いいじまよしひろ・1941年岩手県生まれ。16歳で上京し、時計店で修業。18歳の時に最年少(当時)で時計修理技能士の資格試験に合格。東京都の経済局長賞を受賞する。21歳でスイスの時計メーカーの下請け業者として独立。以後、時計の修理・修復に携わる。2007年、高度な技能を持つ技術者として、神奈川県川崎市より「かわさきマイスター」に認定される。時計技術者が集まる「日本時計研究会」で月に1回講師を担当するなど後進の育成にも注力している。
どうせ働くのなら、職人としての技量を問われる仕事をしたい
腕時計というのは、小さな箱に技術の粋が詰まった世界です。日本のセイコーが生み出したクオーツ(電池式)の技術も素晴らしいものですが、時計職人として腕が鳴るのはやはり機械式ですね。ゼンマイの動力で歯車を回転させて動かす機械式腕時計は、まさにメカ。複雑な構造で、メーカーによって機構が異なり、高級機械式腕時計の代表格とされるロレックスの場合、部品は300ほどあります。
耐久性のあるクオーツとは異なり、機械式腕時計は部品が摩耗したり、潤滑油切れを起こして止まりやすいため、数年で定期的にメンテナンスをする必要があります。そこが私の出番。すべての部品を解体して古い油を洗い落とし、痛んだ部品は交換して組み立て、動かなくなった時計もよみがえらせます。昔の時計ですと、部品が廃盤になって手に入らないこともありますから、旋盤(施削加工を行うための工作機械)で部品を作ったりもしますよ。
この仕事の醍醐味(だいごみ)を感じるのはやはり、誰にも直せないものを直せたときです。この間は、静岡県のお客さんからスイスのメーカーの高級機械式腕時計をお預かりしたのですが、40〜50年前のものでしてね。お孫さんに譲りたいということで、最初はメーカーに修理を依頼したらしいのですが、部品もないし、直せる職人もいないということで断られたとうかがっています。その時計が元通りに動いたということで、お客さんの喜びようといったらなかったですね。
数千万円の時計を直すこともありますが、高級な機械式腕時計の構造は精巧で美しく、見ていてほれぼれとします。だけど、若いころはこういう高級時計は怖くてとてもいじれなかったですよ。私は集団就職の第一期として岩手から16歳で上京しましてね。機械ものが好きだったし、技を身につければ食いっぱぐれないだろうということで、時計店に弟子入りしたんです。
最初は仕事を覚えるだけで精いっぱいで、将来設計も何もなかったです。ただ、どうせ一日のほとんどの時間を費やして働くのなら、誰でも修理できる安価な時計ではなく、職人としての技量を問われる高級時計を直せるようになりたいという思いがありました。だから、どんな時計を直すときも「新品の性能よりももっと上をいくのではないか」というレベルを目指して仕事をしました。
そのうちに、東京都の職業能力開発協会が時計修理技能士(のちの1級・2級時計修理技能士)の資格をつくることになりましてね。「ダメでも今後の参考になるから、一丁やってみるか」と受けてみたところ、合格して東京都の経済局長賞を頂きました。当時私は18歳で、最年少での合格だったと聞いています。
試験は複数のメーカーの壊れた腕時計を直し、1日の誤差30秒以内にするという当時の腕時計の性能にしてはかなり厳しい基準でした。それだけに、合格はうれしかったですね。資格を取ってすぐに何かが変わったわけではありませんが、簡単な言葉で言えば、努力すれば報われると思いました。その後50年以上たった現在まで常に上を目指そうと勉強してきたのは、この原体験があったからです。
努力していれば、必ず結果は出てくる。そうでないと、仕事は面白くないです。だけど、結果というのはそう簡単には出ませんから、焦ることもあるかもしれません。そのときに納得いくまで努力せず、中途半端な気持ちのままあきらめてしまったら、次に何をしても、仕事への自信はなかなか持てないでしょう。だから、一生について言えることですが、若いときはなおさら、持てる限りの力を尽くして努力をするということが大事だと思います。
自分の腕に自信を持たなければ、仕事なんてできない
独立して工房を構えたのは、20歳の時です。時計メーカーに就職する道もありましたが、勤めると給料は同僚たちとそう変わらないでしょ。私は若くして結婚し、すでに子どもがいましたから、稼がなければというのがありましてね。仕事を頑張った分だけ収入が増えるフリーを選んだんです。そのかわり、フリーというのは仕事がなければ完全にアウトですから、必死でしたよ。
独立当初は高級輸入時計店の下請けとして、新品の時計を調整する仕事をしましたが、スイスの時計メーカーの規格水準は高くてね。小売店のウインドウに3年間飾ってあっても、巻いたらきちんと動くようなレベルを求めるんですよ。機械式腕時計というのは歯車が滑らかに動くよう油が差されていますが、時間がたつと油が劣化して動きが狂いやすくなります。それを注油の技術で食い止められるかどうかに職人の腕の良し悪しが出るのです。
最初は苦労しました。「これなら大丈夫」と思って納品しても、顕微鏡検査で「ここがダメ」「あそこがダメ」と細かい点を指摘されて、やり直しを求められる。無茶な話だと思いましたが、寝る間も惜しんで試行錯誤するうちに、どんな時計でも要求された規格で調整できるようになりました。2007年に地元・川崎市から「かわさきマイスター」の認定を頂きましたが、高い技術を身につけられたのは、このころにスイスの時計メーカーの厳しい規格水準に鍛えられたからだと思っています。
今は携帯電話を見れば、ピタリと狂いのない時間がわかる時代でしょ。だからこそ、アナログな機械式腕時計に愛着を持つ人が増えているようで、私の工房にも注文が絶えることがありません。月に1回、時計職人が集まる「日本時計研究会」という組織で講師を務めていますが、最近は若い時計職人も増えていてうれしいですね。
ただ、私がこの世界に入ったころに比べると、時計店も時計職人もずいぶん減りました。80年代にクオーツが普及した時に仕事がなくなり、時計職人をやめた仲間たちもたくさんいます。私がやめなかったのは、ありがたいことに、仕事があったからです。家族を養えるくらいの稼ぎはあったから、やるしかないということで、やってきただけで。そうこうするうちに、高級機械式腕時計を直せる職人が少なくなってきて、注文がまた増えたんです。
私たち時計職人もそうですが、ビジネスの世界も業界再編やグローバル化など時代の変化は激しいですよね。でも、腕さえ良ければ、残る。結局、仕事ってそういうものなのだと思います。では、腕を磨くにはどうすればいいかというと、「作業」をやっていたらダメですよ。朝9時から夕方5時まで職場にいて、ノルマをこなせばいいという発想では、技術というのは伸びていきません。ノルマよりも半歩でも高いところを目指して努力することが、10年たってものすごい糧になる。将来的にはそれに見合ったものが絶対に返ってきますから、若い人たちには一生懸命勉強してほしいです。その勉強が自信につながるし、仕事というのは自信がすべて。自信がないと、お客さんを満足させる仕事はできないですからね。
INFORMATION
飯嶋さんの経営する「時計工房 飯嶋」の公式ホームページ(http://tokei-iijima.com/)。「ホームページをご覧になった全国のお客さんから問い合わせがあります。当社を取り上げていただいた記事も掲載していますので、機械式腕時計の奥深さや時計修理技能士の技について少しでも知っていただけるとうれしいです」と飯嶋さん。
取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康