「学生時代、やり直せるなら××したい」 株式会社アサツー ディ・ケイ【人事のホンネ】

さまざまな企業の採用担当者に「学生時代をやり直せるなら、何がしたいですか?」とインタビューしてみる企画。第1回は、ヨーロッパを放浪して、そこで出会った人に「どうして働いているの?」と尋ねて回った、そんなADK・宮武さんの「やり直せるなら…」です。

1982年兵庫県西宮市生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業後、株式会社アサツー ディ・ケイに入社。入社後、九州支社に配属、営業として5年間福岡に勤務。その後東京へ戻り、人材開発室にて新卒採用担当として3年間勤務。現在1歳の息子、3歳の娘、妻と4人暮らし。休日は、仕事がなければ家族と過ごす。趣味はサッカーと面白い人・もの・サービスを探すこと。
株式会社アサツー ディ・ケイ 1956年に社員4人でスタート。社員一人ひとりがベンチャー精神と“全員経営”というフィロソフィーを持っている。国内に11の支社・オフィス、海外に41の拠点を構え、既存の考え方や慣習にとらわれることなく、広告を中心としたあらゆるコミュニケーションサービスを提供しながら新しい価値を生み出し、顧客、生活者、そして社会全体に貢献できるコミュニケーションカンパニーを目指している。

大人になったら外国語を使って仕事をする。当然だと思っていた

もともと両親にすごく影響を受けています。父はノルウェーの船会社に勤務していて、小さなころから自宅にはことあるごとに海外からゲストが来ていました。鎌倉の近くに実家があるので、その海外からきた方に、父は周辺を案内していました。例えば「ここに鎌倉幕府があって」という感じで。その歴史的背景も含めて、すべて説明する。国や言語を超えて海外の方とコミュニケーションしている姿がとてもカッコいいと、子どもながらに思っていました。自分も、大人になったら外国語を使って仕事をしたいと、当然のように考えていましたね。

中学になったら「英語を勉強しまくってやろう」と考えていました。それまでも海外から来た子どもたちとサッカーなどを通して仲良くはなれた。けれども、細かいところの意思疎通ができないので、面白さなどが共有できない。それがもどかしかったので、まずは英語だろうと。中学3年のとき、イギリス南西部のエクセターという場所に語学研修に行くのですが、そこですごく可愛いスイス人の女の子に一目惚れしました。当時の私は、丸坊主でニキビ面、眉毛は繋がっていて、サッカーばっかりしていて女っ気なし。一生懸命アプローチするのですが嫌われてしまったんです。一緒に行った同級生ときたら英語はダメだけど、ダンスがうまいので気に入られてしまって。結局、私は彼と彼女の通訳係をするはめになるのです。そのときに「ああ、言葉だけできてもダメだ」と思って、高校から自分の中身を磨くため勉強にも身を入れだしました。それまではサッカーと英語だけしかしていませんでしたから。

大学を選ぶ時に考えたことは「スペイン語が学べる」ことと「留学できる提携先がある」ことでした。さらに専門性を持つというよりも、幅広い教養が身につく場所に身を置きたいと考えていました。なぜスペイン語だったのかと聞かれると「英語圏以外で旅をしてみたかった」からです。スペイン語は、英語や中国語の次に話す人が多い言語。英語とスペイン語ができれば、世界中どこでも行ける、そんなふうに思っていました。だから大学に入ったら旅をしようと決めていたのです。旅をすることで、自分の語学力がどこまで通用するのかを確認したかったし、同時に、自分の知らない世界を少しでも減らそうと。

中学3年のときに、沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読みました。ちょうどスイスの女の子のことでへこんでいたときだったのですが、日本国内にとどまっているなんて「米粒みたいな」こと。それでへこんでいる場合ではないなと。同時に、旅とは自分の今までの経験を誰かに伝えることで、伝えた誰かからもその経験を受け取ることができる、そんな機会でもあるなと考えていました。だから「旅に出るのは当たり前」だと、思い込みですね。

入学時に「スペイン語を学んで、ヨーロッパ放浪」と「提携先の大学に留学する」と決めていたのですが、後者は入学時点で提携先が変わってしまったので、目的を前者だけに絞りました。授業に出て、勉強をして、コンビニ、居酒屋、家庭教師など、バイトも熱心にして、ずっと続けてきたサッカーもやって、もう目一杯です。大学3年の6月までに単位をだいたい取って、ヨーロッパ放浪のための資金も貯めて、という緩やかだけど、果たしたい目標を決めて生活していた、そんな感じの大学生活でした。

旅先で出会った数多くの人に「どうして働いているの?」と聞いた

旅に出ようとは決めていたのですが、最初はそれ以外の動機はあまり固まっていませんでした。貯めた資金でスペインのバルセロナに入って、そこから出発して、安宿を転々としながらお金がなくなるまで放浪、というイメージはありましたが。そんなとき偶然、高校時代の友人と再会します。「今度、ヨーロッパを放浪しようと思う」と話すと「一緒に行こう」と言ってくれたのです。今まで周囲に話しても「へーすごいね」とか「自分はお金ないから無理」と言われてばかりだったので、別に誘ったりするつもりはなかったのですが。同行を申し出てくれた相棒はフランス語ができました。英語、スペイン語に加えてフランス語だったら、ヨーロッパは大丈夫だという感じでしたね。手持ちの資金をプール金にして、入口と出口だけバルセロナってことだけ決め「行けるところまで行こう」という感じで、いきあたりばったりの旅に出ました。

実は旅に出た時期は、もうすぐ就活というタイミングだったのです。周囲もそろそろという感じでインターンシップに参加、という話も出ていたのですが、私はそれに違和感を持っていました。そもそも、自分自身が「仕事」について何も理解していない。働きたいのかどうかも定かじゃない。バイトをしていたので、お金は多少稼いでいましたが、働いてお金を稼ぐ意味のようなものは深く考えたこともない、むしろ「そんなことを理解していないのに、就活で志望動機を言う練習をするのは気持ち悪い」とさえ思っていました。当時の私は、それこそボンバーヘッド(=アフロヘア)でヒゲぼうぼうという、汚い兄ちゃんでしたから。

そんな状態で就活するのはオカシイと思っていたくらいですから、旅に出る前に、世界の人たちに対して、自分の語学力が通用するのかと同時に「どうして働いているの?」と聞いて回ろう、と決めました。自分が日本に帰ったときに「働きたい」という気持ちになるように、そんな旅にしようかと。それ以外には、隣に座った人には必ず話しかける、あとは気が済んだら帰国する、くらいのルールを、最初に決めていました。二人でプール金があれば、かなりの時間放浪できると思っていたのですが、到着当初からそれこそ楽しくて「飲んでばかり」いたら、1カ月半で資金が底をついてしまいました。

これではいけないと思って、持参していたサッカーボールを使って、公園でリフティングショーのようなものをしていたら、見ていたおじさんたちがお金をくれた。これは稼げるかもと思って、朝公園に行って、リフティングショーをして、もらったお金をつかって市場で果物や野菜を買って食べ、知り合った人に「わざわざ日本から来たので、泊めてほしい」と厚かましいお願いをして泊めてもらったり、だめなら朝まで地元の学生と飲み明かしたり、その後、さまざまな国と地域で、100人を超えるさまざまな出自の方々に「どうして働いているの?」とインタビューをして回りました。

いろんな人たちに話を聞いているうちに、業界とか業種とか職種とかそういう枠を超えて働いている人たちがカッコいいと思うように。話を聞いた人たちは、仕事に誇りを持って働いているという人が多かったのでどんな仕事でもいい、とも思ったのですが、やはり「枠に囚われていない」という働き方にひかれる自分に気がついた旅だったと思います。帰国後に、当時付き合っていた彼女が偶然持っていた会社案内を見て、今の会社を受けることになるのですが、その道を目指すキッカケになったのも、この旅だったことは間違いありません。

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学生時代に戻れるのなら「もっと広い世界」を見てみたいと思う

学生の時にしかできないことをしたかった、ということを貫いたので、大学生活はよかったと思います。最初に「これだけはやる」と決めていたことをなんとなく続けていましたから。例えば「スペイン語をモノにする」と決めたて途中で「ま、いっか」とならなかったことが、結果として「悔いが残らなかった」のかもしれません。

ただ、同時に「自分の世界は狭かったのかもしれない」とは思います。仕事のこと、働くということは、まったく理解していなかったので。9年仕事をした今になると、自分の興味範囲でしか行動していなかったということがわかりますね。ヨーロッパの片田舎を放浪して、仕事についていろいろと話を聞いたけど、世界にはもっとたくさんの仕事があって、東南アジア行っておけばよかった、南米にも、アフリカにも行っておけばよかったと思います。

そう考えると、学生時代に戻れるのなら、もっと広い世界を見てみたいです。同時に「もっとやれるはずだよ、お前は」と、当時の自分に言ってあげたいです。熱気にあふれている状態で仕事をしている人は、ヨーロッパだけではなく、世界中にたくさんいるよ。自分の興味の範疇(はんちゅう)から、ヨーロッパと決めてしまって、そこを放浪しただけで就職してよかったのか、と。

もう1つ、お金がなくなったから戻ってきて就活をするということでよかったのか、ということも考えます。例えば、本を書いたり、自分でビジネスを回したりして、旅を続けるという選択肢もあった気がします。ただ、そのときの自分がそんなふうにアドバイスをされたとしても理解できないと思いますけど。自分でビジネスするなんてことは、考えにもおよばなかったし、いろんなことは自分のペースで考えたいと思っていましたから。世界は広いぜ、もっと見ろよって言われても、ピンと来なかったと思います。「自分は自分なりにやっていくだけだから」という反応だったでしょうね、きっと。

視野が広がるのって、今までとはまったく違う選択肢を得ることだし、その選択肢がほかの選択肢と隔絶されているほど、人生の可能性、自分がどうやって生きていくのかという道が広がっていくのかなと。今の自分が大学時代に戻れば、それがもっと広げられたはずだと、思っています。

宮武さんの愛用品

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欲しくて欲しくてたまりませんでした。コレ、相棒です。アイデアのネタ帳として、英語の教材として、友達や家族とのコミュニケーションツールとして、毎日使いまくってます。iPhoneを持ってから写真や音楽などもともと好きだったものをさらに好きになりました。そしてそれをプロテクトしてくれるはずのケース。もうボロボロです。でも使えば使うほど自分になじんでいきますよね。だから割れてもほつれてもずっと使っています。

取材・文/サカタカツミ 撮影/鈴木慶子

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