人間の意志はそんなに強くない。だからこそ、新しいことに挑戦する環境に自分を放り込む
初めてミシュラン三ツ星を頂いたのは、「カンテサンス」をオープンした翌年。33歳でした。僕がやってきたのは料理だけですから、フランスの三ツ星レストランのシェフ(料理長)たちというのは、やはり憧れの存在。それがある日、「あなたも同格ですよ」と言われたわけです。すごく若かったですし、今もですが、まだまだ自分にはいくつもの課題があると考えていたので、ピンとこないところもありました。星を頂いたというより、フランスからエールのようなものを送ってもらったという感じでしたね。「評価に見合うよう成長してほしい、こいつならたどり着ける」という期待を込めての三ツ星なんだなと。以来、その期待に応えるだけの努力をしようと肝に銘じて仕事をしてきましたし、今もそうです。
「カンテサンス」では、昼も夜もおまかせのコースのみで、夜のメニューは13品。定番の2品以外はお客さまに同じ料理をお出ししないようにしています。目新しさを求めてそうしているのではありません。「常に新しいものを作る」と決めることで、必然的に緊張感を持って仕事をすることになり、いいコンディションで作った料理をお客さまに提供することができるからです。常連のお客さまは2カ月に1回のペースでいらっしゃる方が多いので、2カ月後に11品のメニューを新しくするとなると、毎週1品は切り替えなければ追いつかない。だから、僕も次々と新しいメニューを開発するし、スタッフも新しいことを勉強しなければなりません。オープン時にこのシステムを作っていなければ、僕もとっくに息切れしていたかもしれませんね。人間の意志はそんなに強くはないので(笑)。
「成長し続けたい」「マンネリになりたくない」と考える人は多いと思いますが、決まったこと以上のことをする余地のない環境でそれをやろうとしても、なかなか難しいものです。実現したいなら、新しいことに挑戦し続ける環境、緊張感を持って働ける環境を選ぶなり、作るなりして、そこに自分を放り込むというのも大事だと思います。
料理の発想は、料理以外のことから得ることも少なくありません。毎日厨房(ちゅうぼう)に立ち、休日には生産者の方にお会いしに行ったりと料理一色の日々ですが、街を歩いているだけでも、興味が持てることはたくさん転がっていますよ。例えば、広告のポスターひとつでも、「なぜこの配色なんだろう」「どうしてこういう言い回しなんだろう」と考えながら見れば、視点が広がる。その答えを想像してみるのも楽しいですし、今はスマートフォンで調べればすぐに答えが見つかったりもします。その時に、自分の想像したことと答えの隔たりが大きいほど、発見がある。ささやかなことでもちゃんと考えるということを日ごろから習慣づけておくと、仕事でも多角的な発想ができるようになる。僕の場合は料理ですが、ビジネスでも同じだと思いますよ。
お客さまには最高の料理をお出ししたいと日々仕事に向かいますが、「この調理法が一番」「これぞ最高の料理」と言い切ることはしません。言い切ってしまえば、それ以上の成長はないと思うからです。ある時点で「最高の調理法、最高の技法」と思うものはあっても、本当にそう言い切れるのか、それ以上のものはないのかと考える。ほんの少しでも昨日より成長し続けたいと常に思っています。
成功してきた人たちの中で、壁にぶつかったことのない人はひとりもいない
子どものころから母を手伝って台所に立ち、小学校の卒業文集には「料理人になりたい」と書きました。フランス料理を志したきっかけは、中学時代に母が図書館で借りてきた第11代目帝国ホテル料理長・村上信夫さんと三重県・志摩観光ホテル「ラ・メール」総料理長・高橋忠之さんの対談を読んだこと。特に印象に残ったのは、29歳の若さで料理長に就任し、地元の素材を追求したフランス料理で「地方ホテルの洋食レストラン」だった「ラ・メール」を世界から注目されるレストランに成長させた高橋料理長の姿でした。
料理の専門学校を卒業後、「ラ・メール」で働き始めたころから常に心にあったのは、「30歳で料理長になることを目標に努力しなさい」という高橋料理長の言葉です。フランス料理をやるからにはフランスでの修業はしたい。フランスで3年修業すると、30歳で料理長になるには27歳までにはフランスに行かなければならない。では、それまでにフランス料理の基本をしっかり学びたいし、語学もやっておきたい…というように、「今、何をすべきか」を常に意識して行動していました。
どの修業先でもたくさんのことを学ばせてもらいましたが、最も影響を受けたのは、フランスで修業した「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボです。パスカルの料理に対する姿勢は、それまで僕の出会ったどのシェフにもないものでした。とりわけ驚いたのは、フランス料理で当たり前とされていることを鵜呑(うの)みにせず、なぜそうなのかを探求して自分のものとしていく真の意味での批判精神です。僕たちにも事あるごとに「自分で考えろ」と言っていました。それまでの僕はシェフが決めたことを完璧に、正確にやれば及第点をもらえる世界にいましたが、パスカルはさらに上の世界にいたんです。
パスカルの求めることに応えるのは簡単なことではありませんでした。自信を持って作った魚料理を「お客には出せない」と捨てられたこともあります。でも、彼のもとでしか学べないことがあると思っていましたから、逃げ出すという選択肢はなかった。過去に自分がやってきたことをリセットし、ゼロからやり直そうと無心で働きました。そのうちにパスカルの信頼を得て、2年目にはスーシェフ(シェフに次ぐポジション)を任されるようになったんです。パスカルに出会っていなければ、今の僕はないと言っても過言ではありません。
料理の世界に限らず、社会に出ると、いろいろな大変なことに直面します。それは学生時代には体験したことがないものだと思いますから、先が見えなくて苦しむこともあるかもしれません。でも、すぐに逃げ出さないでほしい。当店には世の中で名を成したお客さまも多いのですが、お話をうかがっていますと、成功してきた人たちの中で壁にぶつかったことのない人はひとりもいないと感じます。つらいからといってすぐに逃げ出してしまえば、後には何も残りません。積み重ねのないまま次のことをやってもうまくいかず、また逃げ出すことになりがちです。それでは意味がありません。同じやめるにしても、「やり切った」と言えるほど努力したなら、次につながる何かを得られるはずです。がむしゃらに努力する時期というのは必要だと思いますよ。大変なことが一生続くと想像してしまうと重荷になりますが、心配ありません。習得すべきものを習得してみんなから認められてしまえば、努力することもどんどん楽しくなるものです。
「カンテサンス」では多くの若いスタッフが働いていて、オーナーとして彼らを育てるのも僕の仕事。料理人として伸びるかどうかは、コミュニケーション能力で差がつきます。ここで言うコミュニケーション能力とは、相手の話を理解し、自分の意思を誤解のないよう伝える力のこと。人からものを教わるにも意思疎通は不可欠ですから、その力の足りない人は成長が遅く、能力も伸びません。応募の電話や面接でそのあたりが気になる方には、「対話が成り立たないようでは、うちでは1カ月も持たないよ」と正直にお話しするようにしています。
最後に、料理はシェフひとりでは作れないと僕は考えています。ある程度の規模の店になるとスタッフと一緒に仕事をしなければ成り立ちませんし、ひとりで店を切り盛りするとしても、仕入れ業者さんや生産者などさまざまな人と力を合わせなければクオリティの高い料理はできません。チームワークが必要なのです。チームでいい仕事をするために大事なのは、機嫌よく仕事をすること。職場では、1日のかなりの時間を他者と共有しますから、誰かの機嫌が悪かったり、イライラしていたら、周囲に影響を与え、チームのパフォーマンスが落ちます。みんなが気持ちよく働ける環境を大事にして、機嫌よく仕事をする。社会に出て1日目からチームに貢献できることがあるとすれば、そのあたりなんじゃないかなと思います。
INFORMATION
■レストラン「カンテサンス」
住所:東京都品川区北品川6-7-29 ガーデンシティ品川御殿山1F
電話:03-6277-0090(予約専用)
営業時間:12:00-15:00 18:30-23:00
定休日:日曜、年末年始
アクセス:JR品川駅、JR五反田駅、京急北品川駅から約1km
メニューはランチ、ディナーとも素材の持ち味を最大限に引き出すことを重んじた「おまかせの1コース」のみ。旬の素材により、メニューの内容は絶えず変化する。予約は2カ月前の同日より電話で受け付け。2カ月先まで満席の状態が続いている。
取材・文/泉彩子 撮影/鈴木慶子