さまざまな企業の採用担当者に「学生時代をやり直せるなら、何がしたいですか?」とインタビューしてみる企画。第4回は、学生時代に好奇心の赴くまま海外を旅して回り、たくさんの出会いを得たというJTB・塚本さんの「やり直せるなら…」です。
学校の先生を目指して選んだ大学。しかし途中で志向が変わり…
高校時代は、「将来は学校の先生になりたい」と思っていました。女性である自分がずっと働き続けたいと考えた時、真っ先に思いついたのが先生という職業だったからです。それまで教わってきた女性の先生方は年齢層も幅広かったですし、結婚し子どもを持ちながら働いている人も多かったので、自然にその道を目指していました。
得意だった社会科の先生を目指すため、文学部史学科に入学。英語も好きだったので、英語も同時にしっかり学べそうなところ、と思って大学を選びました。「山手線の内側の大学に通ってみたい」というミーハー心も、少しありましたね。
結局、先生にはなりませんでした。大学時代にさまざまな立場の人と出会い、「いろいろな働き方がある」ことを知り、「先生以外でも、一生働ける道はたくさんあるんだ」と気づいたからです。就活では、興味を持った企業にはどんどん足を運び、女性の先輩にたくさん会い、「性別関係なく活躍し続けられそうな場所」を探しました。その一つが、今の会社。大学時代にいろいろな人に出会ったからこそ、今の環境に出合えたのだと思っています。
「好奇心の赴くままに」積極的に海外に足を運んだ大学時代
「大学に入学したら、好奇心の赴くままに行動しよう」と決めていたんです。旅行へもたくさん出かけ、大学時代の4年間、国内外、いろいろなところを旅しましたが、特に海外に積極的に足を運びました。大学の授業の合間を縫ってアルバイトにいそしみ、お金を貯めては海外に飛ぶ、という生活を送っていましたね。
「海外志向」になったのは、中学生の時。語学教育に力を入れている学校で、修学旅行がニュージーランドだったんです。高校ではよく聞きますが、当時の中学では少し珍しかったですね。
行く前は、正直「海外なんて面倒くさい」という気持ちしかなかったのですが、現地に降り立ったとたん、日本とはまるで違う景色に衝撃を受けました。見るもの、触れるもの、すべてが新鮮で。カタコトの英語で現地の方とコミュニケーションを取り、わかり合えた瞬間がうれしく、「海外旅行っていいな」と思うようになったんです。
高校時代も、学校のプログラムに参加してアメリカに行ったり、県の海外派遣制度に申し込んでフランスに渡ったりと、チャンスがあればどんどん手を挙げました。親に金銭的な負担もかけたので、「大学に入ったら自分で稼いで海外に行こう」と思っていたんです。
結局、大学時代の4年間で何カ国行ったのでしょう…正直、数えきれないぐらいです。1、2年生の時はヨーロッパを中心に、3年からは志向を変えてアジアを回りました。4年生は就活と卒論で忙しかったのですが、卒論提出の翌日からまた旅行へ。卒業旅行には、国内外合わせて、なんと5回も行ったんですよ。
ここまで私を旅に駆り立てたのは、「旅先には、私の知らない何かがある」から。知らなかった自然や建物、文化、人に出会うのが面白くもあり、知らないことがこんなにある事実を知って、なんだか悔しくもあり。旅に出るたびに、「もっと知りたい!」という欲求がどんどん高まっていったんです。一人旅に出かけては、現地の旅行プログラムに参加して、現地の方と積極的にコミュニケーションを取りました。言葉や思考、バックグラウンドの違う人々との触れ合いは実に刺激的で、視野がどんどん広がっていくのを感じましたね。
そんな旅行漬けの毎日の中、一つの転機になったのが、卒業旅行の一つとして行った沖縄での出会い。
初めての沖縄旅行だったので、ここでも「知りたい!」精神を発揮し、観光名所を片っ端から回りました。そんな時に出会ったのが、現地の大学に通っているフランスからの留学生。途中から一緒に名所を巡ったのですが、私より圧倒的に沖縄に詳しく、日本文化に対する造詣もとても深かったんです。
日本の文化が好きで、日本のことを勉強し、どんどん知識を蓄積している彼に、私は日本の何を伝えられるだろうか?…そう考えた時、頭に何も浮かばず、愕然(がくぜん)としました。それまで海外にばかり目を向けていましたが、自分のルーツである日本も、もっと知るべきではないか。そう気づかされた瞬間でした。
この経験は、後の仕事において非常にプラスになりましたね。就職し、初めに配属されたのは地元の栃木県。教育旅行課の担当として、県内の学校へ営業に回るのはもちろんのこと地元の方々と積極的に触れ合い、地元の魅力を知る努力もしました。その後、国内旅行の商品造成を行う部署に異動した際は、「もし今まで旅先で出会った人たちがこの商品を体験したら、どう感じてくれるだろうか? 果たして楽しんでくれるだろうか?」という視点をできる限り意識して、仕事をしていました。
学生時代に戻れるなら、「出会いを今につなげる」努力をしたい
思うままに行動し続けた学生時代は、非常に刺激的で実りあるものでしたが、一方で「せっかくの多くの出会いを、つなぎ続けることができなかった」ことを悔やんでいます。
旅先では積極的に現地の人とコミュニケーションを取り、たくさんの人と打ちとけることができましたが、今のようにSNSなどで気軽につながりを持てる手段もない時代、現在までつながっているご縁があるかというと、正直ほとんどありません。一つの国に行って刺激を受けても、「知らなかったことをもっと知りたい!」と、すぐに次の新しいことを探しに行ってしまい、「縁をつなぐ」努力をしてきませんでした。当時の出会いを「人脈」へとしっかりつなげられていたら、もっと視野も広げられたでしょうし、人間としての幅も広がったのではないかと思っています。
「縁をつなぎ、人脈をつくっていくこと」の大切さを、初めて意識したのは、就職して自分の名刺を持った時です。名刺交換をしたお相手は、私の名刺を長く持ち続けてくださいます。私も、頂いた名刺を「出会いの証し」としてしっかり持ち続け、ご縁としてつなぎたいと考えたんです。
初めて名刺交換をした学校の先生とは、出会いから10 年以上たった今も、年賀状のやりとりが続いています。毎年年賀状を頂くたびに、当時を思い出して気が引き締まると同時に、出会いをつないでいく大切さをかみしめています。
塚本さんの愛用品
この名刺入れは2年前から使っています。グループリーダーとなり、6人の後輩を率いる立場になった時に、お世話になった方からお祝いとして頂きました。あまりブランド物には興味がないタイプなのですが、これを使うようになって「ものによって会話ができる」ことを実感しています。例えば、同じブランドの名刺入れを使っている方とお会いすると、それをきっかけに話が弾むことがあります。「素敵な名刺入れですね」と声をかけられることもあり、思わぬアイスブレイクになることも。
名刺だけでなく、それを入れる名刺入れも、人と人とをつなげるツールになり得るのだと実感させられました。長く、大切に使い続けたいと思っています。
取材・文/伊藤理子 撮影/刑部友康