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掲載日:2009年12月15日

Vol.06 新日本製鉄株式会社 元社長・会長 斎藤英四郎氏

首相の意を汲み財界をまとめ、消費税成立を後押し

「明るさを見て暗さを見ず」と言ったのは、斎藤英四郎である。大柄な体、そのうえにニコやかな丸顔の頭が乗っている。これをマンガに描けば、本当に太陽が笑っている顔になる。

彼にはいくつかの、人生を変えるほどの転機が訪れた。

その最大のものは、彼が新日鉄の副社長まで昇りつめた頃に表れた。当時、新日鉄の社長となったばかりの田坂輝敬という人が突然、病に倒れるのである。

田坂はやがて、この世に別れを告げるのだが、その結果、副社長だった斎藤に社長というポストがまわってきた。その以前に斎藤は新日鉄副社長から系列会社だった日新製鋼の社長になることがほぼ決まっていた。前任副社長がたどった道である。当然、斎藤自身、予想していたのだが、田坂の死で斎藤に本社の社長のお鉢がまわってきた。

それだけではない。社長になれば新日鉄社長としての先行きが開かれてくる。社長になった斎藤に巡ってきたのが経団連会長のイスだった。経団連というのは、日本の大企業の意思決定機関である。俗に「財界総理」とも言われた。太陽のように明るい斎藤には、うってつけの栄職である。それも新日鉄の社長になったあとエスカレーターに乗ったように財界総理のポストがまわってきたのだ。

その頃、政界では中曽根康弘首相のあと、竹下登が総理になった。中曽根総理の時代、彼は行政改革に打ち込み、国鉄、電電公社、専売公社の民営化に成功し、JR、NTT、JTの3社を誕生させた。彼の内閣の末期に間接税(のちの消費税)を導入することを考えたが、国民の支持が得られず、総理の座を下りた。その後、消費税の実現を目指したのが竹下内閣である。

斎藤は、この竹下に頼まれ、消費税導入への財界の意見のまとめ役となった。総理にすれば、まず、財界の意見をまとめることが大事だった。前中曽根総理が退陣したのは、当時、財界の意見がまとまらなかったことが大きな原因だった。

太陽のように明るい財界総理の斎藤は、この竹下の熱意に賛同し、財界の同志・友人たちと話し合い、消費税の実現に協力すると発言した。財界総理の呼びかけに財界の一本化が成功した。竹下総理は斎藤の協力に感謝、一気に消費税の導入に成功することになる。消費税の成立の要因は、ともかく一枚岩になった「斎藤経団連」の竹下支持。それは想像以上に消費税へのエンジンになった。

財界のリーダーを束ね、日本経済の発展に大きく貢献する

斎藤がまとめた財界グループのことを我々記者仲間は「財界8人組」と呼んだ。

「キミたちは、勝手に8人組というが、この結果が国の発展と経済の成長につながったんだぜ」と斎藤は自讃した。

この8人組を一人ひとりよく知る私は、「彼らは、ゴルフと麻雀の仲間だ」とヤユした。

夏になると8人は軽井沢に夫人同伴で集まり、ゴルフと麻雀を楽しんだ。ゴルフやホテルを用意したのは、当時、鹿島のオーナー社長だった石川六郎(のちに商工会議所会頭)である。ホテルは鹿島が持つ鹿島の森ホテル。ゴルフは軽井沢ゴルフクラブだった。

財界8人組の中心だった斎藤は、このメンバーのなかから、石川を日本商工会議所の会頭に推薦した。さらに日産自動車社長だった石原俊を経済同友会の代表幹事に、これも推薦した。

当時、経済界には経済4団体という4つの組織が存在した。そのなかの3つの団体の長が斎藤率いる「財界8人組」によって占められたのである。

今にして思うのは、太陽のような斎藤に備わっていたのはリーダーシップである。斎藤が中心にならなければ8人組はできなかっただろうし、財界人たちは斎藤の人柄と人気とパワーの下に結集したのである。積極的な行動力に魅せられた。

斎藤の「好運の始まり」の話に戻ろう。

彼は東大を出たあと、最初に就職したのは三菱鉱業という石炭会社だった。もしこの会社にそのまま残っていれば、やがて石炭事業が斜陽になり彼の前途は会社とともに真っ暗になっていただろう。

好運の第一歩は三菱鉱業に入って7年目に訪れた。新日鉄の前身だった富士製鉄の後の社長の永野重雄が、ある結婚式での斎藤のスピーチにほれぼれとした。永野はこの男を富士製鉄にスカウトしようと考え、斎藤に話を持ちかけた。就職7年目の好運は、一つの結婚披露パーティーでの斎藤のスピーチから始まった。その席に永野がいなければ、またスピーチがつまらなかったら。と考えると、運というのは、やはり実力がなければ迎えにこないものだと言えよう。

「どんなスピーチをしたのか」と、経団連会長時代に斎藤に聞いたことがある。

「そんなこと、覚えているわけはないだろう(笑)」と斎藤は笑いとばしたが、人生、どんな好運が待ち受けているかわからない。才能のある男は、いつか、誰かに発見され、さらに実力があれば、斎藤のように大成するだろう。

重ねて「8人組」の行方を追ってみると、住友銀行頭取だった磯田一郎、東芝社長だった岩田弐夫、富士銀行頭取だった松沢卓二、三井物産社長だった八尋俊邦の4人は、それぞれ経団連副会長のイスにつき、勲一等を受章した。

斎藤が一番近しかった三井物産の八尋俊邦には、大変なエピソードがある。中曽根総理に次の自民党総裁を3人で話し合えと言われた竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3人の集まり(新橋のある料亭)に立ち会い、竹下総理の誕生に一役買っている。これも斎藤グループの一人としての影響力からきたものだろう。

8人組は、日本財界のリーダー役を任じたが、八尋によって次の総理決定の一役まで担ったことになる。

すべては、好運とリーダーシップを持った男、斎藤英四郎あっての仲間だった。

斎藤英四郎氏 略歴
1911年
新潟県に生まれる
1935年
三菱鉱業(現三菱マテリアル)入社
1941年
日本製鉄(現新日本製鉄)入社
1950年
八幡製鉄と富士製鉄に分かれてからは八幡製鉄の常務、専務を歴任
1970年
八幡製鉄と富士製鉄が合併し新日鉄製鉄に。専務就任
1973年
副社長
1977年
社長
1981年
会長
1986年
経団連会長
1987年
名誉会長
1990年
勲一等旭日大綬章受章
1998年
長野冬季オリンピック組織委員会会長
2002年
死去(90歳)
著者プロフィール
針木 康雄 はりきやすお
1931年生まれ。月刊『BOSS』主幹、経済評論家。早稲田大学文学部中退。57年、雑誌『財界』に入社。編集長、主幹を経て83年同社を退社、評論活動に入る。88年月刊『経営塾』を創刊、03年6月から月刊『BOSS』に改題した。シリーズ『経営の神髄』7巻(講談社)ほか著書多数。財界のご意見番ともいわれる。
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イラスト/ほししんいち デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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