「機が熟すまで待つことが大事」柄本佑さんが俳優になるまでのストーリーとは?

柄本佑さん写真

プロフィール 柄本佑(えもと・たすく)1986年、東京都出身。2001年、14歳の時に撮影した『美しい夏キリシマ』(03)の主人公の少年役で映画初出演。2003年の映画『偶然にも最悪な少年』で本格的に俳優業を開始。松雪泰子と共演した映画『子宮の記憶 ここにあなたがいる』(07)では、若者らしからぬ大人の色気を感じさせ、その存在を印象づける。その後もさまざまな映画・ドラマに出演し、『エドワード二世』(13)、『百鬼オペラ 「羅生門」』(17)など舞台でも活躍。近年の主な主演作にドラマ『おかしな男~寅さん夜明け前 渥美清~』(NHK・16)、映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』『きみの鳥はうたえる』(18)など。俳優としてはもちろん、映画評の執筆などマルチな才能を見せる。19年には映画『ねことじいちゃん』が公開される。

柄本佑さんにとって初めての映画撮影は、14歳の時のこと。その経験を経て俳優になられるまでには、どんな経緯があったのでしょうか。最新作の映画『ポルトの恋人たち 時の記憶』(http://www.porto-koibitotachi.com)の撮影秘話と共にうかがいました。

ポルトガルでの映画撮影を経験して

-11月10日に公開される映画『ポルトの恋人たち 時の記憶』は、ポルトガルと日本の共同製作です。18世紀のポルトガルと、現代の日本。共に大地震を経験した後の社会を舞台に、同じキャストが演じる「運命の恋と復讐(ふくしゅう)」がミステリータッチで描かれていて、見応えがありました。

ありがとうございます。ポルトガルでの撮影は、(舩橋)監督とカメラマンの古屋さん、アシスタントプロデューサーの登山さん、中野(裕太)さんと僕の5人だけが日本人だったんですよ。

―どんな撮影現場でしたか?

例えば、日本の撮影現場だと、食事の時間が進行状況によって左右されますが、ポルトガルではたっぷり時間をかけて、ワインなど飲みながら、コース料理のような昼食を頂いたりするのが普通なんです。

―そうなんですか。今回はゆったりとした時間の流れを感じさせる魅惑的な作品を遺(のこ)されたポルトガルの名監督、マノエル・ド・オリヴェイラの作品に携わってきたスタッフの方々も参加されているそうですね。

そうなんです。憧れの監督でしたから、この作品のお話を頂いた時はうれしくて、「どんな役でもやります!」という気持ちでした。ポルトガルの撮影期間は18日間と短かったので、監督や古屋さんは大変だったと思います。監督たちが「日が落ちる!」と焦っていても、ポルトガルのスタッフの人たちは動じないんです(笑)。

-焦らないんですね。

日本から行った僕らとしては「この映画、本当に撮り終わるの?」と。そういう綱渡りが、撮影中ずっと続いていたような気がします。ただ、僕自身はわりとのんびりしていました。ポルトガルの空気の中で、撮影中はちょっとポルトガル人になっていたかもしれません(笑)。

-国によって映画作りに違いがあるだなんて、面白いですね。

ポルトガルでは、1日10時間しか撮影してはいけないんです。その違いは大きかったですね。だから、1日に2、3シーンしか撮らないんです。どんなに低予算の長編映画でも、8週間はかけるんです。日本の映画に比べたら、ずいぶんぜいたくな時間の使い方なんですよ。

-そうですね。

ただ、1日の撮影時間は少ないのですが、ワンシーンごとの撮影にかける熱量は妥協しないんです。例えば、10時間を超えているけれど「1シーン撮りこぼしている」となった時、ポルトガルのプロデューサーのロドリゴ(・アレイアス)が、彼の判断で「わかった。撮ろう」と撮らせてくれたりするんです。

―熱いですね。

そうなんですよ。プロデューサーの意見とはいえ、もう1シーン撮るということは、全スタッフを説得しなければいけないわけで。本当に熱い面があるんですよね。人間味があって、優しさとおおらかさと繊細さのある撮影現場でした。

―オリヴェイラ監督の映画のような、ゆったりとした名作が出来上がる理由がわかる気がします。

無理しないんですよね。今回は日本との合作ということで、ポルトガルの映画作りで普段撮っている量の3倍のシーンを撮ることになったわけですが、それでも無理していることを感じさせず、いつもと同じように緩やかにやってくれて。いいなぁと思いました。

映画『ポルトの恋人たち』PR画像
映画『ポルトの恋人たち』より。画像右側が柄本佑さん

俳優は、待つのとがっかりに慣れるのが仕事

―今回はポルトガルでの撮影でしたが、俳優さんは毎回、スタッフや共演者が違う撮影現場に入っていかれます。そこには自然に臨むことができるタイプですか?

そうですね。高校2年生ぐらいから、この仕事を本格的に始めたので。

―最初に映画出演されたのが『美しい夏キリシマ』(以下、『キリシマ』)ですよね。

撮影の時が14歳でした。2カ月間、宮崎県のえびの市で生活して、まったく親元を離れる経験をしたことが大きかったですね。その1年半後に本格的に(俳優業を)始めたのですが、10代のころから仕事と学校の出席日数のせめぎ合いでやってきたので、映画の撮影現場は仕事というより生活に近い感覚なんです。

―生活の中に俳優の仕事がある、ということでしょうか?

そうですね。本分は学生で、その傍らに仕事があるというスタンスで始めましたから。

―そうやって学生の時に映画に出演されても、その後プロの俳優にならない方もいます。『キリシマ』の現場の何に魅了されたんですか?

やっぱり日常では感じられない撮影現場の緊張感ですね。大人に交ざって子どもがそんな経験をしたら、やっぱり刺激的じゃないですか。そういう(ゾクゾクする)感じを肌で感じさせてもらって。大人たちが同じ方向を向いて物作りをしている面白さにひかれたというのが一番ですかね。

―一つのものを皆で作る熱さというか。

そうですね。でも、どの職業にもあることだと思うので、僕にとっては、それがたまたま映画だったのだと思います。そうやって大人と2カ月間仕事をしてからいつもの学校生活に戻ったら、同級生たちが圧倒的に子どもに見えたんですよ。

―物足りなさを感じたというか?

そうですね。決められた時間に行って帰るっていう学校生活が、ものすごくつまらないものに思えて。本格的に俳優の仕事を始めてから、むしろ学校生活を大事にすべきだと気づくんですけど。『キリシマ』の撮影が終わって、この仕事を始めるまでの1年半は、そんなことを考えながら過ごしていました。

―お父さま(柄本明さん)とお母さま(角替和枝さん)も俳優さんですが、もともと俳優のお仕事に興味があったのですか?

いや、映画監督になりたいというのが将来の夢で。小学校の卒業文集にも、そう書いていました。映画に憧れていたんです。『キリシマ』のオーディションは、うちのかーちゃんのマネージャーさんから来た話なんですけど。

―そうだったのですね。

かーちゃんが「どうせ落ちると思うけど、ホンモノの映画監督が生で見られるよ」って。それで行ってみたいと思ったんです。

―『キリシマ』は力強い名作を数々遺された黒木和雄監督の作品ですね。

かっこよかったですね。ぱっと見た時に、「この人が監督だな」ってわかるぐらい映画監督!というオーラが出ている方だったから。

―その後、本格的に俳優になられて。

うちのオヤジには「おまえ、『キリシマ』で(映画出演を)終えていたら、伝説になれたのにね」と今もしょっちゅう言われます(笑)。続けるっていうのは大変なことなんですよね。
続けていけばいくほど、どんどん難しくなっていくだろうということは、痛いほどわかっているんですけど。

―厳しい道ですね。

とはいっても、自分がやりたいと思ったのだから、続けることが大事だと思うんです。かーちゃんからはいつも「浮き沈みもある仕事だけど、腐らずやることだね」って。あと、「この仕事(俳優)は、待つのとがっかりに慣れる仕事だ」と。

―「待つ」は、俳優さんはオファーを受けて作品に出演されることが基本だから、作品との出会いを待つということかと思うのですが、「がっかり」とは?

自分にがっかりすることですね。「自分に落ち込むことに慣れる仕事だよ」と。俺より大先輩のこの人(お母さま)が言うなら、そうなんだろうなと。がっかりするたびに「次、頑張ろう」と思うんだけど、その作品を見ると、やっぱり落ち込みますね。

―『素敵なダイナマイトスキャンダル』や『きみの鳥はうたえる』など、最近の柄本さんは、俳優さんの多くがやってみたいと思われるような複雑で魅力的な役をやっておられます。

ありがとうございます。そう言っていただけるとありがたいですが、どの作品もまだ客観的に見られないんですよ。14歳の時に撮影した『キリシマ』なら、少し客観的に見られるかなと、この前、『キリシマ』のトークショーがあったので見てみたんです。

―いかがでした?

16年ぶりに見たんですけど、もう全然ダメでした。「何やってるんだコイツ」と思えてきて。自分の「がっかり」ばかり目に付くんですよ。15年たってこうなら、何年たてば自分を認められるのか。仕方ないですね、こればかりは。

柄本佑さんインタビュー写真

俳優をやりたいと言うまで、1年半かかりました

―14歳からやってこられて、転機はありましたか?

ほとんど『キリシマ』の時から変わっていないです。変わったことといえば、結婚して子どもができたぐらい。ただ、『きみの鳥はうたえる』をやった時に、監督が2歳上だったんですよ。こんなに年の近い監督と組める年齢になったんだなと思いました。

ー若いころからやられていると、そこは大きな変化ですよね。これまで「自分は何に向いているんだろう」みたいに将来を考えたりした時期はありましたか?

学校を卒業した時に、本分だった学校生活がなくなって、非常に不安に思ったのを覚えています。後ろ盾がなくなって、役者しかなくなったという感覚でした。

―その時、どんなことを考えていましたか?

社会からちょっと遊離していくような感覚がありましたね。自分はTシャツとか適当な格好をしているのに、同級生は皆スーツを着ていて。仕事がなければ、1カ月ずっと暇で、映画を見に行ったりもできる。はたから見たら、遊んでいるような生活じゃないですか。

―確かに、そうですね。

撮影がないと、この仕事(俳優)の人たちはやることがないんだなと、その時に気づいて。自分がどこに立っているのか、わからなくなる感覚というか、ふわふわ浮かんでいる風船みたいだなと。

―その不安はどう解消したんですか?

(弟さんで俳優の)時生と二人芝居の舞台を始めたんです。時間が空いた時に、「自分たちはここなんだ」という一つの拠点を作ろうよと。それは安心にもつながるし、映画やテレビの仕事を一つ終えたときに帰る場所にもなるなと。

―それは、いいですね。

何もなくなったときに、ここでやっていこう、エネルギーを蓄えようと思える場所を作りたかったんです。それができたときに、気持ちに余裕ができて、撮影が入っていないときも平気でいられるようになった気がします。

―壁にぶつかったときは、そうやって身近な仲間と相談しますか?会社でも悩みを話せる同期がいることが大きかったりしますが。

そうですね。(弟さんで俳優の)時生に二人芝居をやらないかと持ちかけた時に、彼も同じようなことを感じていたから、僕の提案をすぐ理解して、「やろうよ」と言ってくれた弟に感謝ですね。時生は兄弟ですが、それ以上にオヤジの怖さに立ち向かう同士みたいな感覚もあるんです(笑)。

―自分でやりたいと思ったことに真っすぐに取り組んでいらっしゃるから、そうやって身近な仲間と共に広がっていけるんでしょうね。『キリシマ』を経て、ご自分からお父さまに、この仕事を「やりたい」と言えたから今があるという感じがします。

『キリシマ』から1年半たっている時に、「俺、現場に戻りたいんだけど」みたいなことをどうやら言ったらしいんです。今考えると、よく言ったなと思うんです。それを言い出すまでに、1年半かかっているんですよね。

―なかなか言うのに勇気のいるひと言ですね。

多分、その1年半は(思いを)ためている期間だったんでしょうね、思いがたまれば、勝手にあふれ出して、そういうことを言わせるから。だから、(機が熟すのを)ちゃんと待てたのかなと。

―先ほども俳優は「待つ」仕事というお話がありましたが、「待つ」ことは本当に大事ですね。就職してすぐの若いころは思い通りにならないことも多いから、新入社員の人たちにも共通することだと思います。焦らずに、機が熟すのを待てるかどうかは。

そうですね。「待つ」時間があったから、そういう言葉が出てきたのかなと思います。ためて待つ期間をどう過ごすか、そこが大事なのかもしれないですね。

柄本佑さんインタビュー写真

映画『ポルトの恋人たち』
18世紀のポルトガルと、21世紀の日本。3人の演技派俳優―柄本佑、中野裕太、ポルトガル映画『熱波』(12)で熱演を見せた女優アナ・モレイラが、それぞれ一人二役を演じ、約300年の時を超え、デジャビュのように繰り返される男女の愛と復讐を描いた壮大な物語。

柄本佑は18世紀のポルトガルで働く日本から連れてこられた奴隷の男と、21世紀の日本で移民労働者をリストラするサラリーマン、まったく逆の立場の役柄を演じている。監督はニューヨークで映画を学び、日米合作映画『ビッグ・リバー』(06)で注目された舩橋淳。
(c)2017『ポルトの恋人たち』製作委員会

監督:舩橋淳 出演:柄本佑、中野裕太、アナ・モレイラほか
配給:パラダイス・カフェ・フィルムズ
11月10日(土)、シネマート新宿・心斎橋ほか全国公開
公式サイト:http://www.porto-koibitotachi.com

取材・文/多賀谷浩子
撮影/鈴木慶子
ヘアメイク/星野加奈子

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