株式会社オプト 代表取締役社長 CEO 鉢嶺 登さん

1967年千葉県生まれ。91年早稲田大学商学部卒業後、森ビル株式会社入社。94年同社退社後、同3月有限会社デカレッグス(現、株式会社オプト)設立。インターネット広告代理店として成長し、2004年JASDAQ上場、13年10月東証1部上場を果たす。著書に『ビジネスマンは35歳で一度死ぬ』(経済界/税抜き1400円)。

中学生で起業を志し、社会人2年目にエジプトで気づいた

僕は中学生で歴史が好きになり、戦国武将、特に織田信長について関心がありました。そのころから何となくですが「やるからには自分の足跡を残したい」と思っていたんです。政治家か、先生か、経営者か、どれに選択すればいいか中学生なりに考え、その中で一番自分に合っているのが経営者だと感じました。

もともと会社に就職しても3年で辞めると自分の中で決めていたんです。そしていざ独立しようといろいろ調べてみると、会社はかなりの確率で倒産することがわかり、とたんに怖くなりました。

そんなとき、たまたま旅行したエジプトで、遊覧船に向かって手づくりのシャツやテーブルクロスなどをビニール袋に入れて投げ込んでくる現地の人たちに出会いました。気に入ったものがあればその袋にお金を入れて投げ返すという商売で、「面白いな」と思って僕もTシャツを1000円で購入しました。

すると、その人はお札を太陽に掲げてお祈りを始めたのです。その姿を見てハッとしました。「いかに日本が恵まれているか」「そもそも日本が近代国家として発展してきたのは、先人たちのご苦労のおかげだ」ということを。

1991年のバブル末期に社会人となりましたが、僕らの世代は就職すれば一生安泰だという最後の時代でした。いったん入社すれば、それなりに出世して役職も上がり、給料もたくさんもらって老後は年金で暮らす。それが普通でした。

でも僕には「大企業に入れば、あとはそれほど努力しなくても安定する」ということに対し、「本当にそんなおいしい話があるかなあ」という違和感がありました。そんな折、バブルがはじけてあらゆる業界の企業が減少。上場企業ですら倒産し、リストラの時代に突入していきました。そうなると、35歳まで努力してきた人とそうでない人には、雲泥の差がついていたことがわかりましたね。

僕たちがイノベーションを起こして新しいことをやっていくからこそ、子孫の代に繁栄していくのだとエジプトで気づきました。やはり何の努力もなしに役職や給料が上がるといったおいしい話はない、というのを若い人たちに伝えたいですね。

目標を低く設定し妥協する、そんな安定志向に陥るな

当社の新年のあいさつで社員には話したのですが、年末年始にとても残念なことがありました。ある高校3年生の子が、2年前に会ったときには「将来は東京の大学で資格を取って、それで食べていきたい」と目をキラキラさせながら言っていた。そのときは「すごく楽しみな子だな」と思いました。

ところが、2013年の年末に会ってみると受験生らしく見えなかったのです。理由を聞いてみると、「(目標を下げ)地元の大学に行くことにした」と言うのです。正直、すごくガッカリしました。せっかく難しい目標設定をし、人生が大きく方向づけられる分かれ道なのに、それをあきらめてしまったらすごくもったいないと思います。

僕自身に置き換えて思い返すと「自分にもそういう分かれ道があったのかな」と思います。大学受験に失敗して浪人することになったとき、母にすごく叱られました。今思えば、ああいう場面でちゃんと怒ってくれたことはすごく重要だったと思います。それで初めて1年間ちゃんと勉強しました(笑)。

この「1年間だけでも必死に頑張った」という経験は、自分にとって大きな自信になりました。森ビル時代にもっとも残業が多い部署へ配属され、これ以上は働けないというぐらい時間の拘束がありましたが、そういう苦しいハードルをクリアしたからこそ、起業直後も24時間働けたんだと思います。

「目標を下げ、妥協して、それで良し」という“安定志向”になると当然、努力せず自分も成長しなくなります。私が就職したのはバブルが頂点の時期で、「大企業に就職しさえすれば、終身雇用で定年まで一生安泰だ」という考え方がありました。最近は景気が悪くなると「公務員が倒産もしないし安定している」と考えがちですが、それは「真の安定」ではありません。「真の安定」とは自分自身がどんな環境でも働いていけることだと思います。安易な“安定志向”で仕事を決めてしまうのは「実は大きな間違いだ」ということを学生さんには知っておいてほしいですね。

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失敗が大きいほど、高い価値を生み出す

ある日、尊敬する経営者と会食しているとき、「会社が潰れない限り君は失敗を極力たくさんしろ」と言われたことがあります。「失敗の大きさが大きいほど絶対に君は強くなるし、決断すればするほど経営者として磨きがかかるから」とおっしゃっていました。

僕は比較的、失敗しないとわからないタイプだと思います。受験に失敗したときも「受からなかったんだ」と初めて気づくわけです。模試で志望校の合格可能性が60パーセントという結果で、「これなら半分以上の確率で受かるんだ」と当時は楽観的に構えていました。でも実際はそんなに甘くなく、合格可能性が80パーセントでも落ちることもある現実を知る。

知り合いに1回受験に失敗して1年浪人し、浪人時代に何とか1校だけ合格し、ギリギリ2浪はまぬがれた…という学生がいます。その子は、「自分は勉強が足りなかった」と猛反省し、今は大学で講義を一番前の席で聞くくらい一生懸命勉強しています。やはり、実体験の失敗でないと身につきません。

マネジメントに必要な人間関係のつくり方でも、失敗はたくさんあります。例えば、AさんをBさんに仕事で紹介したところ、AさんがBさんに迷惑をかけてしまったことがあります。そのときBさんが「あなたの紹介だからAさんを信頼したのに。そういう紹介の仕方をしていると、君がこれまで積み重ねてきた信用を一気に失うよ。気をつけなさい」と叱ってくれました。

そういう事例を挙げればキリがありません。ただ、僕は凡人であまり頭はよくないですから、誰が何と言おうとまず自分でやってみて、失敗したら次にまた頑張ろうと思うようにしています。

僕は、学生時代に誇れるものが特にありません。4年間遊びまくりました。今思えば、留学をしておけばよかったと感じています。学生時代の最後の半年間は、超自堕落な生活をしていました。「こんなに時間がある時期はもうないんだから、思いっきり自堕落な生活をしてやろう」と、毎日友達の家に行って『信長の野望』というゲームをずっとやって、夜は麻雀やビリヤードに没頭していました。

「こんなひどい生活している人間はいないだろう」と思う一方で、「その代わり社会人になったら人の何倍も働こう」と心に決めて、森ビルではもっともきつい部署に配属されるよう自ら希望しました。若いうちは失敗してもたいしたことありません。「迷ったら難しい道を選択する」方が得るものも大きいでしょう。年を取れば取るほど、失敗のダメージは大きくなりますから。

若い世代にはベンチャーマインドを持ってほしい

2005年夏に関西の有名進学校で講演したことがあります。そこで「将来起業したい人は?」と生徒たちに聞いたとき、出席者90人のうち46人が手を挙げてくれました。僕はそのとき「あっ、もしかして日本は変わるかもしれない」と感じました。日本で最高峰と言われる高校生が、起業を志していたからです。

しかし、一部の起業家が「出る杭は打たれる」といった報道にさらされたことなどをきっかけに、世の中の風潮が変わってしまったように感じます。「やはり不安定なベンチャーよりも、安定した大手企業がよい」そんな学生も増えてしまったと思います。アメリカのように一番優秀な学生こそが、ベンチャーに挑戦するような方向にいかなければ、イノベーションは生まれません。そうした方が国の未来にとってもいいと思います。

当社も社員が100名を超えたころ、インターンシップに参加していた学生に「オプトってベンチャー企業じゃないよね」と言われたときはすごくショックでした。ベンチャーマインドがある人にとって、当社は魅力的ではなくなっていたのです。そのため現在はどんどん分社化し、小さな組織で一人ひとりが経営者マインドを持って意思決定しながら働けるベンチャー的な環境をつくっています。

課題は、グループ全体がどのように動いているか経験しにくいところで、もっとダイナミックな人員配置も考えていく必要があります。また僕と社員の接点も減ってきているため、月1回飲み会を開いたり、カバン持ちとして他社の経営者との会食に同席させたり…。会社がどうあるべきかに正解はなく、そのときの理想に向かって、僕自身が試行錯誤しながら、経営者として成長しているところです。

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これから社会にでる皆さんへ

2013年11月に発刊した『ビジネスマンは35歳で一度死ぬ』という著書でも書きましたが、一度は企業で3年以上働くのはいいことだと思います。組織論理など独特の力学がわかり、研修などを通じて教わることもたくさんあるでしょう。

僕自身は、新卒で入社した森ビルで創業者の森泰吉郎さんから「街づくりにおいては、まず地域、住民に貢献すれば利益は後からついてくる」という「先義後利(せんぎこうり)」の考え方を学びました。一方で、俗にいう窓際族を見て「自分の会社ではこんな人たちをつくりたくない」と考え、「1人1人が社長」という社是ができました。独立後も「森ビルにいた」ということで話題が広がる場合もありましたね。

スキルのことで言えば、これからは英語とインターネットの知識が必須だと思います。これからの子どもは、英語もインターネットについても学ぶ機会は増えるでしょう。だから一番中途半端で、かつこれから苦しい立場に置かれるのが今の大学生の皆さんだと思います。40代、50代であれば年金を受け取るまで逃げ切れるかもしれませんが、これから社会人になる人はそうはいきません。

逆に言えば、この2つをきちんとマスターしていれば、同期の中でも頭1つ抜けられると思います。あまり使わない資格を取るのに時間とお金を費やすくらいなら、ぜひ留学して生きた英語力を培ってほしいですね。

鉢嶺登さんHISTORY

1991年
早稲田大学を卒業後、「3年で辞めて起業する」ことを前提に森ビル株式会社に入社。不動産業界について学ぶ。
1994年
FAXおよびテレマーケティングを手がける有限会社デカレッグス設立。翌年、株式会社オプトに社名変更。
2000年
インターネット広告代理事業に本格進出。
2003年
Yahoo! JAPANよりベストパートナー認定を受ける。翌年、JASDAQに上場。
2013年
東証1部へ上場市場を変更。2013年12月期決算は売上高750億円、経常利益20億5000万円を見込む。グループ社員数は約1260名に上る一方、ベンチャーマインドを喚起させるため分社化を進めた。初の著書『ビジネスマンは35歳で一度死ぬ』を出版。

愛読書は?

松下幸之助さん、稲盛和夫さん、ウォーレン・バフェットさんの本はかなり読み込みました。著者の一生分のノウハウ、経験、調査結果、考察などが詰まった本は、貴重なノウハウ集です。1冊1000円ちょっとですむ読書は、お得な自己投資だと思います。読む時間がないという言い訳をしないためにも、ゼミの勉強会のまとめ役を買って出る、サークルの会計でコスト削減担当に立候補するなど「自ら本を読もうと思わざるを得ない現実にあえて自分を追い込む」という環境づくりが大切です。

鉢嶺さんの愛用品

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事業提携、調査視察、海外イベントへの参加など海外出張の機会が増えています。1週間ほど出かけることもあり、日本と海外の2カ国の時間がわかるようにカルティエのワールドタイム時計を使っています。

取材・文/大根田康介 撮影/刑部友康

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「面倒くさい、自信がない、就職したくない。」
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