朝日新聞社 岡本峰子さん【人事部長インタビュー】

表面的事実の奥にある真実を見抜く、調査報道に強い新聞でありたい

朝日新聞は130年以上の歴史を持つ「オールド」メディアですが、常に最新の情報を集め、発信する力を国内外で発展させてきた情報産業の要です。ITを使って情報収集や報道を展開しているという点では、先端のIT企業でもあります。

私たちが重視していることの一つが、コンテンツ力の強化です。世界中の正確な情報をどのように迅速に集めて発信していくか。表面的な事実だけではなく、その奥にあるものをどう深く掘り下げ、真実を見抜いて分析し、読者にこれからを考える視点を提供していくか。例えば調査報道の取り組みや「新たな国際報道」の展開が、その実例です。

調査報道の強化の表れが2006年に発足した特別報道チームですが、古くからの全社的な取り組みでもあります。厚生労働省の官僚トップ、村木厚子さんが誤って逮捕された郵便不正事件で、大阪地検特捜部の検事が証拠資料の電子データを改ざんしていた事実をスクープしたのは、大阪社会部の記者たちでした(2010年)。また、2011年にチームから部に昇格した特別報道部は、東京電力福島第一原発事故にかかわる記事をさまざまに書いています。長期連載『プロメテウスの罠(わな)』や2013年1月の「手抜き除染」(※1)のスクープがあります。調査報道の手法は、国際取材でも欠かせません。中国駐在の記者たちが、欧米アジア各国を飛び回って調べた連載『紅の党』は、中国政府の隠された内部を暴いたと世界からの注目を集めています。

(※1)東京電力福島第一原発の近くで国が進めている除染作業に、手抜きがあったことが、朝日新聞の取材で発覚した。

国際報道で見ると、グローバルな問題意識のもとに国内外で数カ月間チーム取材をして、月2回の特別紙面でまとめて発行する『GLOBE』があります。この取材チームは、若手からベテランまで所属部署にかかわらず、全国から手を挙げて参加できるんですよ。『GLOBE』を含めた朝日新聞記事は社内で英訳して、海外読者向けの『Asia & Japan Watch(AJW)』で発信しています。韓国語や中国語にも翻訳していますが、特に中国語での発信が関心を集めていて、中国版ツイッター「微博」で朝日新聞社のアカウントは、2013年6月時点で3000万人以上にフォローされていました。その影響力のためか、7月に突然、アカウントが閉鎖されてしまったほどです。

また海外取材網でいえば、36の総支局に自社の記者50人以上を置いていますが、それ以外にも常に世界的視野でニュースを掘り起こす「機動特派員」が10人近くいます。語学教育のため、社内の留学制度はありますが、朝日新聞が求めるグローバル人材に求められるのは、語学スキルだけではありません。こうした記事に体現されるように、グローバルな視点で課題を発掘し、調査する力です。

「医療」「教育」「環境」の3分野もまた、力を入れている取材分野です。教育面では『いま子どもたちは』、生活面では『患者を生きる』という長期連載を続けています。どーんと大きな事故や事件が起きるのを待つのでなく、「普通」の人たちの身の回りに起きること、感じることを大切に報道していく姿勢も大事だと思っています。

近年、記者の働き方を大きく変えているのが、ネットを通じた発信です。ソーシャルメディアの登場により、今や個人一人ひとりがメディアとなって発信できる時代です。その中で、プロとして顔と名前を出し、“記者個人を打ち出していく”方針をとっています。普段の記事署名はもちろん、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を積極的に使っているメディア企業は、新聞・放送業界の中でも朝日新聞社が最も先を走っていると自負しています。公式のツイッターアカウントは200近くあり、記者60人以上が「つぶやく記者」として個人アカウントで発信。これらの「つぶやく記者」たちの記事、写真、動画などをまとめた「記者ページ」も作っています。

私も記者出身ですが、かつて記者は取材する裏方だから表に出るものではない、という考え方が主流でした。これを大きく転換し、記者個人の顔やメッセージを打ち出すことで、読む人たちに親近感を持って情報やニュースの中身について深く理解していただこうとしています。それだけに、記者個人の魅力や語る力、発信力がこれからもっと求められる。そんな新時代の記者がたくさん育ってほしいと考えています。

コンテンツ力に加えて重要なのが、メディア力です。メディア力とは、どれぐらい太い情報発信力があるか、どれだけ質の高い読者を持っているかということではないでしょうか。

2003年ごろ約820万部だった朝日新聞の購読数は、この10年で50万部減りました。けれど、2011年に創刊した朝日新聞デジタルは、約13万人の有料購読者と約120万人の無料購読者を獲得しています。2013年5月には、米国のニュース・ブログサイト『ザ・ハフィントン・ポスト』の日本版サービスを開始し、若い層のニュースへの関心度を高める取り組みなどを行っています。これからの課題は、効果的な媒体を使ってさらに購読者を増やすとともに、有料でも読んでもらえる中身づくりです。ネット、ソーシャルメディアの特性を生かしたコンテンツ力の強化が、その鍵です。

新聞というビジネスモデルは、130年近く同じかたちで続いてきた稀有(けう)な存在です。過去の資産と近年の経営効率化で、現時点で経営体力に不安はまったくありません。こうした体力があるうちに、コンテンツ力やメディア力を高め、コンテンツビジネスを確立するためのトライ&エラーを重ね、『朝日新聞デジタル』を軸に、今の時代に合った新たなインフラを構築・完成させていく。その実現に向けて、2013年6月にはメディアラボという新たな部門を発足させました。朝日新聞には、古くから取材に必要な機材を自ら開発し、業界の先頭に立って1970年代からIT化を進めてきた実績があります。今も、新商品や新事業の開発、新市場の開拓に取り組みながら、いろいろな可能性を模索中です。

好奇心旺盛から静かなタイプまで記者の人材は幅広い

新聞社などのマスコミは、かつては“何となくかっこいい”“何となく面白そう”と思われていましたが、近年はこうした〝何となく層〟の志望者が減っています。採用の重点課題は、そういった人たちにいかに新聞社で働く面白さを伝えていくかです。

朝日新聞社の記者は「会社の儲けのために働きなさい」とは決して言われません。私たち記者の仕事は、世間や公益のために、明らかになっていない真実を明らかにしていくこと。そして、だれもがイキイキと豊かに暮らせる社会の実現を目指し、不正や暴力、不当な差別を許さないことです。こうした「志」がまずあってこその朝日新聞社だと考えています。

記者に求められるのは、目の前のことを素直な目で見つめ、バランスのとれた価値観を持って吸収、取材して、真実を見極める力です。活躍している人の特徴は幅広く、一つにくくることができません。例えば好奇心旺盛で少々無謀でもガンガン前に出ていくタイプがいますし、反対に、静かに思索しながら淡々と取材し記事にして読者の心をつかむタイプの記者もいます。もちろん、正義感と倫理観は必須です。記者の仕事は、普通の人がアクセスできない場所に赴き、人に会うこと。取材手法が倫理上不適切では、国民に信頼されません。

企画事業・デジタル・広告・販売・管理などのビジネス部門や技術部門で働く人も、ジャーナリズムという公器を預かる企業の一員としての意識はかなり高いといえます。以前、労働問題のキャンペーン報道を始めたときには、ある企業からの広告が止まりました。しかし、朝日新聞は追及の報道を止めませんでした。広告の担当者は苦しい状況だったと思いますが、社の上層部は「こういうときこそ、我慢のしどころだ」と明言していました。

記者は、お金と情報を握る権力者や企業にとって、目障りな記事を日々書いています。広告担当の社員はこんなときは苦しいと思いますが、記者たちの努力と正義感を理解し、代わりに頭を下げてくれています。こうした事実を後に知って、いろんなスクープは記者だけのものでなく、全社一丸となって守り育てられているのだなと感じたものです。

とはいえ、一般企業と同様にコンプライアンスは厳しくなっています。高いスキルも求められます。そのため、入社後、記者部門は1カ月間、ビジネス部門は3カ月間、技術部門は半年間の研修期間を設けています。加えて言うと、記者は入社後3年間を広い意味での「新人」ととらえて、半年、1年、2年、3年後に同期での集合研修を行います。これは新たに導入した制度で、これまで記者は現場で先輩と一緒に働きながら仕事を学ぶOJTが中心でしたが、言葉で伝えられることは全国均一的に講義形式で伝え、同期の仲間が顔を合わせて仕事の悩みや改善策を共有する場にしています。

記者は一般的な職業に比べて基礎教育期間が長く、大変な仕事だと思われているようで、「結婚できますか?」と聞かれることがあります。大丈夫、結婚をしたいと思う人はしています(笑)。育児休業制度は法定を上回っていて子どもが満2歳になる年度の末まで最長3年とれます。実際に、2~3人の子を産む女性社員は珍しくありませんし、地方総局に勤務する若手社員も出産育児をしています。育休を取る男性も増えました。

個人的には『記者ほどお得な仕事はない』と思っています。なぜなら、自分の関心を深めることができ、社会的意義もあって、収入も悪くない。記者のワクワク感やドキドキ感を楽しいと思える人には、絶好の職業です。

とはいえ、企業に勤める限りは、自分の好きな仕事ばかりできるわけではありません。特に入社後数年は、自分が未熟なためにうまく仕事が進まないことがたくさんあります。でも、与えられた仕事をきちんとこなし、常に前向きに取り組んでいれば、だれかがきちんと見ていて評価してくれます。

どの職業に就こうが、へこむことはいくらでもあります。体力的にしんどいと思うこともあるでしょう。でも一番つらく、モチベーションが下がるのは「自分が今やっている仕事にどんな意味があるのか」と考え、迷うときではないでしょうか。その意味で、私は記者という職業を選んで幸運だったと思います。つらい時間はあるけれど、翌日には自分の書いた記事が署名付きで紙面になる達成感がある。書いた記事に数百通もの手紙をもらったり、記事で取り上げた人に渡してほしいと手紙や差し入れを送ってきてくれたりする読者からの反応がある。こうした充実感や、共に汗を流してきた同僚・仲間たちとの連帯感が、今まで私が仕事を続けられてきた原動力です。

学生の皆さんへ

社会のことに広く関心を持ってください。他人に組み立てられた大学での勉強だけでなく、読書やアルバイトなど、いろいろな体験を通して「自分は何をしたいのか」「どういう人間でありたいのか」を突き詰めてほしいのです。若いうちに悩み、それを乗り越えて、自分で答えを探す――私の場合は、バックパッカーの旅でした。「自分の足で国境をまたぎたい」とアジアを旅し始め、中国横断中に、チベット自治区で独立を求める暴動に遭遇したんです。すると、私が泊まっていた宿にAP通信の記者から電話が入って、街で何が起こり何を見たのか、聞いたのかと取材されました。暴動の間、記者は取材に入ることを禁じられるのが中国政府ですので、その後も毎日、電話取材を受けました。また、地元の人たちは「寺が封鎖され、中でチベット人が射殺されている」と話しているのに、中国メディアは「チベット人が鋤(すき)や鍬(くわ)で人民解放軍を襲っている」と報じている。果たしてどちらが正しいのか、もし両方事実だとしても一方を隠した報道は真実とはいえないのではないか、という報道に対する不信感も芽生えました。それを自分で確かめたいという思いが、記者を目指す原点になったのです。

同社30年の歩み

1879年1月25日、朝日新聞第1号を大阪で発行。88年、東京朝日新聞(東朝)を創刊。1908年、大朝と東朝が合併し、朝日新聞合資会社に。資本金60万円。11年、朝日最初の女性記者が誕生。15年、朝日主催の第1回全国中等学校優勝野球大会を開催。戦争で一時中断されたが、2013年で第95回大会となる。1922年、『週刊朝日』を創刊。27年、東朝新社屋が有楽町に完工、移転。40年、『大阪朝日新聞』『東京朝日新聞』の題号を『朝日新聞』に統一。52年、朝日新聞綱領を制定。79年、創刊100周年を記念して第1回東京国際女子マラソン大会を開催。これは国際陸連が公認した世界初の女子マラソンである。
1980年
東京本社新社屋(築地)が竣工。コンピュータによる新聞製作が始まる。
1987年
阪神支局が襲撃され、散弾銃で記者1人死亡、1人が重傷。名古屋本社寮襲撃、東京本社銃撃、静岡支局爆破未遂事件などが警察庁指定116号事件に。
1992年
自民党副総裁・金丸信に東京佐川急便から5億円献金とスクープ。
1995年
阪神・淡路大震災の被災地向けにタブロイド判情報紙面を週1回発行。「戦後50年」紙面企画、「地球プロジェクト21」を始動。インターネットで『アサヒ・コム』開設。
1999年
創刊120周年。「伊能ウオーク」ほか多彩な記念企画を実施。
2006年
ジャーナリスト学校を発足。
2008年
紙面の文字を拡大し、15段組から12段組に刷新。特別紙面『GLOBE』創刊。

ph_hrmaneger_vol●_01

2009年
テレビ朝日、KDDIと協業でau携帯電話に『EZニュースEX』を配信開始。
2011年
朝日新聞デジタルを創刊。本紙「原発ゼロ社会への提言」、論説主幹論文と5本の社説、本紙連載『プロメテウスの罠』を開始。

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2012年
大阪に中之島フェスティバルタワーを竣工。9階から12階に朝日新聞大阪本社がある。

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 2013年
日本版『ザ・ハフィントン・ポスト』を開設。

取材・文/笠井貞子 撮影/鈴木慶子

 

36の総支局

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