国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構

やまざき・ひでと●宇宙科学研究所 科学推進部 法務国際係 主任。早稲田大学法学部卒業。2001年入社。大学時代はラグビーをプレーするほか、アルバイトとしてテレビ局で報道番組の制作に携わり、プロフェッショナルが集まる現場で刺激を受ける。就職活動では海外で活躍したいと商社や外資系企業も多く見たが、100年後に残るプロジェクトに携わりたいという思いから宇宙開発事業団(NASDA:ナスダ・現JAXA)への入社を決める。

宇宙開発技術を災害の復興支援に活用するべく、プロジェクトを動かしていく

2003年に、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合し誕生した宇宙航空研究開発機構(JAXA)。日本の宇宙開発利用を推進する実施機関であるJAXAにおいて、山﨑さんは、プロジェクトを推進するために必要な海外の宇宙機関との国際交渉や協定の締結、プロジェクトマネジメントに長く携わってきた。

 

「50年後、100年後に作品が残るような仕事をしたい」。それが、山﨑さんの仕事選びの軸だった。今は夢の話でも、100年後には現実のものであろう宇宙開発の世界は、作品を残せる仕事。衛星開発や運用、宇宙ステーションやロケット開発に携わりたい、と宇宙開発事業団(NASDA)への入社を決めた。
「『もうからなければ撤退』というシビアなビジネスの世界よりも、『人類にとって長期的には大きな利益になること』をじっくり追求できる事業団の方がいい。ビジネスのことを何も知らなかったくせにえらそうですけれど(笑)当時はそんなことを思っていました」

 

入社して配属されたのは、宇宙開発事業団の対外的な窓口を担当する国際部国際課だった。宇宙開発はプロジェクト規模が大きく、かかる時間も予算も膨大なため、一国だけで完結することはない。各国の宇宙機関との連携は必須で、日本の宇宙機関の窓口である国際課には、日夜さまざまな問い合わせが英語のメールや電話で入ってきた。当時はわからないことばかりで、何も答えられなかったという。
「各国の宇宙機関は、私がNASDAについてすべて把握していると思って問い合わせてきます。例えばドイツのDLR(ドイツ航空宇宙センターの略称)という宇宙開発を担う政府機関から『ロケットエンジンの共同研究に関して提案したいことがある。適切な人物を紹介してほしい』などと依頼がきますが、入社当初は、適切な人物どころか誰一人知らないので、周りの先輩方に聞くしかない。事業団内の知識、情報を収集することに必死…。ですが、逆に各国の宇宙機関のカウンターパート(※1)と関係を築くことができ、何かあったら聞けるような存在が世界中にできたことは、のちのキャリアにとても役立ちましたね」

(※1)国際協力の場において、現地で受け入れを担当する機関や人物

 

03年に3機関(ISAS、NAL、NASDA)の統合でJAXAが生まれると、宇宙開発技術を実社会でもっと利用していこうという動きが加速していく。入社5年目に地球観測研究センターに配属された山﨑さんは、衛星データの応用研究をサポートする業務を担当した。その後、JAXAが「JAXA長期ビジョン2025」の中で、宇宙技術を災害へ応用することを提案したことをきっかけに、衛星データを解析し、災害発生時の状況把握などを行う衛星利用推進センター防災利用システム室が新設。防災利用システム室ではJAXAの観測衛星である「だいち」のデータやインターネット衛星「きずな」(※2)、通信衛星「きく8号」を使った災害応用利用が始まった。
「宇宙技術を災害把握に役立てるという試みは、ヨーロッパの『国際災害チャーター』という国際憲章がイニシアチブ(主導権)を持っていました。どこかで大規模な災害が発生したとき、世界の衛星データを一気に集めて被災国に情報提供できるように、各国の宇宙機関は自国の衛星を登録しておくという内容です。災害によって、有効な衛星が異なりますし、連絡網を強化することで、災害に迅速に対応できるからです。しかし、ヨーロッパのイニシアチブゆえアジア圏の情報収集には弱く、そこを補うためにJAXAが06年に『センチネルアジア』という名前のプロジェクトを立案しました。いわば『国際災害チャーター』のアジア版として、アジアの宇宙機関でネットワークを作り、災害時に観測して救援活動に協力するという活動です。06年のタイ洪水では『被害規模を把握したい』とタイ政府から要望を受け、『だいち』の合成開口レーダー(SAR)(※3)データを提供し、08年の四川大地震では中国政府から発生直後に電話をもらい、データを提供しています。東日本大震災の際は、国際災害チャータ、センチネルアジアの枠組みにて、世界中から無償にて衛星データを頂き被害状況を分析するなど、宇宙開発技術が実社会に浸透してきているという明確な手ごたえに、とてもやりがいを感じましたね」

(※2)インターネット、教育、遠隔医療、災害対策など各分野における大容量データ通信の技術実証を担う衛星
(※3)サーと読む。人工衛星などに搭載される観測用レーダー

 

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現在は、国際会議の調整やアテンド、国際交渉などを担当。パリで開催される国際会議に向けて資料を作成。共同でプロジェクトを進めている宇宙機関とメールでやりとりする。時差があるため、夕方から多忙に。

 

「はやぶさ」の帰還、サンプル採取を成功させるべく、走り回った10カ月

宇宙機関との交渉や調整業務の実績を買われ、09年に異動したのが、月・惑星探査プログラムグループ。小惑星探査機「はやぶさ」のオーストラリア帰還を成功させるため、オーストラリア政府とのカプセル着陸許可などに関する国際交渉全般を任された。
「今だから言えますが、『はやぶさ』が10年6月13日に地球に帰還することは、軌道上すでに決まっており、オーストラリアのウーメラ砂漠への着陸についても、それ以外に選択肢はありませんでした。絶対にずらせない納期とはまさにこのこと。私がやることは、何を準備すればいいのかがわからない状況から、約10カ月で、『はやぶさ』を無事回収するためすべての用意を整えることでした。小惑星のイトカワで採取したサンプルを持って帰還する探査機を迎える。人類史上、初めてのことなので前例がなく、とにかくやるべきことをすべて書き出し、懸念点を一つひとつつぶしていくことにしました」

 

オーストラリア政府からはなかなか着陸許可が下りず、「秒速12キロメートルで帰ってくる『はやぶさ』が、市街地に落ちることは絶対にないのか」といった政府からの厳しい質問に技術的な回答を用意するべく奔走。一方で、「はやぶさ」の研究チームからは、「着陸の衝撃で『はやぶさ』内のカプセルが割れて、イトカワのサンプルが外部に漏れてしまうかもしれない。ウーメラ砂漠の土ごとすべて日本に持って帰って来れるように手配してほしい」といった要望や、「着陸後、地球の空気に汚染されないよう最短で相模原のクリーンルームへ搬送したい。成田ではなく羽田空港に着陸させてほしい」といった無理難題が次から次へと山﨑さんのもとに舞い込んでくる。オーストラリア政府には普段使っていない空港を使えるようにお願いし、日本の受け入れ体制を整えるため政府機関に何度も足を運んだという。
「普通に成田空港に土壌を持ち込めば、『海外からの土の持ち込みは禁止』と断られてしまうので、事前に調整して、農林水産大臣に特別許可を頂きました。チャーター機の羽田着陸も特別許可が必要とのことで国土交通省にも交渉に行きましたね。当初、『はやぶさ』が人類史上初の素晴らしい快挙だと説明してもなかなか理解を示してもらえなかったのですが、メディアの盛り上がりとともに、政府機関の対応もだんだん変わってきました(笑)」
帰還準備を始めた当初、「はやぶさ」が本当に帰ってくると実感があったメンバーは少なかったと思うと山﨑さんは言う。
「無事帰還した『はやぶさ』をオーストラリアで迎え、チャーター機に乗せて日本に送り届けたとき、安堵(あんど)感と達成感のあまり、全身から力が抜けていきました。飛行機を見送った景色は、今でもよく覚えていますね」

 

現在は、宇宙科学研究所で、宇宙科学を研究する教授と海外の宇宙機関とをつなぐ橋渡しを行っている山﨑さん。国際協力をスムーズに進めるための協定書の作成や交渉事を担当し、現在進んでいる日欧の共同開発プロジェクトを円滑に動かすべく、会議の資料作成業務にも幅広く対応している。
「今、宇宙開発は宇宙機関だけの仕事ではなくなりつつあります。民間企業や大学が参入し、宇宙開発事業に投資しようという動きが少しずつ広がる中、JAXAのような公共機関の役割は小さくなっていくかもしれません。開発だけでなく、宇宙旅行のような“経験”にお金を払う世の中が、必ずやってくると思うからです。今の価値観が、明日も続くとは限らない。民間の取り組みに刺激や焦りを感じながらも、好奇心を持って前例にとらわれない人でありたい。50年、100年先に残るプロジェクトを立ち上げたいという気持ちは、今も強く持っています」

 

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同じ日欧プロジェクトを担当している同僚と、プロジェクト進捗について共有する。

 

山﨑さんのキャリアステップ

STEP1 2001年 宇宙開発事業団(NASDA)に入社し、国際部国際課に配属される(入社1年目)

NASDAの対外的な窓口に立ち、宇宙開発プロジェクトを円滑に進めるための国際協力交渉を担当。各国の宇宙機関を訪れることも多く、日本との仕事観の違いに驚いた。「出張して出向いても担当者が不在だったり、会議前日にホテルの準備がまったくされていなかったり(笑)。大事だと思っていたアポイントでも、『今日は娘の学校行事があるから』とキャンセルになることもあります。でも、世界から見れば、日本の「まじめ」な文化の方が異端。家族は何よりも優先されますし、メールのレスポンスが数カ月来ないことも普通です。何が起きても動じず対応する力は身につきました」。

STEP2 2004年 経営企画部に異動。「開発業務にかかわる外務諮問委員会」の事務局を担当する(入社4年目)

入社した2年後に、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)、宇宙開発事業団(NASDA)の3機関が統合して宇宙航空研究開発機構(JAXA)が誕生。統合と同時期に、それぞれの機関で3つの大きなプロジェクトがたて続けに失敗。JAXAの開発およびマネジメント手法に問題がないか各国の宇宙機関の専門家を集めて検証をすることになり、外務諮問委員会を設置。海外の有識者は、アメリカNASAの元長官や、フランス宇宙機関の元総裁、ドイツ宇宙機関の元長官など、世界的な権威ばかり。山﨑さんは5人のメンバーと共にその諮問委員会の事務局を担当し、技術者に作成してもらったプロジェクト資料の翻訳や議事録作成、ホテルや会議室の手配といったロジスティックス業務を担った。

STEP3 地球観測研究センター配属を経て、衛星利用推進センター防災利用システム室に配属(入社6年目)

地球観測研究センターでは予算管理や契約業務を行う。1年後に、新設された防災利用システム室にて、JAXAの地球観測衛星「だいち」(初代)のデータを災害に応用するプロジェクトを担当。「洪水、地震、火山といった、飛行機を飛ばせない緊急事態では、災害の影響をまったく受けない衛星のデータが非常に役立ちます。Google Mapのような光学衛星は雲がかかると見えなくなりますが、『だいち』は合成開口レーダー(SAR)なので、雲を貫通し、光のない夜間でも地球の状況をはっきりとらえることができます。15年4月に発生したネパール大震災においても、『だいち』(2号)がいち早く災害データをネパール政府に提供しています。広範囲な情報を、被災地域の地域情報の専門家に渡すことで、どこが危ないのかを判断する材料となるのです」。

STEP4 2009年 月・惑星探査プログラムグループに異動し、小惑星探査機「はやぶさ」帰還に携わる(入社9年目)

「はやぶさ」帰還に関して、オーストラリア政府との着陸許可交渉を担当。休みを取った記憶がないほど多忙だったが、前例のない仕事にやりがいは大きかった。「着陸許可をとるとひと言で言っても、確認すべき細かなことが大量にありました。例えば許可が下りるには、着陸するカプセルが“どの国から来たのか”を書類に明記しなくてはいけません。でも、はやぶさは日本を出発し、小惑星イトカワに着陸して戻ってきているので、“日本から来た”とは言えないんです。『どこから来たのか?』『イトカワです』『イトカワはどの国なんだ』といった漫画のようなやりとりを何度も重ねましたね(笑)」。その後13年には、オーストラリア国立大学へ1年間、プロジェクトマネジメントを学びに行った。「時間とお金を使って、自分が必要だと思う内容を学びに行ったので、授業は一度も欠席せず、貪欲に知識を吸収した1年間でした」。現在は、宇宙科学研究所の科学推進部 法務国際係で、国際会議の調整やアテンド、国際交渉まで幅広く対応している。

 

ある日のスケジュール

9:20 出社し、メールチェック。
10:00 海外の宇宙機関から外国人科学者を招くプロジェクトを担当し、その社内会議に出席。
12:00 ランチ。宇宙科学研究所(相模原キャンパス)の周辺には飲食店がほとんどないため、お弁当を買ってくることが大半。
13:00 日欧共同プロジェクトに関する資料作成。パリで行われる会議の準備。
16:00 時差のある欧州の宇宙機関とメールや電話のやりとり。
17:45 定時退社。ただ、時差の関係で夕方からのやりとりが多いため、20時ごろまで業務が発生することも多い。

プライベート

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社会人になっても続けているラグビー。写真中央が山﨑さん。15年5月に横浜・三ツ沢競技場で行われた社会人の大会では見事優勝!

 

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部屋に飾っている宝物。衛星データを災害利用する国際的枠組み「国際災害チャーター」の仲間たちからもらった署名入りのボード。人事異動でチャータ-の活動から離れることを告げると、メッセージ入りのボードをサプライズでプレゼントしてくれた。

 

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13年6月に、会社の研修でオーストラリアの大学院に滞在していた際、休日に妻とウルル(エアーズロック)を旅行した。

 

取材・文/田中瑠子 撮影/刑部友康

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