京セラ株式会社 名誉会長 稲盛和夫【企業TOPが語る 仕事とは?】

1932年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒。松風工業を経て59年、京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、97年より名誉会長を務める。84年には第二電電(現KDDI)を設立。会長に就任。2001年より最高顧問。著書に『働き方』『稲盛和夫のガキの自叙伝』などがある。

就職がうまくいかなかったからこそ、後の私がある

若いみなさんにまず知っておいてほしいこと。それは、人生というのは、思うようにはならないということです。こんなことを言っても、まだよくわからないかもしれません。でも年を取って、過去を振り返ってみて、そうやって初めてわかることもある。だからこそ、私は若い人に教えておいてあげたいんです。人生は、思うようにはならない、と。そして思うようにならないことに直面したとき、そのことを肯定してほしいんです。

就職活動が始まって、希望した会社に採用される人もいるでしょう。一方で、残念ながらそうでない人もいる。もしかすると就職が決まらない人も出るかもしれない。しかし、うまくいかなかったからといって、決して悲観しないでほしい。一見、不幸に見えることも、実はそれが本当の不幸とは限らないからです。それも自分の人生だと受け入れて、与えられた環境のなかで前向きに明るく必死に生きていく。これが一番大事なんです。そうやって努力を重ね、真摯に生きていくことが人生というものを形作っていきます。その意味では、むしろ逆境のなかから這い上がっていく立場になったほうが、大きな収穫を得られるのかもしれません。私の人生がまさにそうでした。

中学受験に失敗し、結核を患い、空襲によってすべてを失い、ようやく故郷・鹿児島の地元大学に入ったと思ったら、就職すらままなりませんでした。大学では勉強もし、成績も良かった。これなら、いい会社に入れると誰もが言ってくれた。ところがうまくいかなかった。折しもの大不況で行くところがなくて、先生がかわいそうに思って、ようやく見つけてくれたのが、京都の松風工業という碍子(がいし:電線を支持して絶縁させるために取り付ける磁器などでできた絶縁体の器具)を作っている会社でした。これが大変なボロ会社で、まさに今にもつぶれそうでした。会社は赤字、労働争議は頻発、給料はいきなり遅配する。同期入社した大卒5人のなかから、1人辞め、2人辞め、その年の年末にはとうとう私1人になっていました。

私の人生はどうして何をやってもうまくいかないのか、と思い悩みました。しかし、もう不平不満をぶつける相手もいない。そこで私は1人になって、考え方を変えたんです。いつまでも世間を恨んでいても仕方がない。希望を捨てないで、すばらしい未来があると信じて、仕事に打ち込んでみよう、と。

入社して最初に配属されていたのは、当時まったく新しい分野だったファインセラミックスの開発でした。大学の専攻とは違った分野でしたが、とにかく研究に没頭しようと決めました。研究環境は決して恵まれたものではありませんでした。満足な実験装置もなかった。それでも頑張れと自分を励まし、寮からなべ、かま、布団、七輪まで研究室に持ち込んで、朝から晩まで実験三昧の毎日を送りました。

すると不思議なことに、すばらしい実験結果が出てくるようになったのです。1人取り残され、心の持ちようを変えた瞬間、私の人生は転機を迎えました。人生の明暗を分けたのは、運不運ではなく、心の持ちようだったのです。その後、研究していた新材料の開発とその事業化に成功しましたが、やむを得ぬ事情により会社を去ることになりました。しかし、起業を支援してくださる方々が現れ、新しい会社を創業していただきました。後に売り上げが1兆円を超えるような会社を自分で作ることになるなど、当時は想像すらできなかったことです。

もし就職がうまくいっていたらどうだったか。それなりに頑張ったかもしれない。でも、逆境のなかで這い上がってくるほどには頑張らなかったでしょう。いい会社に就職できた自分に満足してしまい、今ほど納得のいく人生が送れなかったかもしれません。

人生は不思議なものです。スタート時に差がある、と思っていたら、そんなことはまったくなかった。むしろ私は結果的に、自分の境遇に感謝するようになりました。だから、みなさんも将来どんな境遇になっても、まずはそれを肯定してほしいのです。そして、明るく前向きに努力することが大事だと、私は伝えたいんです。就職がうまくいったか、いかなかったか。そんなことに一喜一憂することはありません。うまくいっても、うまくいかなくても、ここからが始まりなのですから。

京セラ株式会社 名誉会長 稲盛和夫【企業TOPが語る 仕事とは?】インタビューカット

たまたま出合った仕事を、好きになることこそ大事

最近の就職活動では、自分に合った仕事や、やりたい仕事にこだわる人も多いと聞きます。でも、自分のやりたい仕事にありつける人は、本当に少ないのです。また、やりたいと思っていることも、日々変わっていったりします。気持ちがころころと移り変わるのが人間です。それこそ9割以上の人は、自分が希望しなかった仕事に就くことになると思ったほうがいい。希望する会社に入社できても、希望する仕事に就けるという保証はありません。だから、たまたま出合った仕事を好きになることが大事なのです。

たとえどんな仕事でも、それを天職と思い込むことです。好きにならなかったら、努力なんてできない。努力ができなければ、結果が出るはずがない。人生の成功者というのは、たまたま遭遇した仕事を好きになり、必死で立ち向かった人。徹夜も辞さないほどに、懸命に努力をした人です。惚れて通えば千里も一里、といいます。好きになれば、仕事が面白くなる。努力をしても苦にならなくなる。才能がなくても、熱意があれば人に伍していけるんです。地味な努力を一歩一歩積み重ねれば、平凡な人間でも非凡になるんです。

なのに、自分に合わない、違うと選り好みし、いつか自分の好きな仕事に巡り合えると迷っている間に仕事に打ち込めず、人生を棒に振ってしまう人がたくさんいます。自分が惚れた仕事に就けたらラッキーと思うのではなく、どんな仕事でも、就いた仕事を好きになることです。与えられた仕事という、運命を受け入れてみる。それが、次の運命を好転させるのです。

仕事は、人間を成長させてくれます。成長していくとはどういうことかといえば、人間性が高まっていくということです。では、人間性とは何か。人間というのは、たくさんの虚飾をまとって生きています。学歴などの経歴も、就職先や肩書も、自分を着飾っている装いと同様、すべては虚飾に過ぎません。それらすべてひっぺがした裸の自分というものが、果たして人から信頼され、尊敬される存在であろうか。それが人間性が問われるということです。

知識やスキルを身につけることも大事ですが、この人間性こそ立派にしないといけない。そうでなければ、人の上に立つことなどできないし、人を動かすこともできません。いい仕事をするには人間性が必要になるんです。では、人間性が高い人とはどういう人か。損得ではなく、善悪で判断できる人です。自分にとって損か得か、ではなく、人間として何が正しいのか、という善悪を判断基準にできる人。自分にとっては不利益でも、それが善であれば選択できる。そんな心の持ち主です。

損得を判断基準にする典型的な例は、利己的な人です。利己的な人は、自分の昇進や自分の収入のために働きます。利己的な欲望が原動力であり、すべてを自分の損得で考える。こういう人に、みなさんはついていきたいでしょうか。一方、利他的な人がいます。この会社を立派な会社にするために、頑張ろう、という人。やさしい思いやりの心を持った人。誰かのために働こうという人。こうした利他的な欲望は、善に通じます。だから、本心から頑張れる。そして、まわりの人もついていく。

人間性というのは、生涯を通じて作り上げていくものですが、何がそれを高めるのかといえば、試練だと私は思っています。歴史上の偉人たちはみな、厳しい試練に見舞われています。明治維新の立役者、西郷隆盛は、藩主の逆鱗に触れて2度も島流しに遭いました。西郷はもう死ぬだろうと誰もが思っていた。ところが、雨露の吹き込む座敷廊で、彼は陽明学などの古典を一生懸命に勉強するわけです。そして2年も3年も辛酸をなめ続け、結果として人間が大きくなる。国に戻ると、会えば誰もが一目置く存在になりました。

辛酸をなめて苦労をする。これが人間には非常に大切です。しかも、できれば若いうちがいい。30代前半くらいまでにしたほうがいい。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」、と言われますが、本当にその通りです。30歳くらいまでに苦労して人間性を高めることができれば、その人の人生は大きな可能性に満ちてくると私は思います。

私が幸運だったのは、苦労をせざるを得ないような状況に追い込まれたことでした。好んでなったのではなく、ほかに行くところがなかったから耐えざるを得なかった。その意味では、今の若い人は大変だと思う。豊かな時代に、苦労を見つけなければいけないから。自ら苦労に飛び込まないといけないから。だから試練に遭ったときには、むしろ幸運だと思ったらいいんです。「やっぱり、ラクなほうがいい」と思う人もいるかもしれませんが、だまされたと思って、自ら苦労に体当たりしてほしい。その意味は、年を取ってから必ずわかります。

今は、たくさんの選択肢がある。だからでしょうか、就職活動がうまくいかなかった、という人だけでなく、希望の会社に入れた人までもが、会社をすぐにポーンと辞めてしまう。選択肢が、ありすぎるんです。でも、これは一番まずい。3年も辛抱できずにやめて他社に行っても、またよその花がきれいに見えて、辞めてしまいかねない。それを何度も繰り返しているうちに人生は終わってしまいます。人生は危うくなります。たしかに会社を辞めてうまくいく人もいるかもしれませんが、辛抱するという気持ちを、常に持っておいてほしいと思います。

 

新人時代

大学の先生の紹介でなんとか入社できた会社でしたが、倒産寸前で、研究環境は粗末でした。これで、同じ研究をしている他社の研究者に太刀打ちできるのか、という不安もありました。でも、不満を言わず、与えられた仕事を好きになろうと夢中になって頑張ったことが今日を作ったんです。
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プライベート

会社員時代も、京セラを創業してからも、休日はほとんどなしで研究に没頭していました。それでも若い頃はごくたまに、パチンコに行くことがありました。当時は手打ち。集中して打っていると無心になれて、気分転換ができた。研究にもプラス効果を生んでくれた息抜きでした。ゴルフは仕事のつきあいで始めましたが、丸一日使ってしまうのが惜しいので、年数回しかしていません。

取材・文/上阪徹 撮影/笹木淳 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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「面倒くさい、自信がない、就職したくない。」
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