なら立ち直ることなんてできないですよね。それを日本人はたった20年でヨーロッパの国々を追い越し、「経済大国」と呼ばれるまでに復興させた。これはね、ひとりの天才がやったことじゃない。親父たちのような無名の労働者がそれぞれの世界で頑張ったから、今の日本があると思うんです。

僕は小説を書いていますけど、小説家というのは僕にとってはそんなに誇れる仕事じゃないです。小説家というのは汗水たらして働く人たちがいるから成り立ってる。皆さんのあがりで食わせていただいている仕事なんです。そのありがたさは常に感じています。だから、最低でもお金を出していただいた分は満足していただけるものを書かなければと肝に銘じていますし、読んでくださった方に「ああ、いいものを読んだ。じゃあ、明日も頑張って働こう」と思ってもらえる作品を目指しています。

information
近著『海賊とよばれた男』(講談社/上・下巻各税込み1680円)は出光興産の創業者・出光佐三をモデルにしたノンフィクション小説。ほとんどが実話であることに驚かされる。執筆にあたって百田氏は膨大な資料を集め、資料読みに熱中するあまり倒れて救急車で病院に運ばれるほどだったという。同作のみならず、百田氏の作品は緻密な取材に基づいているが、デビュー当時は取材もひと苦労だったという。「関係者にお話をうかがおうにも、無名のおっさんですからね。怪しまれて当然です。でも、誠意を持ってお願いすれば、たいていの方が取材に応じてくれました。取材にセオリーやマニュアルなんてないですよ。相手は人間ですから、とにかく熱意と誠意を見せるしかないと思います。これは人を相手にしたすべての仕事に通じます」と百田氏。
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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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