前田敦子さん(女優)の「仕事とは?」|前編

まえだあつこ・1991年、千葉県生まれ。14歳で女性アイドルグループ「AKB48」のオープニングメンバーオーディションに合格。グループの人気をけん引する。2012年8月にグループを卒業し、女優としてドラマ、映画、舞台など活動の場を広げる。12年公開の映画『苦役列車』では、第4回TAMA映画賞 最優秀新進女優賞をはじめ数々の賞を受賞。13年には映画『もらとりあむタマ子』で第68回日本放送映画藝術大賞映画部門 優秀主演女優賞、第23回日本映画プロフェッショナル大賞 主演女優賞を受賞。現在は、テレビ朝日系ドラマ『就活家族〜きっと、うまくいく〜』に出演中。就労支援施設・地域若者サポートステーションを舞台にした短編映画『サポステ』が2月9日からWebで公開されている。

オフィシャルWebサイト http://www.atsuko-maeda.com/

揺るがなかった「女優になる」という思い

AKB48のオーディション時から「女優になりたい」とおっしゃっていましたね。女優を志したきっかけは何でしたか?

小さいころからテレビっ子で、ドラマが大好きだったんです。3~4歳のころ見ていた、ドラマ『家なき子』や『ひとつ屋根の下』の具体的なシーンを鮮明に覚えているほど。芸能界は遠い世界だと思っていましたが、小学校に入りティーンズ雑誌を目にするようになると、同い年の子たちが活躍している姿に、憧れを抱くように。「私も有名になりたい!きっとなれるはず!」という根拠のない思いが、女優になろうという気持ちにつながっていきました。大きなきっかけは、13歳の時に見たドラマ『オレンジデイズ』。大学生ってなんて大人びていて素敵なんだろうと夢中になりました。主演の柴咲コウさんが歌手としても活躍していて、「女優にはいろんな形があるんだな」と知ったことが、AKB48への挑戦に結びつきましたね。

-AKB48では、グループ人気をけん引することに。「女優になりたい」という思いがぶれることはありませんでしたか。

女優をやりたいというのは絶対的にありました。お芝居に自信があったわけではないんですけど、AKB48の活動をしながらずっと思い続けていたし、周りにも言い続けてきたことだったので、それを曲げちゃいけない、突き通さなければいけないと頑なに思っていました。もはや“意地”みたいなもの(笑)。でも、その意地が力になって、私を支えていたと思います。

―女優への思いとアイドルとしての活動の両立に、葛藤はありましたか。

ものすごくありました。今振り返っても「両立」は本当に難しいことでしたし、(AKB48を)卒業したメンバーもそう口をそろえます。タレント、モデル、女優、歌手・アイドルという、求められるものが違う4つのお仕事を並行してやっていた時期もあって、限られた時間内でやるべきことの多さに、体力、精神的にもぎりぎりの状態でした。どの仕事も、時間をかけないと身につかないプロフェッショナルなもの。いくつもの仕事をやり続けて活躍している方はたくさんいらっしゃるので、心から尊敬しています。

―葛藤の苦しさは、どんな時に感じるものなのでしょうか。

(女優として)出たい作品のお話をいただいても、AKB48の仕事があるからできないということも何度もありました。仕事の優先順位はAKB48が一番だと思っていましたし、私は「アイドル」であり、周りもそう思っています。ドラマのお仕事をいただいて現場に行っても「アイドルがちょっと女優もやっている」と、誰よりも自分が強く思ってしまって、どう振る舞ったらいいのかわからない、ここには居場所がないと感じることもありましたね。

-2012年8月にAKB48を卒業。その決断をする時、「女優としてやっていく」という自信はありましたか。

いや、全然ありませんでした。あったのは“意地”だけです(笑)。最初から(女優になると)言っていたから、絶対有言実行しなくてはいけないという思いだけで、あとはもうやってみなくちゃわからない、という気持ちでした。

同じ志を持つ“俳優仲間”との出会いに支えられた

-女優として独り立ちした今振り返って、AKB48時代に出合った仕事で、自分に大きな影響を与えているものは何ですか。

女優として初めて大きな仕事をさせてもらった、日本テレビ系ドラマ『Q10(キュート)』ですね。とても素敵な作品で、演じたロボット「Q10」も本当にかわいい子だったんです。当時、私はアイドルとして常に「かわいい存在」であることを求められていて、「Q10」に求められるかわいらしさに近しいものがありました。現役アイドルであり女優、という異色な感じも、ぎこちないロボットのニュアンスとうまく合って、あの時、あのタイミングで出合えなければできない役だったなと思います。

共演者は同世代が多く、初めての“俳優仲間”ができたことも大きかったですね。みんなが「ここから役者として頑張っていこう」という時期だったので、同じ志を持っていました。それぞれ違う環境で活躍しているのにずっと仲良しで、今でも集まれば本音で語り合える貴重な存在です。

固めずにゆだねる。そのやり方が自分に合っていると知った

―AKB48を卒業し、女優の道へ。ターニングポイントとなった作品はありましたか。

2012年8月に卒業し、その翌月から撮った映画『もらとりあむタマ子』(山下敦弘監督作品)は、自分の殻を破らせてもらったという意味で、とても大切な作品になりました。その少し前に、映画『苦役列車』で山下監督作品に初めて出させていただいたのですが、映画の公開初日に「次の作品で、あなたを主役として撮りたい」と言っていただいたんです。山下監督は、映画『天然コケッコー』を見て以来の大ファンで「この監督と絶対に一緒にお仕事がしたい!」と熱望する、憧れの存在でした。「大好きな監督にまた撮っていただける、こんな夢みたいなことがあるんだ」とすごく意気込んで撮影に臨んだのを覚えています。ただ、「大学を出て就職もせず実家に“寄生”するタマ子」というぐうたらな役だったので、作品への意気込みがまったく伝わらなかったんですけど(笑)。

―実際に山下監督と一緒に仕事をして、女優としてどんな成長がありましたか。

山下監督は、役者から醸し出されるものを映像に乗せてくれる方だなと思います。私が、タマ子の役に合わせていったというよりも、私の中にあるものを監督に引き出してもらったという感じがするんです。例えば、撮影中にもらう指示は「このシーンのタマ子は、ものすごーくふてくされているから。思いっきりやって」というだけ。「どんなふうに見られるかなんて関係なく、全部さらけ出していいんだ」と思わせてくれたことで、私はすごく解放されました。監督の深い愛情のなせる業だなと思います。

-監督と作品作りに向かう上で、意識していることはありますか。

どんな作品でも監督の言うことは絶対だと思っているので、現場に“ゆだねる”ことで生まれるものがあるなと思います。以前、ある監督から「歌をやっていたからかもしれないけれど、すべてのセリフにリズムがついているよ」と指摘されたことがありました。セリフを覚えるときに「この言葉にはこの感情を乗せよう」と決めて練習してしまうと、セリフの抑揚が固定されてしまいます。すると、会話のシーンなのに、相手と話しているのではなく、固定されたリズムのセリフが出てくるだけになってしまう。一度覚えて染みついたリズムから抜け出せなくなって苦しんだ経験があるので、セリフに感情をどう乗せるかは、現場でやりながら生まれるものを大事にしたいと思っています。

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後編では、出演中のドラマ『就活家族~きっと、うまくいく』、短編映画『サポステ』から学んだ仕事観、女優として大切にしている考え方についてお話しいただきます。

→次回へ続く

(後編 3月1日更新予定)

INFORMATION

就労支援施設・地域若者サポートステーション(愛称:サポステ)を舞台にした短編映画『サポステ』。「サポステ」公式ホームページ(http://saposute-net.mhlw.go.jp)にて2017年2月9日から期間限定で公開されている。
サポステは厚生労働省が設置する若年無業者等の就労支援施設。働くことに悩む若者に向け、職業体験やビジネスマナー講習などを行っている。短編映画『サポステ』では、サポステで若者の就労支援をする職員を前田敦子さんが好演している。

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取材・文/田中瑠子 撮影/臼田尚史

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