野村 克也さん(野球評論家)の「仕事とは?」|後編

のむらかつや・1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年にテスト生として南海ホークスに入団し、3年目の1956年からレギュラーに定着する。現役27年間にわたり球界を代表する捕手として活躍。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王などその強打で数々の記録を打ち立てる。また、70年の南海でのプレイングマネージャー就任以降、のべ4球団で監督を歴任。ヤクルトスワローズでは「ID野球」で黄金期を築き、東北楽天ゴールデンイーグルスでは球団初のクライマックスシリーズ出場を果たすなど輝かしい功績を残した。現在は野球解説者としても活躍。
野村克也オフィシャルサイト http://nomura-katsuya.com/

前編では野村さんが野球選手として頭角を現すまでの道のりを語っていただきました。
後編では逆境を乗り越えて監督として手腕を発揮できた理由や、野球界への辛口発言の背景に迫ります。

逆境にあっても努力を忘れなければ、見ていてくれる人は必ずいる

-南海に入団して3年目に1軍レギュラーに。34歳からは選手兼監督として活躍されました。

ところが、42歳にして球団を放り出されました。のちに結婚する現在の女房(野村沙知代さん)との交際が問題視されたことが理由でした。やましいことは何もありませんでしたが、世間の目というのは厳しいものです。進退に迷っていた私に、評論家の草柳大蔵さん(故人)が「生涯一書生」という禅の言葉を教えてくれました。人間は一生涯勉強。ならば、私も「生涯一捕手」を貫こうと、声をかけてくれる球団がなくなるまで現役を続けようと心に決めました。

-現役引退後、ヤクルトスワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の監督に就任された経緯は?

引退後は新聞の野球評論やテレビの野球解説の仕事をしていました。ユニフォームは脱いだとはいえ、野球に携わっていることには変わりがありません。やるからには誰にも負けない仕事をしようと、鉛筆を7色使って球種ごとに細かくスコアを記録。表現力も磨かなければとあらゆる分野の本も読みました。テレビの解説のために、ストライクゾーンを9分割して配球を記しながら図解する「野村スコープ」を発案したのもこのころです。視聴者からの反響も大きく、自分の経験が誰かの役に立つことにやりがいも感じていました。そんなある日、ヤクルトの相馬和夫社長(当時)がわざわざ私の家を訪ねて来られ、監督就任の要請があったんです。寝耳に水とはこのこと。「なぜ私なのですか? パ・リーグの野球しか知らない人間ですよ」と尋ねると、「そんなことは関係ありません。野村さんの解説を聞いたり、評論を読んで、その視点に感心していました。ぜひうちの選手たちに本物の野球を教えてやってほしい」と言われたんです。ああ、見てくれている人というのはいるものだなと思いました。

-ヤクルト在籍の9年間で3度日本一に輝き、リーグ優勝も4度達成されましたね。

相馬社長が私の考えを理解し、見守ってくれたおかげですよ。物事の道理というのはわからない人もいれば、わかる人もいる。たとえ1000人に理解されなくても、努力を続けていれば、見てくれている人が1000人いる。だから、いい仕事をしなきゃね。

野球人生、山あり谷あり。でも、好きなことをやっているから、苦とは思わなかった

-1999年にヤクルトの監督を辞任されたのち、阪神、楽天でも監督としての手腕を発揮されましたね。

どの球団でも自分の持てる力のすべてを選手に伝え、勝つために力を尽くしましたが、球団にはそれぞれ風土があり、私との相性もあります。ヤクルトのようにはいきませんでした。それでも、正しいと思うことは言い続けました。球団というのは多くのファンに支えられて成り立っているのだから、正しいことを見せていかないと。間違っていることをやっていてはいけない。結局、理解されないことも多いし、私は処世術にたけていないので、相手に嫌われてクビになったりもしましたけどね。そんなことでクビになるなら、また言ってやろうと(笑)。正当な理由でクビにするならわかりますが、「都合の悪いことを言うヤツはやめさせよう」なんて姿勢では、チームはよくならないですから。それこそ、どの球団にも属していない今は何でも言えますよ。年齢的に欲もないですしね。

野球人生、山あり谷あり。谷の方が多かったかもしれません。でも、谷の時こそ多くを学びましたし、好きなことをやっているのだから苦とは思わなかった。野球大好きだから、いまだに。「野村」から「野球」を引いたらゼロ。私から野球を取ったら、何もない。野球に感謝、感謝ですよ。

学生へのメッセージ

職を決めるというのは、人生を決めること。選択は慎重にしないとね。「あの会社に入りたい」「この仕事がしたい」と憧れを持つのはいいことですが、憧れの会社や仕事が自分に合うとは限りません。自分が本当に何をしたいのかをよく考え、それを実現しやすい環境を選ばないと。その時にひとつ大きなポイントとして皆さんに申し上げたいのは、人間というのは必ず何かしらの才能を持って生まれているんですよ。それが、私はたまたま野球でした。

では、なぜ自分の才能を見つけられたかというと、興味を持って試してみたからにほかなりません。中学時代は歌手に憧れてコーラス部に入ったり、映画俳優になりたいとひとり鏡の前でセリフを言ったこともあります。とても才能があるとは思えず、早々とあきらめましたが、そんな中で野球に出合ったのです。興味を持つというのは大事で、それができること自体が才能。自信を持って試せばいいんです。

まあ、私の場合は家庭が貧しかったので、稼ぐ手段を見つけなければという気持ちも大きかったですね。母が苦労しているのを子どものころからイヤになるくらい見ていて、何とかして母をラクにしたいという思いがありましたから。ハングリー精神というのは底力になりますよ。

野村さんにとって仕事とは?

-その1 野球選手に将来の保証はない。後悔しないよう常に全力を尽くした

-その2 解説や評論も「野球の仕事」。やるからには誰にも負けない仕事をしようと思った

-その3 野球が好きだから、大変なことも苦とは思わなかった

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INFORMATION

「野球賭博(とばく)事件」「清原和博元野球選手の薬物使用事件」など最近のプロ野球界で起きた不祥事の数々や、大リーグへの人材流出による日本のプロ野球界の空洞化の原因は「球界が人間教育の大切さを見失ったことにある」と野村さんは言う。著書『俺の苦言を聞け!』(悟空出版/定価:900円+税)では鋭い視点で球界の現状の課題を挙げ、渾身(こんしん)の「苦言」を放って解決への道筋を示している。

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取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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