好奇心が、世の中を変えていく。
母言わく、私は物心がついた時から“分解したがる”女の子だったらしい。着せ替え人形をプレゼントされれば、衣装には目もくれず、人形をバラバラにして中を覗き込んでは眼をキラキラさせていた。小学生になると、扇風機にラジオにテレビ・・・家中の電化製品が格好の獲物に。機械的な構造よりも、電気的な現象に好奇心を奪われた。“見えない力でモノが動く”。そこがゾクゾクしてたまらなかった。そして気づけば、大学時代に学んだ数学の技術を活かして電磁界の振る舞いを解析して可視化する技術に興味を持ち、大規模な電力装置の開発に携われるこの会社を選んでいた。自ら考案した技術で世の中を変えていく自分を夢見て。
電力に、もっと安全を。もっと安定供給を。
入社10年目。場所は兵庫県尼崎市にある先端技術総合研究所。私は、相談があると上司に声をかけられた。「新しいコンセプトのブレーカーを作ることになった。開発のリーダーを担当してくれないか?」 私は電機システム技術部のメンバーとして、現在の医療用加速器に搭載する超電導加速器の電磁石の開発を担当し、また、結婚して子どもを産み育児休職から復帰した後は、のちに電気自動車の発電用となるモーターの先行開発などに携わっていた。ただ、製品をコンセプトから一新する大仕事はそれまで経験したことがなかった。「やらせてください!」 待ちに待った白羽の矢。それまでの仕事ぶりを認めてもらえたことが嬉しかった。
ブレーカーと言っても、私たちが扱う大型の商業施設や工場向けのそれは、規模も求められる性能も家庭用とは桁が違う。たとえば送電線に落雷が起きれば、2~7万ボルトに及ぶ電気を瞬時に遮断して、さらに停電を避けるためにすぐ正常な送電状態に戻さないといけない。時間にして約0.数秒。その開閉作業を担う心臓部が“機構部”で、無数のバネや歯車で機械的に行うという原始的なメカニズムが過去数十年間採用され続けていた。上司が言う。「部品点数が少なくなれば小型化できるし、故障の要因も減る。電力をもっと安全に安定供給するためのフルモデルチェンジだ。国内シェアでトップを走り続けるためにも頑張ってくれ。」 私に求められたのは、“安全扉”とも言えるこの機構部に“イノベーション”を起こすことだった。
イノベーションを阻んだ“魔法の磁石”。
構想を練りに練った。考え抜いた。そして私が導き出したコンセプトは、動力を“機械から電気に変える”だった。バネや歯車を“電磁石”に置き換えれば、小型化も故障率も動力の変換効率も、世界で類を見ないものになる。実用化のイメージもついていた。私は早速資料を用意して、実際に遮断器を生産する製作所へ向かった。プレゼンテーションで歓声が上がるシーンを目に浮かべながら。しかし、計画はいきなり頓挫した。「電磁石に変える?そんな大きな賭けはできん!」「実績のない機構部の信頼性は?」設計部門や生産部門の責任者から猛反発を受けた。よくよく考えてみれば、改良に改良を重ねて“安全”を積み上げてきたメカニズム。“すべてを捨てて魔法の磁石に頼る”と捉えられても仕方がない前代未聞の提案を私はしている。そう気づいた。
研究所と製作所の間を何度も何度も往復した。原理の説明、設計の見直し、実験結果の提出・・・。思い付くことは全てやった。でも、首を縦に振ってはもらえなかった。終わりなき平行線を辿る会議。「もう限界かもしれない・・・」 そう諦めかけた時、立ち上がってくれた人がいた。「これだけシンプルな機構部ならば採用できる。挑戦してみよう、イノベーションに」 製作所長の覚悟に目頭が熱くなった。
“明るい未来への扉”を開くために。
開発スタートから4年。部品点数を半減させ、電力供給の安全性と安定性を飛躍的に高めた。2万ボルト級以上では、世界初の真空遮断器(真空式のブレーカー)が完成した。製作所から初出荷された日の感動を、私は今も忘れない。開発では100点を取ることも大事。でも、100点を目指して諦めずにベストを尽くすことは、もっと大事。前を向いて進めば、携わるすべての人の想いは一つになり、明るい未来への扉は必ず開かれる。そうつくづく思った。このプロジェクトでは、温室効果ガスSF6を使わない世界初の乾燥空気絶縁のスイッチギアを開発。温暖化係数“0”のブレーカーが東京駅に採用された。
入社24年目を迎えた今年、職場は研究所から製作所へ。ブレーカーを始めとしたファクトリーオートメーション機器を、世界中のビルや工場へ送り出す国内屈指の生産拠点。そこで私は製造部門の責任者を務めている。女性初の製造部長と聞いて、身の引き締まる想いだった。これから求められる電機機器の姿や電力のあり方は、間違いなく変わっていく。便利さだけを追求する時代は終わったけれど、便利な世の中を捨てることはできない。今までとは違った意味で、安全で快適な未来を創造していくこと。それが私たちの使命。大人になっていく子どもたちのためにも、私はこれからも好奇心で眼を働かせ、チャレンジングな自分であり続けたいと思う。