辛酸なめ子

しんさんなめこ・1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。女子学院高校、武蔵野美術大学短期大学部デザイン学科卒。大学在学中からイラストレーター、ライターとして活動。94年、GOMES漫画グランプリでGOMES賞を受賞。以後、漫画家、コラムニストとして活躍するほか、コメンテーターとしてテレビ番組にも出演している。本名の池松江美名義で執筆やアート作品の制作もしている。『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)、『セレブの黙示録』(朝日新聞出版)、『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎)など著書多数。

美術大学への進学に反対する家族を2年間かけて説得した

中学時代から美術大学に進学したいと思っていましたが、家族からは反対されました。理由は美大の男性に対する偏見です。母からは「おおかみの群れに羊を投げ込むみたいなものだ」と言われました。私が中高一貫の女子校に通っていたこともあって、母としては心配だったんでしょうね。実際に入学してみたら、男子学生は草食系ばかりで羊しかいませんでしたが(笑)。美術系に進むと将来が不安定なので、「いい大学に入り、いい企業に就職してほしい」という本音もあったと思います。学歴マニアの祖母は「絵の勉強をしたいなら、東大に行って美術部に入ればいいじゃない」とこれまたよくわからないことを言っていましたね。絶対受からないと思うんですが…。

 

それでも表現をしたいという気持ちは消えなくて、2年間かけて家族を説得し、高校3年生の時にようやく美大受験専門の予備校に通うことを許してもらいました。自分でイラストを描いた文化祭のパンフレットや就学旅行のしおりなど実績を見せて本気度をアピールし続けていたので、家族としては無視するわけにもいかないという感じだったのでしょう。予備校の受講料は出してくれましたが、基本的に反対の姿勢は崩さず、画材代は援助してくれなくて。予備校でデッサンのモチーフを片づけるアルバイトをすると1日につき1000円くらいもらえたので、そこから画材代を捻出して勉強し、なんとか現役で唯一受かった武蔵野美術大学の短大のグラフィックデザイン科に滑り込みました。

 

入学当初は横尾忠則さんに憧れてグラフィックデザイナーになりたかったんです。なんとなく最先端なイメージもありましたしね。ところが、授業で課題をやってみると全然できなくて。不器用なので色もムラになってしまうし、線もまっすぐ引けない。当時はパソコンもあまり普及しておらず、グラフィックデザイナーの仕事には緻密な手作業が必要で、不器用な私には向いていないと気づきました。

 

そんな調子で卒業後に何をしたらいいのかもわかっていなかったのですが、自宅ではマッキントッシュのハイパーカードというソフトを使って簡単なゲームやアニメーションを作ったり、漫画やイラストも描いていました。まだマッキントッシュが高くて学生には簡単に買えない時代だったのですが、私が高校3年生の時に父が事故の見舞金で買ってたまたま家にあったんです。

 

当時はインターネットはもちろん、CD-ROMもまだ普及していなくて、パソコンを使うアーティストたちの間では、作品をフロッピーディスクに入れて配布したり、即売会で売って人に見てもらうというのがはやっていたんですね。それで、私も試しにやってみたところ、プロの方にも見てもらえる機会があり、在学中からちょこちょことイラストや漫画を書く仕事をするようになりました。

 

19歳の時に高校時代から愛読していたフリーペーパー『GOMES』(現在は休刊)主催の漫画グランプリに応募したら賞を頂いて、それを機に雑誌の連載の仕事もくるようになりましたが、収入は少なかったです。洋服も日暮里で売っている800円くらいのものばかり着ていて、いつか1万円の服を買えるようになりたいと夢見ていました。友人には現代美術のアーティストが多く、「年収300万円稼ぐ奴は敵だ」と言っているような人たちに囲まれていたので悲壮感はありませんでしたが…。

 

漫画以外にも取材をしたり、コラムを書いたりと仕事の幅が広がり、なんとかひとり暮らしもできるようになったのは、Webサイト『女・一人日記』が話題になって本を出版したころからです。20代半ばでした。『女・一人日記』を始めたのは美術短大を卒業したころで、当時はブログという便利なものはなく、自力でHTMLを打って書いていました。まだ個人がインターネットを使って発信するというのが気軽にできる時代ではなかったので、面白がってもらえたのかもしれないですね。

 

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守りに入ろうとせず、やりたいようにやっている人の話は面白い

先日、手相鑑定士の日笠雅水さんに見てもらう機会があったのですが、「20代から30歳になるくらいまで人との交渉を絶っていたでしょう?」と。実はその通りで、「なれ合いの人間関係に浸らず、真剣に仕事に向かい合わなければ」と思っていたので同業者の飲み会に誘われても行かず、仕事を優先していた時期がありました。おかげで、気がついたら友達がいなくなってしまって…。

 

なぜそんなにまで仕事にのめりこんだのか…ですか? うーん、仕事って相手の求めているものに応えることで、喜んでもらえるんですよね。誰かに必要とされたり、喜んでくれるというのがうれしくてハマったんだと思います。例えば、締め切りより早く納品したら「すごく助かりました」と言われたりする。そういうちょっとしたことであっても、自分が何かをすることで誰かの役に立てたことがうれしくて、やりがいを感じて。それで相手に依頼されたものにできるだけ応じていたら、仕事のテーマがどんどん広がって、セレブのインタビューやスピリチュアル系の取材といった自分のやりたいこともできるようになりました。雑誌の仕事で鍼灸院(しんきゅういん)を取材して、鍼(はり)を120本打たれた時には「肉体的にハード過ぎるものは引き受けてはいけない」とさすがに反省しましたが。

 

先のことは何も考えず、流されるままの人生を送ってきましたが、直感に従って動いてみるというのも大事だと思います。やりたいことがはっきりとしていなかったり、どうすればやりたいことができるのかがわからなくても、「何となくこの人に会った方がいい」「この仕事は面白そう」と自分の直感に従っていると、行くべき自然な道が開けます。私は学生時代、美術家の中ザワヒデキさんや伊藤ガビンさんに大きな影響を受け、仕事や人脈の面でもお世話になったのですが、中ザワさんと出会ったのは学生時代に行ったアートの展覧会。たまたま見かけた中ザワさんが輝いて見えて、思い切って話しかけてみたら事務所の引っ越しを手伝うことになり、その流れでアルバイトをするようになったんです。

 

社会に出てみてわかったのですが、大人って学生さんと話すことで新鮮なアイデアをもらえたりもするんですよね。たいていの大人は学生さんから話しかけられるのがうれしいと思うので、会いたい人に会ってその人の仕事について聞いたり、飛び込みで「働かせてください」くらいのことを言ってもいい気がします。

 

それから、守りに入ろうとはしない方がいいと思います。生活のためにある程度のお金を稼ぐのは大事なことですが、お金を稼ぐことばかりを考えている人はどんよりした念みたいなものを感じます。それに、セレブのインタビューをしていても、貧乏だったり、追いつめられた経験のある人の方が発想が豊かだったり、創造力に富んでいたりします。守りに入らず、やりたいようにやっている人の話は面白い。失うことを怖がり過ぎないで、魂的にやりたいことを仕事にするといいんじゃないかなと思いますね。

 

 

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INFORMATION

『なめ単』(朝日新聞出版/税抜き1500円)は英会話が苦手な辛酸さんが数々の英語学習法を体験し、英語力アップを試みた実践書。外国人執事喫茶で英語を磨く、洋楽の歌詞を訳す講座の受講、外国人に人気のホテルに滞在など約40もの英語体験が面白おかしくつづられており、その体当たりぶりに驚かされる。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

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