先輩に頼らず、一人でイチから学んだ、新人時代
私は中途入社して、2013年で30年になります。新卒で就職したのは測量設計会社で、3年ほど高速道路やダムの工事現場で施工管理の仕事をしていました。私の社会人生活は技術者としてスタートしたのです。
大学時代、一番熱を入れて取り組んだのは、建設現場でのアルバイト。高校時代の友人の父親が経営する工務店で土木作業員のアルバイトに精を出し、稼いだお金でスキーやバイクのツーリングに出かけていました。自由奔放な大学生活だったと思います(笑)。アルバイトとはいえ、自分の持ち場で責任を持って仕事をしていると、親方にほめられる。それがうれしくて、「もっといい仕事をしよう」とさらに一生懸命働く。給料は現金支給でしたから、働いてお金をもらうありがたみもこのときに実感しました。今思えば、仕事に対する想いの原点は、この大学時代のアルバイト経験にあるのかもしれません。
建築業界に興味を持ったことから、大学時代に測量士(補)と宅地建物取引主任者、行政書士の資格を取得しました。大学1年のときに自動車の普通運転免許は取得していましたが、「社会に出て、いざというときのために資格を取ろう」と考え、4年のときに大型自動車第二種免許も取得しました。建設業界で技術者として働くことを志したのは、大学時代の仕事経験や取得した資格によるところが大きいと思います。
ところが、いざ働き始めてみると、「自分は人と話をする方が好きだ。もしかしたら、技術者よりも営業の方が合うかもしれない」と気づいたのです。そんなとき、大東建託の求人広告を新聞で見つけて、営業職に応募したのです。大東建託の営業職には、土地オーナーさまへのコンサルタント営業と、入居者さまを斡旋する賃貸仲介営業の2種類があるのですが、当時の私はそんなことも知りませんでした。面接に行くと、「土地オーナーさまに営業するには、専門的な知識と、経験が必要になる。宅地建物取引主任者の資格を持っているのなら、まず賃貸仲介営業から始めてみてはどうですか?」と勧められ、賃貸仲介営業職として入社することにしました。
私が最初に配属された岐阜支店は、従業員が25人程度。課長と先輩が新人サポートとしてついてくれました。ところが、しばらくして先輩が独立のため退職。課長の下で賃貸仲介営業を行うのは、入社したてで営業未経験の私1人になってしまったのです。若気の至りで失敗の連続でしたが、支店では一番年下だったことからかわいがってもらいましたし、とにかく覚えなければいけない環境に追い込まれたことは、早く一人前になるのには良かったのかもしれません。「仕事では妥協はしない」という信念を自分なりに決めて、奮闘する毎日でした。当時、支えてくれた諸先輩方には本当に感謝しています。
3年間、岐阜支店で賃貸仲介営業を経験した後、愛知県の豊橋支店に転勤し、28歳で賃貸仲介営業のリーダーになりました。愛知という見知らぬ場所で、土地勘もなく、最初は大変でした。当時は携帯電話もカーナビゲーションもない時代ですから、道を覚えるために毎日走り回っていましたね。現在は、部下の大半が年下ですが、20代後半からずっと部下はほとんどが私より年上でした。マネジメントについても手探り状態でしたが、当時の支店長(のちに取締役へ昇進)の方にサポートいただき、どうにか乗り越えることができました。
営業時代の一番の喜びは、やはりお客さまに感謝のお言葉を頂くことでしょうか。独立開業する方に仲介した店舗が繁盛していく様子を見たときは、「本当に良かった」と胸がいっぱいになりました。中には、貸店舗での商売がうまくいき、土地を購入して店を構える方もいらっしゃいました。私が担当を離れてからも、その方からお手紙を頂き、感激したこともあります。アパートやマンションの仲介では、私が仲介したお客さまからお友達をご紹介いただけたときが、とてもうれしかったですね。この仕事は、一過性ではない、お客さまと長期にわたるお付き合いを続けるものなんだ、とあらためて感じたのも、このころです。
失敗はしてもいい。そこから、何を学び、どう生かすか
本社勤務となり、初めての仕事は、新卒入社第1期生のトレーナーでした。その翌年には現在の経営企画室の前身である社長室配属になり、3年間IPO(新規株式公開)の事務局を担当。東証1部に上場できたときには、何ものにも替えがたい達成感を味わうことができました。
新規事業開発の一環で、海外の不動産開発にも取り組みました。中国・上海での外国人向け住宅のプロジェクトで上海へ赴き、1カ月近く現地に滞在。見知らぬ土地で、土地の使用権を交渉し、水道や電気のインフラをゼロから整備し、建物をイチから造る…そんな日々を送っていました。蛇口から水が出て、部屋の明かりが灯った瞬間の感動と言ったら…。日本人担当者や現地の中国人スタッフたちと、プロ野球で優勝したときのシャンパンファイトのように喜び、祝杯をあげました。700戸近くある住居が完成し、すぐに満室になったときの喜びも大きかったですね。
振り返ってみると、入社してから30年の間に、本当にたくさんの経験を積ませてもらったな、と感じております。今でこそ、大東建託は全国223支店、社員数は単体で1万人、グループで1万4000人、売り上げ規模は1兆円を超える企業ですが、30年前は全国で約10支店。社員数は200人程度、売り上げ規模は70億~80億円でした。そう考えると、あらためて創業した40年前からの成長度合いに驚かされます。会社の成長とともに、私自身も、成長させてもらったと感謝しております。
当社には40年前の創業時から、年齢・性別・学歴に関係なく、仕事の成果で公正に評価する風土があります。頑張れば頑張っただけ、青天井で評価してもらえるのです。これは、脈々と受け継がれてきた社風であり、私にとっても真の意味でのやりがいになっていたと思っています。
学生の皆さんには、失敗をおそれず、どんどんチャレンジしてほしいと思っています。当社には、失敗をしても、再チャレンジしている人たちばかり。私も含め、多くの先輩たちがたくさんの失敗を経験してきました。ダメなときにはガツンと言われましたが、必ず再チャレンジする場が与えられます。「失敗はしてもいい。そこから、何を学び、どう生かすか」の方が重要。能力ももちろん大事ですが、失敗にめげず、明るくチャレンジできる、ポジティブさがより大事だと感じています。
また、もし時間があるのなら、社会に出る前に英語を勉強しておくことをお勧めします。私も、建材輸入子会社の担当や、マレーシアでのホテル開発では苦労しました。当社の事業展開はほぼ日本国内が中心なのですが、これからの時代、いざ、どんな仕事を任されるかわかりません。世界中どこにいっても通用する言葉はやっぱり英語ですから。グローバルに生きていく時代は、すぐそばに来ていると思います。
新人時代
プライベート
取材・文/笠井貞子 撮影/臼田尚史