亀田誠治さん(音楽プロデューサー、ベーシスト)の「仕事とは?」

かめだせいじ・1964年、アメリカ・ニューヨーク生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。89年、音楽プロデューサー、ベースプレーヤーとして活動を始める。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツをはじめ、スガ シカオ、アンジェラ・アキ、JUJU、秦 基博、いきものがかり、チャットモンチー、MIYAVIなど数多くのアーティストのプロデュース、アレンジを手がける。2004年、椎名林檎らと東京事変を結成し、12年2月に解散。 07年、第49回日本レコード大賞、編曲賞を受賞。13年には4年ぶり2度目となる自身の主催ライブイベント「亀の恩返し」を武道館にて開催。映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』の音楽監督を務めるなど、さまざまなかたちで作品を届けている。 また、オフィシャルサイトで自身の知識をフリーでシェアして新しい才能を応援するなど、「恩返し」プロジェクトも展開中。

自分の作った曲で、仲間だけがチャンスをつかんでいった20代。悔しかった

中学の卒業文集に「10年後、武道館で会おうぜ」と書いたんです。当時の僕はベースをちょっと始めたくらい。今思えば、顔から火が出そうなはずかしい話なんですけど、根拠のない自信だけはあって。将来はミュージシャンになってステージに立つと決めていました。だから、バンド・東京事変のベーシストとして武道館に立てたときは本当に感慨深かったですね。

ただし、夢がかなったのは10年後ではなく、25年後。大学時代、同級生たちが就職活動を始める前から、僕は音楽の世界で自分にとっての就職活動をしていましたが、結果はなかなか出ませんでした。曲を書いてアレンジし、デモテープを作ってはレコード会社に送り、バンドのコンテストにもせっせと応募して…。一生懸命頑張ったのに、僕が作った曲をきっかけに仲間のデビューが決まっても、デビュー曲の作曲やアレンジはプロがやって、僕はお払い箱。「亀田君もまあ、勉強がてらスタジオにおいでよ」なんてディレクターに言われて、本当に悔しかったです。

でもね、僕は結構楽天的なところがあって、「プロの人たちはどうやって音楽を作っているんだろう?」と実際にスタジオ見学に行ってみたんです。すると、プロの現場は特別なことをしているのかと思いきや、自分が普段やっていることと変わらなくて。「これはいつか、自分にもできる」と少し明るい気持ちになって、「今日はオーケストラの録音」「今日は歌の録音」と3カ月ほど毎日のようにスタジオに通って勉強をさせてもらいました。

勉強といっても、最初はただディレクターの横に座っていただけなんですけど、通い続けるうちに「この譜面、ちょっと書いてくれない?」「次のデモテープは亀ちゃん、作ってみない?」と声をかけてもらえるようになって。そのうちにアイドルグループ・CoCoのデビュー直後のシングルに僕の曲が使われることになり、「もしよかったら、アレンジもしてみる?」ということで、アレンジャーとして活動を開始。一方で、当時『もう一度夜を止めて』という曲がスマッシュヒットしていた崎谷健次郎さんのツアーでベースを弾いたことをきっかけに、ベーシストとしてもさまざまなアーティストのコンサートやレコーディングに参加するようになりました。

音楽プロデューサーとしての仕事が増えたのは、アレンジとベースで参加した椎名林檎さんのファーストアルバム『無罪モラトリアム』(1999年)とセカンドアルバム『勝訴ストリップ』(2000年)がミリオンセラーになり、名前を知っていただけたことが大きいと思います。04年には椎名さんに誘われて東京事変に加入し、40歳にしてバンドデビュー。たくさんのミュージシャンの協力を得て音楽イベント「亀の恩返し」を主催したり、「クインシー・ジョーンズ来日公演」の日本トリビュートパートをプロデュースさせていただいたりと、近年は20代のころには夢のまた夢だったような仕事もさせていただいて感謝しています。

なんて、今だからこそ穏やかな気持ちで昔を振り返れますが、亀のようにしか進めなかった20代はクヨクヨしてばかりでした。当時を知る妻にもよくからかわれます(笑)。だからこそ、皆さんにお伝えしたいんです。これは僕の持論ですが、ため息をついている人にいい仕事は回ってきません。ため息をついたり、しんどいというそぶりをすると、みんな優しいからとりあえず聞いてはくれますが、仕事について悩むのと、仕事をやり遂げることには何の関係もない。ため息をついているヒマがあったら、ひとつでも着実に目の前のことをやった方がいい。それを見てくれている人は必ずいます。

「エンダァーーーー」で有名なホイットニー・ヒューストンの『アイ・ウィル・オールウェイズ・ラブ・ユー』のプロデューサー、デイヴィッド・フォスターがかつてインタビューで、「1日15時間、10年間音楽に没頭すれば、必ず成功する」と話していたことがあります。僕は20代半ばにこの言葉を知り、その通りにやりました。継続して努力していれば、チャンスは必ず巡ってきます。チャンスは運で巡ってくるものではありません。準備をし、ピッチに立てる準備をしている人だけに与えられるものなんです。だから、就職活動や社会に出てからうまくいかないことがあっても、絶対に腐らないでほしい。準備をしっかりやって「自分はできるぞ」という気持ちを持ってやり続けることが大事だと思います。

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自分ひとりではできないことも、誰かと一緒だったらできちゃったりする

スケジュールが立て込んで体力的に疲れていたり、緊張する打ち合わせがあったり、仕事をしているとしんどいと思うことも正直あります。でも、仕事というのは相手がいますよね。現場に行くと誰かがいて、その人が元気だったりすると自分も頑張れそうな気がしたり、アイデアをもらって、自分ひとりではできないことも、誰かと一緒だったらできちゃったりする。だから、行き詰まったときには、ひとりにならないこと。自分の殻に閉じこもらず、人と一緒に何かを始めるとうまくいきやすくなります。そのときに大切なのは、自分の考えていることを言葉や態度できちんと示すこと。後になって「あのときはこう思っていたのに」とこぼす人もいますが、物事は思っていただけでは伝わらないんです。

音楽プロデューサーとしてヒット作品にかかわったり、ビッグアーティストと仕事をさせていただくというのは幸せなことですが、「売れる曲を作らなければいけない」という大きな責任も感じます。でも、僕は幸運にもベーシストとしてステージに立つ機会が常にあって、野外フェスに参加したりすると、数万人もの人たちがひとつの音楽が鳴るだけで笑顔になったり、うわーっと沸く姿を見ることができる。それを経験すると、自分の作品がヒットするというのは銭勘定の話や、売るために誰かにこびるというようなことではなく、単純にたくさんの人に喜んでもらうことなんだと腑(ふ)に落ちて。

ヒットする、「売れる」ということをアーティスト性とは相いれないと考える人もいるけれど、自分の音楽を聞いてくれた人の反応をステージで見たら、みんなの生活に届いている音楽をやっていることは絶対に間違っていないと胸を張って思える。だから、ヒットを出すことに対する責任をプレッシャーだとは思わないですね。音楽というのは同じように手間をかけて作っても、時代背景などさまざまな要因でヒットする曲もあれば、細心の注意を払って最善を尽くして、自信を持って世に出したのに売れない曲もある。それでも、言い訳をせずに、僕はヒットを出し続けたい。責任があって、締め切りや制約など相手からのリクエストがあって、でも、その先にはたくさんの人たちがいて、その人たちの生活に音楽が届いていく。自分に限界を設定しないで、この仕事を死ぬまでやりたいです。

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INFORMATION

『カメダ式J-POP評論 ヒットの理由』(オリコン・エンタテインメント/税抜き1600円)は、亀田さんが週刊エンタテインメントビジネス誌『ORIGINAL CONFIDENCE』に12年間にわたって連載してきたコラム「ヒットの理由」を書籍化したもの。連載の中から厳選した85本を収録しており、平井堅さんとJ-POPの魅力について語り合った特別対談も掲載されている。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

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