こいずみ・こうじ●1979年、神奈川県生まれ。調理師学校卒業後、20歳の時に東京・八重洲の日本料理店「岡ざき」に入店。同店で料理長をしていた石川秀樹氏に師事。2003年、石川氏の独立に伴い「神楽坂 石かわ」の創業メンバーとして研さんを積む。2008年、「虎白」の店長に就任。現在は「虎白」のほかに「神楽坂 石かわ」、神楽坂「蓮」の統括料理長も務める。『ミシュランガイド東京』では2016年度から2年連続で三つ星を獲得。2017年8月現在、国内最年少の三つ星料理人である。
新しいことに挑戦しても、お客さまの心が動かなければ意味はない
-2016年度から2年連続でミシュラン三つ星を受賞されていますね。「虎白」の料理にはトリュフ、八角といった世界の素材や、従来の日本料理には見られない技法も使われており、ほかにはないひと皿を味わえるのが魅力と評判です。
ありがとうございます。「虎白」を開業するに当たり、ここでしか食べられないものを作りたいと考えました。正統派の日本料理も素晴らしいけれど、少し驚きのある料理でお客さまに喜んでいただきたいという思いから、日本料理ではあまり見られない素材や技法を用いることもあります。
-「虎白」の料理を作る上で、小泉さんご自身が大切にされていることは?
日本料理は旬の素材を生かす点が大きな魅力のひとつなので、素材のおいしさを引き出すことを大事にしています。洋の素材や独自の技法を使う場合も、奇をてらったものにはしたくないという意識は常に持っていますね。そのために、言うまでもないことですが、だしをきちんと引くといった基礎は決しておろそかにしないようにしています。
また、料理はすべてに意味がありますから、新しい素材や技法をただ取り入れればいいというわけではありません。それによって素材がよりおいしくなり、これまでにない表現ができるかどうかが重要です。例えば、アユの塩焼きは夏の風物詩で、やはりおいしいですよね。うちの店ではアユを揚げたものにトリュフソースを添えてお出ししていて、お客さまに好評ですが、これがそこまでのおいしさでなければ、塩焼きで食べた方がいいと思うんです。アユとトリュフの組み合わせの新鮮さを楽しんでもらえたとしても、その料理を食べたお客さまの心が動かなければ意味はありません。安心して食べられておいしい定番料理の「最高」を超えていかなければ、感動は生まれない。そこを目指してこそ、来てくださるお客さまの心の豊かさや幸せにつながると思っています。
もちろん、イメージ通りにはなかなかいかないもの。メニュー開発には時間がかかります。コースメニューの構成も、お客さまにお出しして反応が少し薄ければ、すぐに変えたりしますよ。毎日、試行錯誤の連続です。
絶対にお客さまに喜んでもらう。妥協のない師匠の姿に影響を受けた
-「虎白」を開業されたのは、28歳の時。それまでは「神楽坂 石かわ」(以下「石かわ」)の石川さんの下で修業されていたんですよね。石川さんとの出会いは?
料理の専門学校を卒業後、東京・八重洲にあった日本料理店「岡ざき」という店で働き、そこで料理長をしていたのが石川でした。当時、「岡ざき」の料理人は石川と僕と、もう1人。学校を出てすぐに石川の仕事ぶりを間近で見られたのは、すごく勉強になりました。石川はとにかく魂が熱いんですよ。「絶対にお客さまに喜んでもらう」という強い思いがあって、そのためには一切妥協しない。例えば、業者さんが持ってきてくれた食材の状態が満足のいくものでなければ、そのことを伝えるだけではなく、「お客さまにお出しする食材はどういうクオリティのものであるべきか」を明確に説明していました。すると、業者さんも次は求められたものを一生懸命探して持ってきてくれる。その時に石川は業者さんの苦労をねぎらう感謝の言葉を忘れません。そうやって人との信頼関係を深めていく姿から学ばせてもらうものは多かったです。また、次々と新しい料理のアイデアを考えて、実践していく姿にも大きな影響を受けました。
-石川さんからはどのような指導をお受けになったんですか?
石川は教えないんです(笑)。もちろん、聞けばきちんと答えてくれますが、手取り足取り教えるということはなく、相手に仕事を任せる。振り返ると、僕にはそれがとても良かったと思っています。教わらないからこそ自分で考える力が付きましたし、任されるというのは信頼してくれているということなので、求められている以上のことをやろうという思いも生まれました。
-「岡ざき」での4年の修業を経て、石川さんの独立に伴って2003年に「石かわ」へ。今や「石かわ」は2009年から連続でミシュラン三つ星を獲得する名店ですが、開業当時はどのような状況でしたか?
お客さまが入らず苦しい時期に、ランチ営業をして乗り越えた時期もありました。石川は経営の話は一切しませんでしたが、苦しい状況はわかっていましたから、自分ができることを常に探して動くようにしていました。宣伝はあえてせず、「来てくださったお客さまに心から喜んでいただくことで自然に輪が広がるような店にしたい」と考えていたので、そのためにどうすればいいかを徹底的に話し合いました。2人で接客のシミュレーションを繰り返したこともあります。そのうちに口コミで少しずつお客さまが増えて、メディアにも取り上げられるようになりました。満席になった日のうれしさは今も忘れられません。
工夫を忘れず、日々を「当たり前」にしない。その積み重ねが大事
―「虎白」開業の経緯は?
物件の建て替えのために「石かわ」の移転が決まったのですが、石川も僕も元の物件に思い入れがありました。寂しく感じていたところ、移転前の「石かわ」の場所に新しい店をオープンし、僕にその店のすべてを任せるという話が石川からあったんです。
―独立したいという思いは以前からありましたか?
いつかは自分のお店を持ちたいと思っていましたが、そのころはまだ具体的には考えていませんでした。職人として身につけなければいけないことが山ほどあり、目の前のことをきちんとやろうと日々忙しく過ごしていましたしね。新人のころから意識していたのは、石川から求められたことに応えるだけでなく、自分としてはどうなのかを考えながら仕事をすることです。
とはいえ、特別なことをしていたわけではありません。「お客さまに喜んでもらうためにはどうすればいいか」を考えながら仕事をしていれば、自分なりの気づきが自然と出てくるものです。「箸置きはいつも左に置くけれど、左利きのお客さまが前回ご来店の際に箸置きの位置をご自分で直していらしゃったので、今回は右に置こう」「仕込みの材料をいつもは右に置いていたけど、後ろに置いた方がスペースが広く取れて作業がスムーズになるかもしれない」などささやかなことでいいから工夫を忘れず、日々を「当たり前」にしない。その積み重ねの結果、自分なりの考えが確立できたように思います。
後編では日本料理への思いや、後進の育成についてのお考えをお話しいただきます。
(後編 8月23日更新予定)
INFORMATION
■日本料理店「虎白」
電話番号/03-5225-0807
住所/東京都新宿区神楽坂3-4
営業時間/17:30-24:00 ※土曜 17:00-24:00
定休日/日曜、祝日、8月中旬、年末年始
トリュフやバターなど世界の素材も大胆に取り入れつつ日本料理の芯を大切に、素材のおいしさを際立たせた品々を楽しめる。夜のみの営業で、1万9000円と2万2000円(税別)のコースを用意。
取材・文/泉 彩子 撮影/鈴木慶子