1945年、愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。70年、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)入社。米国でのレクサスの立ち上げなどを担当。91年、米国トヨタ自動車販売副社長。同年、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)取締役。2002年、副社長。05年、取締役社長。13年から現職。
何でも興味を持ち、常に世のなかにアンテナを張り、変化をつかむ
私は、何でも興味を持ってみることがとても大事だと思っています。世のなかには面白いことがたくさんあります。目を見開いて世のなかを見れば、いくらでも興味を持つことができます。
例えば以前、ホームで新幹線を待っていたとき、架線がジグザグに張ってあることに気がつきました。どうしてだろう、と思って調べてみると、パンタグラフの接触面が均等に磨耗するようにジグザグに張ってあるのだという。鉄道業界では常識のことでも、一般にはあまり知られていないが、実際、電車は全部そうなっているわけです。不思議に感じたことには「なるほど」という理由がある。「どうしてこうなっているのだろう」「そもそもどうしてなのだろう」。そういう興味を持つことは、仕事でも大いに活きてきます。
私の社会人としてのスタートは、当時のトヨタ自動車販売株式会社の経理部主計課で原価計算からでした。担当していた業務がルーチンワークであったこともあり、2、3カ月もすれば覚えてしまうし、仕事を早く片づけてしまうと時間ができる。それで、何か面白いことはないかと探し始めました。すると、オフィスに、ほとんど誰も触っていないと思われるキャビネットがありました。開けてみると、海外子会社の財務諸表がファイルされていたのです。それ以来、空き時間ができるたびにそのファイルを見るようになりました。どうやら、誰もその内容を細かく見ていなかったようなのですが、会社の上層部が知っておいたほうが良いと思える内容がたくさんありました。思わず、「このままで良いのか」と役員に意見を言ったところ、自分の仕事として任されることになりました。そして、この仕事は海外のグループ会社の財務管理セクションとして、後に課となりました。
入社2年目に、有価証券報告書づくりを担当しました。そのときは本当に大変でしたね。まったく知識を持たずに作り始めたわけですから。それこそ、会計士に何度も何度も話を聞きに行きました。でも、だんだんわかってくると面白くなってくるんですね。この数字はこことつながっているのか、と数字の意味も理解できるようになってきました。苦労もしましたが、しっかり勉強させてもらえたことは、後々大いに活きてきました。やりたくないと思っていたことも、やってみると興味が持てるということを知りましたね。
ちょうどその頃、ニクソンショックが起きました。1ドル360円の固定相場制が崩れ、一気に円高へと変わっていったのです。世のなかは慌てていましたが、トヨタ自動車販売株式会社の経理部は、為替が大きく変動するかもしれないと早くから準備を進めていたため、事なきを得ました。常に世のなかにアンテナを張っておけば、何かがおかしい、という空気をつかむことができます。
実は、今もそんな時期にあると思います。社会構造から何から、いろいろなものが変わる空気を感じます。世のなかをしっかり見て、準備をしなければいけません。
2008年のリーマン・ショック以来、「これからは、私はカメレオンになる」と言っています。カメレオンのように環境に合わせて体の色をどんどん変えていくのです。そして目は360度、常に光らせておく。気になるものがあれば舌を出してパッと取る。それまではじっとしているんです(笑)。
学生の皆さんも、何かが起きるかもしれない、と常にアンテナを張るようにしてください。そして、変化を感じ取ったなら、自ら変わっていかないといけない。これからはそういう時代が続いていくのだと、覚えておいてほしいと思います。
基本を身につけ、考え抜くことで応用ができる
1980年代後半、アメリカで「レクサス」ブランドを立ち上げたとき、私はまだ40代の課長でした。当時、トヨタはアメリカでピックアップトラックを大ヒットさせていました。ヒットはうれしいことですが、このピックアップトラックがトヨタのイメージになってしまっていました。このイメージを変えるために高級車を出そう、ということになったわけです。高級車を出すのはいいと思いましたが、別のブランドを立ち上げて出すという。別のブランドを作っても、それでトヨタのブランドイメージが上がるのかどうか。私はそれが疑問で、「トヨタブランドでやるべきだ」と主張していました。でも、そう言っている私に、「お前がやれ」という指令がとんできました。
当時、高級車を作った経験者はトヨタにはいませんでした。もちろん販売した経験者もいない。実は何もなかったのです。でも逆にそれがいいと思いました。何でもやれるわけですから。「やるからには良いと思ったことを全部やろう」と思いました。
ターゲットをどの層に据えるか。販売店はどこに作り、何を基準にして選ぶか。宣伝広告をどうするか。何もかもゼロから始まりました。ジャーナリストへの試乗会はドイツのアウトバーンで行い、販売店の試乗はレーシング・コースで行いました。時速200キロを超えるスピードで走っても、いかに静粛で快適かということを知ってもらいたかったからです。当時の米国トヨタの社長に「こんなことをやりたい」と言うと、「面白い、やってみろ」とやらせてくれましてね。経営トップがそんなふうにどっしりと構えた人でなかったとしたら、アメリカであれほどの「レクサス」の成功はなかったと思っています。
「レクサス」の立ち上げの前、私はインドネシア向けの車を担当していました。このとき、アジア向けの戦略小型車のモデルチェンジを進めていたのです。当初モデルチェンジの計画はなかったのですが、分厚いレポートを書いて計画を変更してもらいました。その甲斐あって、この車はインドネシアで大ヒットすることになりました。トヨタで一番安い車を担当した後に、今度はアメリカで一番高い車を担当することになったのですが、やることは同じなのです。マーケットをしっかり見て、やるべきことをやっていく。重要なのは、「どうあるべきか」です。常に「原点」に戻り、あるべき姿から考えていくことが大事なのです。
そのために重要なのが、「基本」です。学問の基本、仕事の基本、人としての基本、生きていくうえでの基本です。例えば、読み書きソロバン。それくらいはできると思っているかもしれませんが、必ずしもそうではない。「実は自分は基本ができていない」と認識しておくくらいでちょうどいいと思います。そこから学ぶという姿勢でいてほしい。実際には、基本ができていないことがほとんどです。そして、基本がしっかり身についていれば、応用ができるようになるのです。
グローバル化のなかで、「語学がまず重要」とよく言われますが、実際はそうではありません。むしろ必要なのは、日本の文化、伝統、歴史が頭に入っていることなのです。これらが基本となってベンチマークとすることで、海外の文化、伝統、歴史が理解できる。日本に関する知識、つまり基本がなければ、海外を正しく理解することはできません。そしてこれは、あらゆる領域の、あらゆる仕事の場面でも同じだと感じています。
今、求められているのは「考えるクセのある人材」です。勉強し、頭を使わなければアイディアは出てきませんし、物事の本質を見抜くこともできません。しかし、現代は考えなくても必要なものがいくらでも手に入るため、「頭を使って考える」ことをしなくても日常生活で困ることはありません。これは、油断していると考える訓練ができず、考えるクセが身につかないということです。一方、「頭を使って考える」ことの価値は増してきています。「考えるクセのある人間」になることが必要です。
私はこの年齢になっても、年に100冊以上の本を読みます。勉強はし続けなければならないし、基本も磨き続けなければならない。そのうえで、さらに頭を使って考える努力を、常にしなければならないと思っています。
日本は資源のない国です。そんな国が、世界の国々と競争していくには、日本にしかできないような付加価値の高いモノづくりをやっていくしかありません。日本の唯一の資源は人材です。人材をいかに伸ばし育てていくか。それ以外に、この国の未来を明るくする方法はありません。人材を育てることが、今の日本の経営者の使命だと私は思っています。
新人時代
プライベート
取材・文/上阪徹 撮影/亀田万太郎 デザイン/ラナデザインアソシエイツ
※2009年取材