虻川美穂子さん(北陽・お笑いタレント)の「仕事とは?」

あぶかわみほこ・1974年埼玉県生まれ。埼玉県立久喜北陽高校卒業。高校のソフトボール部のチームメイトだった伊藤さおりと1995年にお笑いコンビ・北陽を結成。お笑い番組『爆笑オンエアバトル』『はねるのトびら』などで注目を集める。近年は個人での活動も多く、日テレ系『ヒルナンデス!』、NHK『マサカメTV』などに出演中。ドラマやCMに出演するなど活躍の場を広げている。

青春を捧げたからには、売れないままフェードアウトするわけにいかない

高校の卒業を間近にして、進路が決まっていないのが自分と相方の伊藤ちゃんだけだったんですよ。先生には「そろそろ決めなさい」とせっつかれたんですけど、大学に行く頭はないし、会社で働くのはなんかイメージが湧かなくて「どうしようかなあ」と思って。なんとなく芸能界には興味があって、「何かをやりたい」というのはあったんですけど、具体的に何をやればいいのか、見当もつかなかったんですよね。

そんなときに、伊藤ちゃんが進路相談室でちょっと変わった進路ガイド誌を見つけてきて、そこに劇団「鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)」の劇団員募集がのっていたんです。ほかの劇団は秋に募集が終わっていたんですけど、「鳥獣戯画」は募集が2月。卒業までに進路先が決まれば、先生に対しても格好がつくというのが好都合で、「とりあえず、行っとく?」とふたりで入団することにしました。

入団後はキツかったです。伊藤ちゃんは役ももらって活躍していたんですけど、私はさほど興味もなく入ってしまったので、厳しい稽古についていけなくて。新人は事務やお茶出しなど細々したことも担当するのですが、なぜ自分が先輩たちの小間使いみたいなことをやるのかと納得がいかなかった。だから、今所属しているプロダクション人力舎がやっているお笑い芸人養成所のチラシを目にしたときに、お笑いの世界がぱっと輝いて見えたんですね。「君もスターにならないか」みたいなキャッチコピーに心を熱くして、「劇団でお茶出ししている場合じゃない」とお笑い芸人養成所に入りました。

伊藤ちゃんは劇団に残ったのですが、相方がなかなか見つからなくて困っていたときに、ふと「伊藤ちゃんがいたわ」と思い出して(笑)。劇団時代も仲間の誕生会で一緒にコントをやったりしていたんです。声をかけてみたら、「まあ、ちょっと試しにやってみるか」と言ってくれて、人力舎のライブに駆け出しの芸人が挑戦するコーナーがあるんですけど、そこにふたりで出させてもらったら、結構ウケたんですね。それをたまたま社長が見ていて、「お前ら、コンビを組めよ。成功したら、イタ飯(イタリアン)食わせてやる」と言われて、伊藤ちゃんは劇団をやめました。当時の私たちにとって「イタ飯」といったら、夢の象徴でしたから(笑)。

ところが、いざ本格的に活動を始めると、「イタ飯」は遠くなっていくばかり。とにかくウケませんでした。新ネタを作って最初はそこそこウケても、もっと良くしようと直せば直すほど裏目に出る。それでも月に20本くらいライブには出続けていたんですけど、ギャラは雀の涙で交通費持ち出し。生活のためにバイトをして、ライブをやって深夜に帰宅し、ネタを作るという毎日が3年間続きました。

その間に同期は売れていって、ファンに出待ちされているのに、私たちは見向きもされない。私はすごくスター願望が強くて、きらびやかに楽しくお金もうけをするつもりでこの世界に入ってしまったので、プライドをズタズタにされました。お笑いは子どものころから大好きだっただけに、どんなに頑張ってもウケないのがつらくて、人生のすべてを否定されたような気持ちでしたね。年齢も20代半ばになって焦るし、貧乏だし、毎日寝不足で風邪はひくし…。煮詰まって「やめようか」とも伊藤ちゃんと話したのですが、踏ん切りがつかず、取りあえず半年間休業することにしたんです。

で、アルバイトだけの生活をしてみると、これがもう楽しくて。時間に余裕ができてオシャレもできるし、飲みにも行ける。世の中の人たちはこんなに素晴らしい生活をしているのかと衝撃を受け、休業を一年に延ばすことにしました。そのままやめなかったのは、私たちの青春を返せと思ったからです(笑)。青春を捧げたからには、売れないままフェードアウトするわけにはいかない。お金を稼いで、ちょっとはいい思いをしなければと。

復帰時には25歳。年も年だし、もう下手は打てないということで、アドレナリンはかなり出ていました。ライブも大事にしたいけれど、それだけでは名前も売れないし、お金にもならないので、ここはひとつインパクトのあるネタを作ってテレビに出ようと。服装も工夫して、音も効果的に使おうと考えたり、先輩の意見も聞いたり、休業前にはあまりやっていなかったことをやってみたら、テレビのオーディションにも呼んでいただけるようになって、仕事が増えていきました。

休業前だって、一生懸命やっていたんですよ。でも、頑張る方向が違った。アンジャッシュさんのように頭のいいネタを作ろうとしたり、ハイヒールさんのように漫才をしようとしたり、いろいろやってみたけれど、全然できなくて、あり地獄のようにどんどんわけがわからなくなって。周りの素晴らしい芸人さんたちに憧れるあまり、自分たちの路線とは違うのに真似をし過ぎたんですね。休業でリセットをして、シンプルに自分たちにできることを考えるようになったのは本当に良かった。やっぱり息抜きは必要なんでしょうね。

それから、執念深さは大事ですよね。いい思いをするまでは、意地でもやめないという(笑)。続けないと結果も出ないし、それまでに費やした時間ももったいない。やるだけやって納得したうえでやめるならいいけれど、迷いがあるのなら、「続けていれば、いいことがある」と信じて踏ん張ってみてほしいなと思います。

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頭でっかちのくせに、生意気。人生にはそういう時期もある

今はテレビではタレントとしての活動が多いんですけど、ネタ番組に頻繁に出していただいていたころは、背伸びをし過ぎて余裕がありませんでした。チャンスを与えていただいてすごくありがたい状況だったんですけど、実力が伴わないのに結果を出さなければと気負い過ぎて、もう頭でっかちもいいところ。飲みにもいかず、人とも話さず、家にこもってテレビ番組や映画を片っ端から見て「面白さとは」なんて分析したりして、お笑いに真剣に向かっているつもりになっていました。私は頭脳派ではないので、冷静に考えれば、それこそ笑い話なんですけど。

その姿を先輩が見かねて、ある日、「あぶちゃん、そんなことをしていて今、楽しいの?」と問いかけられたんですね。「いやあ、まあ」とか言っていたら、カレンダーに写っている南の島の風景を指して、「これ、どう思う?」と聞かれて。「いいなあ、きれいだなあと思います」と答えたら、「そういう感情、まだあるんじゃん。そう思うんだったら、ここに実際に行って風を感じてくるってことが芸人には大事なんだよ。頭で考えて、体験もしていないことをネタにしても、面白くもなんともないよ」って言われたんです。その場ではカチンときたんですけど、ひと晩たったら、先輩の言ってくれた通りだなと思って。人と会ったり、遊びに行ったりするようになったら、ちょっと視野が広がって、仕事にもいい塩梅(あんばい)で向かえるようになりました。

振り返ってみると、最初は自分が憧れていた先輩たちのように、お客さんが腹を抱えて笑っちゃうようなことをやりたいと思ってお笑いを始めたんですけど、だんだん自分たちにできること、できないことがわかってきて…。トップアスリートのような芸人さんには憧れますけど、お笑いにもいろいろなジャンルがある。思わずちょっと笑っちゃうような、ほっとひと息つける瞬間をお客さんに感じてもらうのが私たちの仕事かなって思っています。

若いころは「自分、自分」で、自分を第一に見せたがる時期もありました。頭でっかちのくせに生意気だったなあと思うけれど、それがなければ、のっぺらぼうのような人になってしまう気がします。これは今でもそうですが、テレビ番組のディレクターから指示されたことも、いいなと思ったことはやりますけど、何でもかんでも言われた通りにはできないですよね。やっぱり面白いと思っていることをやりたいから。若いうちはおとなしいよりも、生意気なくらいが真っ当なのかもしれません。まあ、アラフォーの私としては若い人たちは嫌いですけどね。自分がそうだっただけに、「あんたたち、自分が何でもできると思っちゃってるでしょ」って腹立たしいです(笑)。

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INFORMATION

オフィシャルブログ「はれ時々あぶ」(http://ameblo.jp/abukawa/)には、仕事からプライベートまで虻川さんの等身大の日常がつづられている。工夫を凝らして撮影された写真も楽しい。

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取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子

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