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掲載日:2010年12月17日

Vol.14 ソニー株式会社 創業者の一人 井深大氏

常に新しいものに憧れる、頑固な技術屋気質

ソニーの創業者は誰か?

年長で技術屋の「井深大」か、それとも、空飛ぶ営業マンと言われた「盛田昭夫」か、一体、どっちなのだ。実は、社員たちはソニーのご先祖様は「井深と盛田」の2人と考えている。

それが正しい。2人はセットなのである。

しかし、年齢的には井深の方が12歳年上だから、気持ちのうえでは盛田が井深に兄事(けいじ:兄に対するように、敬意と親愛の気持ちを持つこと)していた。この2人の出会いがなければ、ソニーという会社は生まれなかった。

2人が出会ったのは太平洋戦争のさなか、しかも日本本土がアメリカの大空襲にさらされ、敗戦が濃厚になってきたころである。すでに井深はれっきとした技術者として日本測定器という会社に勤めていた。月給も当時90円という東大出クラスの給料を取っていた。

日光市に生まれた。子どものころからラジオや無線機に興味を持ち、早稲田大学理工学部に入っている。先祖の一人は飯盛山で自刃した井深茂太郎だったという。ご先祖様が白虎隊の一人というのは井深にとって誇りだった。

子どものころから好きなことには夢中になって、関心のないことにはまったく無頓着とあって、早稲田を出たあと東芝を受けたが、不合格となった。東芝は大変な人材を落としたものだ。しかし、日本測定器という会社で、井深の好きな研究をやっていいと許されて、若いながらも常務取締役にまでなった。

常に新しいものに憧れ、月給をはるかに上回る280円もするカメラ(ライカ)を買い、しばらくすると、車が欲しいという思いになった。当時、自動車ともなると、今ヘリコプターを個人が買うほど高価な感覚だった。

井深は「550円で中古のダットサンを買ったんですが、うれしくてね。朝晩、用もないのに走り回ってましたよ(笑)」とうれしそうに語っていた。

日本測定器は、海軍に頼まれ、潜水艦探知機などの周波数にかかわる研究を続ける。そこへ乗り込んできたのが海軍技術中尉の盛田昭夫だった。彼は愛知県常滑市で300年続く酒造家の後継ぎだったが、父・久左衛門は、盛田が大阪大学理学部に入ったことに当惑していたらしい。彼が井深と出会うのは、盛田が海軍航空技術廠から井深の仕事を手伝えという命令できたことからだが、それがソニーという会社の運命につながっていく。

1945年、敗戦。戦争には負けたが、井深はそれを技術開発へのチャンスだととらえ、日本橋角にあった白木屋百貨店の中に「東京通信工業」という名の企業を立ち上げる。

ものごとに執着する頑固な技術屋の井深と、商家生まれで洒脱(しゃだつ:さっぱりして、あかぬけていること)な盛田との組み合わせは絶妙なものがあった。

井深が社長、副社長が盛田のころ、盛田の夫人・良子さんが、あるとき「ねえ、井深さんもこれくらいしてくださってもいいのにねえ」と盛田に話しかけたところ、いきなり盛田が立ち上がり、良子さんのホッペタを張り飛ばした。

「お前、井深さんのことを、そんなふうに言うな!ってすごい剣幕でしたよ。盛田に叩かれたのはそのとき初めてなんです。こんなことも言ったんです。『井深さんは偉い。それは、オレと一緒にやろうと口説いたことだ』なんて言うんですよ(笑)。2人はほんとうに仲が良かったのね」と良子さんが語っている。

社是を決め、「愉快なる理想工場」を目指す

テープレコーダーから始まり、トランジスタで作ったラジオがヒット。

「よし、アメリカで売ろう」と2人で考え、盛田が家族をあげてアメリカに住む覚悟で渡ったのが昭和30年(1955年)のことである。そのころ「SONi-TAPE」として名付けていた。SONiはラテン語で「音」を意味するSONUSの複数形である。小さな会社をイメージさせるとして「SONY」を社名、商品にすることにした。盛田は「SONY」をアメリカに売り込むという大使命を背負ってアメリカに旅立った。

井深は東京通信工業をスタートさせるとき、社是を決めた。それを「ソニースピリット」というが、一、人のやらないことをやる 一、他より一歩先んじる 一、最高の技術を発揮する 一、世界を相手とする、などである。

そして設立趣意書でユニークなのは「自由闊達として愉快なる理想工場の建設」と謳っていることだ。

「愉快にやろうぜ」、というのが井深の理想だった。トランジスタをはじめ、すべてを小型なものに変えていったソニースピリットは、井深の理想を表したものだ。

筆者は長く井深・盛田と付き合ってきたが、残念なのは、今のソニーに「ソニースピリット」がほとんど、なくなってしまったことだ。

一つはCEO(会長兼社長)にイギリス人(アメリカ在住)のハワード・ストリンガーを選んだことだが、それは彼が報道機関のCBS出身で、製造について経験がないことだ。ぜひ「理想工場」を目指してソニーらしい新しい技術の商品を作ってほしい。

つまり今は技術屋の元祖、井深大の志が生かされていない。結果、ソニーは松下や韓国のサムスンやiPadのアップルなどに薄型テレビをはじめパソコンなど、すべての分野で追いつかれている。これという新製品も現れないし、ソニースピリットはどこへ行ったと私は嘆いている。

ソニーの幹部にそれを言うと「いや、ウチはもうフツーの会社ですから――」と答えられたことがある。正直、がっかりである。

いまや井深−盛田のあの情熱と自信を取り戻すべきではないか。ソニーの若手社員に、これから戦列に加わる人たちに、私は「井深が唱えたソニースピリットを忘れるな」と呼びかけたい。

井深大氏 略歴
1908年
栃木県に生まれる
1945年
東京通信研究所を設立。翌年、株式会社化。東京通信工業(後のソニー)を創業
1951年
テープレコーダーを発売。社長に就任
1958年
商号をソニーと改称
1972年
ソニー教育振興財団設立。理事長に就任
1975年
会長
1977年
名誉会長
1997年
死去(89歳)
著者プロフィール
針木 康雄 はりきやすお
1931年生まれ。月刊『BOSS』代表、経済評論家。早稲田大学文学部中退。57年、雑誌『財界』に入社。編集長、主幹を経て83年同社を退社、評論活動に入る。88年月刊『経営塾』を創刊、03年6月から月刊『BOSS』に改題した。シリーズ『経営の神髄』7巻(講談社)ほか著書多数。財界のご意見番ともいわれる。
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イラスト/ほししんいち デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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