渡辺篤史

わたなべあつし・1947年茨城県生まれ。小学生時代に上京後、劇団若草に入団。1960年生放送テレビドラマ『にあんちゃん』でデビュー。以後、子役として『木下恵介劇場』『泣いてたまるか』『テレビ指定席』などのテレビドラマのほか、映画やラジオ番組に出演するが、大学入学を機に芸能活動を休業。その後、あらためて俳優として生きることを決意し、在学していた日本大学文理学部を中退。以後、独学で芝居を学び、数多くのテレビドラマや映画に出演。近年はテレビ番組のナレーター、レポーターとしての活動が多く、特に1989年に放送開始された住宅情報番組『渡辺篤史の建もの探訪』では放送開始時からホスト役を務め、建築への深い造詣を生かしたレポートに定評がある。2010年から4年間は神戸芸術工科大学環境・デザイン学科の客員教授も務めた。

良い結果を出すために、自分の意志を貫き通すべきときもある

『渡辺篤史の建もの探訪』のお話を頂いたのは、42歳の時です。子役時代から芝居をやってきて、仕事に打ち込みましたが、母の借金を肩代わりしていたので、生活はずっと苦しくて。借金の返済を終えて、家族と暮らしていけるだけの経済的基盤ができ、あとは自分のペースでやりたいことをできればそれ以上のことはないなと思っていた矢先のことでした。

 

かつてドラマで一緒に仕事をしたプロデューサーが「渡辺さん、建物の番組をやってみない?」と声をかけてくれたのですが、驚きましたね。僕は子どものころから建築やデザインが好きでしたが、人に言ったことはありませんでしたから。生活に追われていた時期も、自宅のソファーに腰かけて音楽を聴きながら、建築雑誌をめくるほんの少しの時間を心の支えにしてきました。ほら、建築雑誌って写真が多いから、目が疲れないんですよ。それで、番組が始まる10年以上前から建築や住宅関連の雑誌の定期購読をして、個人住宅にもものすごく興味があったんです。

 

だから、『建もの探訪』の仕事は神様が与えてくれた贈り物としか思えませんね。番組開始以来25年以上がたち、これまで約1300軒のお宅にうかがいましたが、住宅に関しては飽きることがないですから。ただ、こんなに長く続くとは思っていなかったし、もともとは観光番組だったんですよ。沖縄から桜前線とともに東京まで北上しながら、学校や市庁舎など公共建築を紹介するという企画で、3カ月で終わる予定でした。

 

だけど、のちに現在の京都駅ビルを設計した原広司さんによる那覇市立城西小学校や、熊本大学の旧講堂を建築家の木島安史さんが自邸として再生させた弧風院といった個人の建築家の仕事を目のあたりにするうちに、彼らの仕事をもっと世の中に知らせたいという思いがわいてきましてね。「大きな建物ばかりではなく、個人の住宅にも面白いものがたくさんあるから、個人住宅を紹介しましょう」と趣味でストックしていた建築雑誌を番組会議に持っていってはお願いをしました。

 

ところが、テレビ番組というのはスポンサーが必要でしょう。今だから打ち明けますが、大手のハウスメーカーならいざ知らず、個人の建築家が建てた住宅を取り上げる番組では採算が成り立たないところがあって、すぐには聞き入れてもらえませんでした。それを「これまでマスコミにあまり知られていなかった個人住宅の仕事を紹介することで、視聴者の方々が身近な建物を見直すきっかけになり、日本の住環境が少しなりとも変わるかもしれない。すごく意味のある番組になりますよ」と口説き落としたんです。

 

思い入れのある企画ですから、番組開始当初は僕も気が張っていました。こういうことを口にしていいのかわかりませんが、勝ち取らねばという思いでしたね。自分のスタイルを築いて、いい番組を作ろうと。だから、番組作りではスタッフとずいぶん意見を戦わせましたよ。例えば、収録時間の長さ。『建もの探訪』は30分弱の番組で、現在は僕の出演シーンを午前中3時間ほどで収録します。さらに、建築物の細部やご家族の団らんの様子などを夕方までスタッフが撮影するという段取りで、1日で全部撮ってしまいます。

 

同様の番組ですと通常は収録に2日かけることも珍しくありません。最初は『建もの探訪』も現在より収録に時間をかけていましたが、お邪魔するお宅の負担が重くなるし、僕も集中力が途切れてしまう。そこで時間短縮をお願いしたものの、「2日かかるのが当たり前」というのが現場の常識でしたから、スタッフもすぐには対応できなくて。それでも「生きたやりとりを撮影したい」という僕の思いを理解し、テンポよく撮影するための工夫をしてくれて、少しずつ今のスタイルになっていきました。

 

『建もの探訪』では、僕がお宅を初めて見た時の発見や驚きをそのまま視聴者の方々に伝えることを大切にしています。だから、カメラが回るまでお宅には入りませんし、ディレクターとご家族との事前打ち合わせの内容も一切聞きません。台本もなく、収録が始まるとアドリブで動き、最後のコメントもその場で考えてしゃべります。僕に合わせて柔軟に対応してくれるスタッフの技量があってこそできることですよね。

 

スタッフには20年以上一緒にやっている人もいて、今では家族のような存在ですが、あうんの呼吸で仕事ができるようになるには10年ほどかかりました。大変でしたが、結果として『建もの探訪』は皆さんに長く愛される番組になりました。良い結果を出すためには、自分の意志を貫き通すべきときもある。そんなふうに思います。

 

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言葉にすらできないほどつらいときこそ、夢を持つようにした

児童劇団に入ったのは、なまりを矯正するためでした。小学校3年生の時に茨城県から上京してあいさつをしたら、方言丸出しで大爆笑されたんですね。いじめのようなものにあって、つらくなり、だんだん引きこもり状態になってしまいました。それを母が知り合いの舞台写真を撮影する写真屋さんに話したら、「児童劇団に入ればなまりなんてすぐになくなるよ」と勧められたんです。

 

小学校5年生で児童劇団に入り、中学1年生の時、九州の小さな炭坑町を舞台にした『にあんちゃん』で初めてテレビドラマに出演しました。劇団から言われるままにオーディションを受け、台本をなまりながら読んだら「茨城と九州のなまりは似ているから、リアルでいい」ということで合格。稽古(けいこ)をして台詞(せりふ)を覚えたのに、本番当日のリハーサルでは台詞がまったく出てこなくて。当時のドラマは生放送でしたから、間違えてはいけないということでものすごい緊張感だったんですね。

 

もうダメだと思いましたが、本番の冒頭で兄貴役の福田豊士さんと兄弟げんかをするシーンがあったんです。その時に福田さんが僕を殴るのですが、リハーサルでは殴るふりをするだけでした。ところが、本番では本気で殴られたんですね。それで痛くて、悔しくて、気持ちがこみあげてきて、台詞が流れるように出ました。すると、演出家が「篤史、良かったよ」とすごくほめてくれて。この時に知った表現をする喜びが俳優としての原点です。

 

その後、母から「俳優の仕事は趣味として応援するから、事業を手伝ってほしい」と言われ、劇団を退団。一度大学に入ったのですが、母が投資でだまされて数千万円の借金を抱え、追い詰められて僕を連帯保証人にしてしまったんです。やむを得ず大学を中退し、再び俳優の仕事に打ち込みましたが、返済に追われる日々が15年間。ドラマ2本と舞台をかけもちして睡眠時間は3、4時間というような毎日で、不条理だなと思いました。

 

今なら「つらかった」と話せますが、当時は言葉にすらできなかった。だから、そこに夢を持つようにしたんですよ。思いっきり芝居の世界に入り込んで、役になりきって。すると、実生活で押し殺していた感情が芝居で爆発したりして、「迫真の演技だね」と言われたりもしました。それに、苦労をすることでいろいろな立場の人の気持ちを掘り下げられるようになって、役づくりの勉強にもなった。「災い転じて福となす」じゃないけれど、つらい経験も糧になるものですね。

 

僕の場合、最初は現実から逃避するために仕事に没頭したところもありましたが、仕事を通してたくさんの人たちと出会い、現実と格闘する力をもらえました。人と交流できるから、仕事って楽しい。『建もの探訪』も住宅を探訪するだけでなく、そこに暮らす人たちや、設計した人の思いに出合えるからいくら回を重ねても惰性にはならないんです。いいことばかりじゃないけれど、素晴らしいですよ、仕事って。

 

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INFORMATION

『渡辺篤史の建もの探訪BOOK 25周年スペシャル版』(朝日新聞出版/税抜き1600円)。番組で近年紹介された住宅24軒を紹介するとともに、渡辺さんと木梨憲武さんの対談、若手建築家・谷尻誠さんおよび藤本壮介さんとの対談、大人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』著者の荒木飛呂彦さんの語り下ろし、撮影スタッフ裏話、渡辺さんお気に入りの伝説的ジャズ喫茶・ベイシー探訪など、充実した内容の一冊。

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取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康

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