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掲載日:2010年1月27日

Vol.16株式会社宣伝会議 編集室長 田中里沙氏

たなかりさ・1966年三重県生まれ。89年に学習院大学卒業後、広告会社に入社。93年、同社が経営を引き継いだ宣伝会議に転籍。94年月刊『宣伝会議』副編集長を経て、95年より編集長を務める。2007年より取締役編集室長に就任。現在は、『環境会議』『人間会議』『広報会議』などの雑誌編集長を兼任。2001年から08年までTBS系『ブロードキャスター』のゲストコメンテーター。NHK『日曜討論』などの番組に出演。企業広告賞をはじめとする様々な広告・広報コンクールの審査員も務めている。7歳の男の子の母でもある。

社会に出たら、その先のレールは自分で敷くしかない

就職活動では銀行、百貨店など4つの大企業から内定をいただきました。でも、どの会社も、そこで働き続ける自分をイメージできなくて。私が社会に出たのは、男女雇用機会均等法が制定されて3年目。一般企業で活躍している女性が身近にいなかったこともあって、なんだか将来が見えているような気がしたんです。「この会社に入ったら、決まった仕事をして、寿退社かな」って。

女性が仕事を続けていくことに対して、深い考えはありませんでした。ただ、ゴールのある仕事というのはつまらないなと。そんなときに、学生時代に夏休み期間中のアルバイトでお世話になった広告会社に声をかけてもらって、直感的に就職を決めました。社員100名ほどの会社で、将来は未知数。でも、社内に活気があったし、先が見えないからこそ、自分の手で仕事を創り出せる。そこが面白いと感じました。失敗しても、やり直せばいいという気持ちでしたね。若くて、失うものなんて何もありませんでしたから。

社長が話してくれたことも印象的でした。「あなた方一人ひとりの成長がダイレクトに会社の成長につながる」と。当時は普通の女性社員がそういう喜びを実感できる環境はまだ少なかったと思うんですね。そんな時代に、自分の仕事によって誰かが影響を受けて、それが社会とつながっているということを感じながら働けるというのは、素晴らしいことだと思いました。

学生時代までは、敷かれたレールの上を走れば、ある程度は前に進める。でも、社会に出たら、その先のレールは自分で敷くしかありません。だから、自分がどんな姿勢で働きたいかを考えて、それに合った環境を就職活動で見つけることは大事だと思います。一方で、自分に合った仕事、やりたい仕事というのは、簡単にはわからないものなのではないでしょうか。

私もそうでした。入社後しばらく携わったのは、広告制作のアシスタントや総務の仕事。「これがやりたい」というこだわりがなかったことが吉と出たのか、見るもの聞くもの新鮮で。一生懸命仕事をするうちに入社4年目を迎え、当時『宣伝会議』を発行していた会社の経営を私がいた会社が引き受けることになったんです。そのときに、突然現れた編集部隊があまりに大変そうでね。見るに見かねて、編集長に「お手伝いしましょうか?」とつい声をかけたのが運のつき(笑)。どんどん仕事が来て、いつの間にか編集部に転籍することになりました。

やりたいことが明確なのは、素晴らしいこと。ただ、社会に出て20年を経た今、人生はどの仕事を選んでも同じなのかもと思ったりもするんです。様々なキャリアを持った方にお会いしてみると、目の前の仕事にきちんと取り組んできた人というのは、どんな職種であれ、やりがいを持って仕事をしています。つまり、仕事選びで大事なのは、どの仕事を選ぶかよりも、自分の決めた仕事に責任を持つことなのではないでしょうか。だから、まずはコレかなと選んだ仕事を邁進してほしいですね。進み続けていれば、川の流れが広くなるように新たな出会いが生まれるはずです。次の選択をするチャンスは、そのとき。一度決めたことを悔やみ、本腰を入れないうちに仕事を辞めてしまうのは、マイナス要素でしかないですよ。

スタッフの才能を預かる責任を感じ、がむしゃらに仕事をした

編集の仕事を始めた頃は、右も左もわからないから、とにかく必死に働いていました。初めて出した企画は「広告界を支える職人さんたち」。私自身もテレビCMの制作現場をまったく知らなかったので、「CMの食べ物はおいしそうだけど、どうやって撮影しているんだろう」とか、「ヘアメイクってどんな仕事なのかな」と気になることがいっぱいあったんですね。それを取材すれば、プロから一般の人まで幅広い読者に関心を持ってもらえるんじゃないかなと思って。そこで、CM界を支える技術職をリストアップして上司に提案したら、「じゃあ、やって」と言われ、ハタと「え? 20人を一人で取材するの?」と(笑)。

その日から一人ひとり取材を申し込んだのですが、不勉強なので、職人さんも有名どころしか思い当たらないんですよ。例えば、ヘアメイクといえば、トニー田中さんしか知らないから、取材を申し込んで、幸運にもご承諾をいただいて。ある有名CMディレクターにお電話したときには、「僕はもう現役を退いているから」と後輩の方を紹介していただいたこともあります。そんな感じでまさに体当たりでしたが、どの方もとてもていねいに応対してくれました。

というのも、『宣伝会議』という雑誌に歴史があって、みなさんはそれを応援してくださっていたんですね。ありがたいなと感じました。だから、私も礼儀は忘れないようにと心がけていましたね。取材後には必ずお礼状を書いて、読者からの反響もレポートしたりして。そのうちに、「若手で何も知らないけど、頑張っている」ということで、先輩たちがいろいろと教えてくださったり、勉強会に誘ってくださったり。本当にたくさんの方に可愛がっていただきました。

編集の仕事は楽しかったです。名刺1枚で誰にでも会えるなんて、すごいと思いました。でも、がむしゃらに仕事をしたのは、好きだからという理由だけではありません。責任を感じていたというか…。雑誌づくりは、ライターさんやカメラマンさんなど様々なスタッフに支えられています。その方たちの才能を台無しにしないように、自分にできることを徹底的にやるしかないと思っていました。

編集長になったのは、編集部に入って3年目。29歳のときでした。「私で大丈夫かな?」とも思いましたが、せっかく声をかけていただいたのだから、期待にこたえたいという気持ちのほうが強かったですね。当時は想像もしませんでしたが、私よりも上司のほうが勇気が必要だったのではないでしょうか。指名をした責任がありますから。チャンスを与えられたときに躊躇する人も多いようですが、それはもったいないですね。会社が指名をするときには、必ず理由があります。自分より経験の豊富な人がそう言うのだから、信じてやってみるのも手ですよ。

仕事は人と人とのつながりで成り立っていて、自分の役割をまっとうすることによって、より深く人とつながれる。責任の大きさに負けないよう、前向きに進んでこられたのは、その喜びがあったからです。どんなに頑張っても、仕事というのは自分だけではできません。自分がどうしたいかよりも、どうすれば人の役に立てるかを考えるのが基本だと考えています。

それから、物事は自分の思い通りにいくとは限らないことも、知っておいたほうがいいかもしれません。私はそれを子育てから学びました。若い頃の私って、がむしゃらなあまり、ほかの人に対して「どうしてやらないの」という気持ちもあったりして。でも、子育てをしていると、努力してもうまくいかないことがたくさん。人には様々な事情や考えがあるということを身をもって知りました。チームの力を高めていくにあたり、メンバーの立場を慮れるようになったのは、我ながら大きな成長だったと思いますね。

information
田中氏が取締役を務める株式会社宣伝会議では、広告・マスコミ界への就職を目指す学生のための各種講座を開講中。広告界への就職ノウハウを学ぶ「広告界就職講座」(毎年10月〜1月開講)や広告クリエイターになるための実践力を養う「コピーライター養成講座」(毎年4月・10月開講)、出版・マスコミ界を目指す人が企画力・取材力・文章力を学ぶ「編集・ライター養成講座」(毎年5月・11月開講)に加え、エントリーシート対策になる「文章表現力講座」(毎年5月・11月開講)などがあり、体験講座も不定期で開催している。
詳細は「宣伝会議ホームページ」:http://www.sendenkaigi.com
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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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