米国の関係会社に出向。文化背景の違いを理解する大変さを痛感
大学時代の専攻は機械工学。就職先に機械メーカーではなく、東レを選んだのは「素材はすべてのモノの基本単位。最終製品の良し悪しに大きく影響する素材メーカーで働きたい」と考えたからです。
入社以来、エンプラの処方開発や用途開発に携わっていた私に、転機が訪れました。2000年5月に米ミシガン州デトロイト近郊にあるToray Resin Co.(TREC)に出向したことです。TRECはコンパウンドと呼ばれるエンプラ樹脂の製造、販売を行っている会社。実は入社3年目にTRECの前身だった会社に出張したことがあり、広大な土地で苦労して働いている先輩社員の姿を見て、「自分を成長させるため、英語を仕事で使えるようにするためにも、いつかは米国で働きたい」と思っていたのです。
出向した当時のTREC社員は10人で、技術者は私1人でした。当時は外注先だった樹脂コンパウンドの製造設備を有していた会社を買収するというプロジェクトを進めている時期。企業を買収する際にはその会社が本当に投資する価値があるのかどうかを詳細に調査するデューデリジェンス(デューデリ)というプロセスが発生します。技術者は私1人だったため、その会社の技術的な課題は何か、設備にはどんな不備があるのか、どの技術者を残すかなど、技術面におけるデューデリ全般を任されました。32歳で企業の買収に携わる。これは本当に貴重な経験になりました。
買収後、私は従来の処方開発や用途開発という仕事だけではなく、生産技術や、一部ですが購買の仕事まで携わることになりました。そこからが苦労の連続でしたね。文化的背景の違いは仕事のやり方、考え方にも表れます。例えば日本ではトラブルが発生して困っている人がいれば、たとえ自分の担当以外でも助けるという文化がある。しかし米国では自分の担当外であれば、すっと帰ってしまう。「なぜそう考えるのだろう」、文化の違いを理解するため、徹底的に米国人スタッフと議論をしました。米国人スタッフのことを理解すると同時に、米国人スタッフにも私たち日本人の考えを理解してもらうことが、一番苦労したことです。しかしそうした努力があったからこそ、全員が一致団結して初年度から黒字化に向かって進むことができたんです。そうしてお互いのことを理解し合い、同じ目的を達成した当時の仲間とは、今も連絡を取り合っており、私の大きな財産となりました。
こんなこともありました。不具合が発生した時に、営業が同行できず私一人でお客さまのところに説明に行くことがあったのです。日本であれば、こちらが一人ならお客さま側も1人か、多くても営業と技術の担当者2~3人が出てくるぐらいです。しかし米国の場合はセクショナリズムがはっきりしているため、品質保証や生産技術など、それぞれ専門部署の担当者が全員出てくるのです。最も多いときは1人で20人を相手にしたこともありました。そんな状況の中で、相手が納得するような説明を、外国語でしなければなりません。最初は戸惑いましたが、技術者として非常に鍛えられました。
オートモーティブセンターの企画・発案から開設まで携わる
米国から帰国して1年もたたないうちに、私にとってもう一つの転機が訪れました。新設された自動車材料戦略推進室に異動し、オートモーティブセンターの設立に携わったことです。自動車材料戦略推進室は社長直轄の東レ全社横断の組織。メンバーは役員1人にあとは私たち担当者3人という少数精鋭で、東レグループで行っている自動車材料ビジネスを横串で統括する組織です。その目的は各事業部の情報を共有することはもちろん、お客さまの情報やニーズも積極的に収集し、東レグループの総合力でお客さまが求めるものをソリューションとして提案することです。私自身、入社以来手がけてきた素材の多くが自動車向けでした。つまりお客さまのほとんどが自動車業界だったのです。そんなお客さまが私たち素材メーカーに求めるのは、自分たちが抱える課題を解決する材料です。課題が解決されるなら、エンプラでも炭素繊維でも、それらの複合材料でもいいのです。とはいえ自動車は人の命にかかわるものだけに、材料の性能データを示すだけでは、これまでの材料に替えて採用していただけるわけではありません。素材と製品の特性が理論的に結びついて、初めて採用していただけるのです。そこで、実際の部品に近い形での試作、評価が可能で、自動車メーカーが納得する実証データを取得可能な開発拠点が必要だと考えたのです。社長とのミーティングの際にその考えを伝えたところ、「ぜひ、やってみろ」といわれました。それが2008年に開設されたオートモーティブセンターです。企画、発案からオープンに至るまでのすべての工程に携わり、例えば建物やそこに設置した設備一つにも自分たちの思いを入れることができました。
11年1月に新設された環境・エネルギー開発センター太陽電池開発室室長に就くこととなったのは、オートモーティブセンターの立ち上げ経験が買われたからだと思います。環境・エネルギー開発センターは、東レグループにおける環境・エネルギーの総合技術開発拠点である「E&Eセンター」の基幹組織であり、東レグループ全体における環境・エネルギー技術を連携させ、技術開発を推進するプロジェクトマネジメント的な役割を担う点で、オートモーティブセンターと同様の組織です。
とはいえ、これまで私が携わってきたのは樹脂や自動車材料の開発で、太陽電池の部材開発はいわば未知の分野です。これまでの業界経験がダイレクトに生かせるわけではありませんが、不安には感じませんでした。それは現在携わっている太陽電池の部材は樹脂系のシート材料が中心であり、今まで培ったポリマーの知識が生かせると思ったからです。また自動車材料と同様、太陽電池の部材開発においても、素材の評価だけではなく最終製品(太陽電池モジュール)として組み立てた際の評価も行います。モジュールの評価には大学時代に学んだ機械の知識も生きています。
素材の開発において、大事なのは知識や経験だけではありません。自動車材料でも太陽電池材料でも、開発において最も大事にしているのは、地球環境問題を素材の力で解決したいという強い思い。この思いこそが素材を開発していく原動力となっています。まさに当社の企業理念「わたしたちは新しい価値の創造を通じて社会に貢献します」の体現そのものです。すべてのモノの基本単位である素材の力で、地球が抱えるエネルギー問題、環境問題を解決していく。自分たちの世代だけではなく、後々の世代にまで貢献できる仕事。それが素材開発の面白さであり、やりがいなんです。
32歳で企業買収、38歳で新部署設立に携わったりするなどの経験をしましたが、私が東レで歩んできた道は、それほど特殊というわけではありません。今やどの会社もグローバル展開を志向しているように、東レでも海外での仕事も増えており、私のときよりも若いうちからの海外赴任のチャンスが増えています。海外の関係会社に赴任しているときに、私のように買収案件に携わる可能性もあるでしょう。そんなチャンスを生かすためにも、学生の間にそれなりの英語力は身につけておいてほしいですね。そしてもう一つ、ぜひ、学生時代に積極的にやっておいてほしいことがあります。それは人とのネットワークづくりです。どれだけいい材料、いい技術を生み出したとしても、それを認めてくれる人がいなければ世には出せません。つまりいい材料、いい技術の背景には、多くの人の支えがあるということ。人と人との関係をうまく作っていくことが大切になるのです。だからこそ学生時代にできるだけいろんな場所に飛び込み、自分自身のネットワークを作っていくことをお勧めします。
寺田さんに質問!
Q1.どんな学生だった?
Q2.入社後、いちばん苦労したことやギャップを感じたことは?
Q3.休日の過ごし方は?
休日は自宅のある名古屋に帰り、息子二人と体を動かしたりして過ごすのを楽しみにしています。子どもと遊んでいると、気分転換が図れるのでいいですね。
Q4.学生にお勧めの本とその理由は?
取材・文/中村仁美 撮影/福永浩二 デザイン/ITコア