大家友和さん(元プロ野球選手)の「仕事とは?」|後編

おおか・ともかず●1976年、京都府生まれ。1994年、京都成章高校からドラフト3位で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に入団。1998年にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んで渡米。1999年に日本人9人目のメジャー昇格を果たす。モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)などメジャー8球団を渡り歩く。通算3度の2桁勝利を含めメジャー通算50勝を達成。2009年には通算1000投球回数に到達している。2010年に横浜ベイスターズへ復帰し、右肩手術を経てナックルボール主体の投手に転向。日米の独立リーグでプレーしながら再び大リーグを目指し、2016年12月には40歳にしてボルティモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。2017年3月に戦力外通告を受け、6月現役を引退。2018年より横浜DeNAベイスターズ の2軍投手コーチに就任する。引退以前からプロ野球界以外での活動も積極的に行っており、2004年にNPO法人「Field of Dreams 」を設立。社会人野球クラブチーム「OBC(大家ベースボールクラブ)高島」、中学生硬式野球クラブチーム「草津リトルシニア ・パンサーズ」などを立ち上げ、自ら運営に携わっている。

前編では渡米までの経緯や、メジャーで力を発揮できた理由についてお話しいただきました。
後編では日本では珍しい変化球をメインに投げるスタイルに転向した背景や、引退後の仕事への思いをうかがいます。

30代後半にナックルボーラーに転向。やるだけのことをやった

-2010年に日本のプロ野球界に復帰後、ナックルボーラー(※)に転向したきっかけは?
(※)ほぼ無回転で投げられ、捕手に到達するまでに不規則に変化する「ナックルボール」をメインに勝負する希少な投手。

横浜に復帰して2年目のオフに右肩の手術を受けた後、回復すると思っていた球速が時間をかけても戻らなかったんです。その時点で横浜からは戦力外通告を受けており、引退しようかなあとも思いました。ただ、僕は良くも悪くも物事を合理的に考える癖があって。この時も「コーチや解説者など次に何らかの仕事をしたいと望むなら、今は人事の動く時期じゃない。辞 めるにしても、急いで宣言する必要はないな」と考えたんです(笑)。それならば、まずは続けるための打開策を練ってみようと思い付いたのがナックルボールでした。

ナックルは変化球の中でも「魔球」とも言われるほど打ちにくく、失ってしまった「速さ」の代わりに「変化」で勝負できます。試しに投げてみたら、割と変化して、投げ込むと精度が上がっていきました。可能性を感じて代理人に見せてみたら、「面白いかもしれません」と実戦で投げる場を探してくれ、独立リーグの富山サンダーバーズと契約することになりました。

-その後の3年間は日米の独立リーグでプレーされましたが、ナックルボールの技術を磨くのは簡単ではなく、待遇も月収10万円台だったそうですね。それでも現役を続けたのはなぜですか?

思いの外ナックルが進化して、辞める理由がなかったというのがリアルなところ。どこまで行けるか、自分を試してみたいという気持ちでした。プロ野球選手なら引退していてもおかしくない年齢でありながら、若い選手たちに交じって夢を追うことに楽しさも感じていましたしね。ナックルボーラーに転向後2度にわたって渡米し、最終的に戦力外通告を受けたとはいえ、メジャー再挑戦までできた。引退時には、やるだけのことをやったという爽快感が残りました。

ただし、夢だけでは食べていけません。夢を追えたのは、備えがあったからです。メジャーで得たお金を運用に回し、日本では不動産投資もしていました。夢を追うためには、生活設計も大事だと思います。

「できること」の積み重ねで「できないこと」もできるようになる

-2018年からは「横浜DeNAベイスターズ」の2軍コーチに就任されますね。

僕は現役時代に14球団でプレーをして、一般的な日本のプロ野球選手とは異なる道を歩んできましたが、同じ球団に3回もお世話になるというのもそうそうないですよね(笑)。グラウンドにはすでに数回行き、選手にもスタッフにも士気の高さを感じています。

-コーチとしての抱負は?

自分自身がやりたいことを目指すのではなく、選手のやりたいこと、やりたいプレーをできるようにするのが僕の務めだと考えています。選手というのはプロ野球の世界に身を置いている時点で全員、活躍できる力を持っていると思うんです。その力を発揮できるような環境をつくるお手伝いをしていきたいです。自分自身がやりたいことを目指すのではなく、選手のやりたいこと、やりたいプレーをできるようにするのが僕の務めだと考えています。選手というのはプロ野球の世界に身を置いている時点で全員、活躍できる力を持っていると思うんです。その力を発揮できるような環境をつくるお手伝いをしていきたいです。

-若手選手が力を発揮するために大切なことは?

継続して何かをやっていくことだったり、人のアドバイスも取り入れながら自分を信じることだったり、大切なことはたくさんあり、どれもなかなか難しいことばかりです。だから、単純に伝授できるコツみたいなものはありませんが、一番大切なのは、その時々で自分にできることを一生懸命やることではないでしょうか。僕もできることしかやっていませんが、「できること」の積み重ねで「できないこと」もできるようになりました。選手には「焦らなくていい」ということを伝えられたらと思います。

学生へのメッセージ

社会に出たら、物事が思うように運ばないこともあるはずです。そういうときは、ちょっと先を見てほしいなと思います。目の前に起きたことがすべてと捉えてしまうと絶望しちゃうじゃないですか。でも、そんなふうに考えないでほしい。そのためには、ぼんやりとでも5年後、10年後の自分をイメージしてみたり、将来の目標を持つなど視点を少し遠くに向ける癖をつけておくといいと思います。例えば、会社で上司に叱られて落ち込んだとしても、今の時代、5年後に自分がその人の上司になることもあり得ますよね。「いつかこの人を超えるぞ」ということをモチベーションにするのも十分アリです。結果をあまり早く求めすぎず、のびのびと生きていってください。

大家さんにとって仕事とは?

−その1 「評価以上のことをできているか」が問われる

−その2 置かれた環境を受け入れ、そこで自分にできることを一生懸命やる

−その3 「できること」の積み重ねで「できないこと」もできるようになる

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INFORMATION

大家さんの初めての著書『プロ野球のお金と契約』(ポプラ新書/800円+税)。日本のプロ野球、マイナーリーグ、日米の独立リーグなどあらゆるステージで野球を続け、年俸5億3000万円から月収10万円台の生活までを経験してきた立場から、メディアが「夢」と表現するプロ野球の現実を「お金と契約」という最もリアルなもので明かしている。

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編集後記

インタビューの終盤、ポツリと「僕は子どものころから、作文が3行で終わってしまうタイプなんですよ」とつぶやいた大家さん。「例えば、野球の試合について書くなら、『負けて悔しいから、もっと練習して勝ちたい』。以上!という感じ。ところが、『先生が原稿用紙1枚は書きなさい』と言うから、思ってもいないことを肉付けして無理に原稿用紙を埋める。何かを考えたり、感じることを強制されているようで違和感がありました。日本のプロ野球の2軍でプレーしていた新人時代も、同様の息苦しさを感じていたように思います。一方、アメリカでは監督や指導者が、作文で例えるなら、『どんな練習をなぜするのか』『どういう戦略があれば、勝てると思うのか』と問いかけてくれた。だから、書きたいことがたくさん出てきたんです。それでもやはりまとめ癖はあって、『おまえ、それじゃ、身もふたもないじゃないか』と親しい人には叱られるんですけどね(笑)」。口数は多くないけれど、質問に真摯(しんし)に答えてくださる姿が印象的な素敵な方でした。(編集担当I)

取材・文/泉 彩子 撮影/嶋並ひろみ

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