銀行を退職し、婿養子として継いだ宿が3日間お客さまゼロの危機に
-澤さんは大学卒業後、銀行に勤務されていたんですよね?
はい。妻が「澤の屋旅館」の一人娘でしてね。27歳の時に婿養子としてここにやって来ましたが、銀行を辞めるつもりはありませんでした。銀行の営業の仕事は厳しいながらやりがいがありましたし、旅館の仕事は土日がないでしょう? そんな生活、とても耐えられないと思っていました。その私が50年以上旅館業をやっているわけですから、人生って不思議なものですよね。
-お気持ちが変わったのはなぜだったんですか?
私が妻と結婚したのはちょうど1964年の東京オリンピックが開催された年。高度経済成長期でもあって、「澤の屋」は修学旅行生を中心に日本人のお客さまで大にぎわいでした。毎朝3時、4時に起きて忙しく立ち働く妻の横で、自分だけ寝ているわけにいかなくなり、結婚して2年目に銀行を退職。「澤の屋」に入ったんです。
-旅館業にはすぐなじめましたか?
「澤の屋」は義母が1949年に8室で開業して、女手一つで大きくした旅館でしてね。私が入ったころは5人部屋が16室でした。義母がすべてを切り盛りしていて、接客時の立ち居振る舞いや言葉遣いはもちろん、箸の上げ下ろしまで仕込まれました。慣れるまでは大変でしたが、お客さまと接することは楽しかったですし、修学旅行生からお礼のお手紙を頂いたりして「いい仕事だな」と思ったものです。少しずつ経営も任されるようになって、1968年には鉄筋3階建ての新館をオープン。いずれは旧館も鉄筋にして、50室クラスの旅館にする青写真を描いていました。
ところが、1970年の大阪万博をピークに客足が遠のき始めました。個室、バス・トイレ付きのビジネスホテルが次々と登場して人気を呼ぶなど国内旅行のスタイルが変化し、家族経営の旅館の家庭的な雰囲気がお客さまからあまり好まれなくなってしまったことが大きな理由でした。24室あった客室を新館のみの12室に縮小したり、旅館経営者の仲間と弁当店も始めるなどなんとか経営を立て直そうとしましたが、先が見えず、1982年7月にはついにお客さまゼロの日が3日間続いてしまいました。「澤の屋」創業以来、初めてのことです。このままでは廃業するしかありません。そこで、最後の手段として考えたのが、外国人のお客さまを受け入れることでした。
初の外国人客受け入れは苦い経験に。でも、辞める選択肢はなかった
-なぜ外国のお客さまを?
経営が苦しくなってきた時期に、かねて親しくしていた東京・新宿区の矢島旅館さんから「日本人のお客さまが少なくなったのなら、外国人のお客さまを泊めてみては?」と勧めていただいたんです。矢島旅館さんはいち早く外国人のお客さまを受け入れ、館主の矢島恭さんは訪日外国人に家庭的な宿に泊まってもらおうと「ジャパニーズ・イン・グループ」という旅館組織を創立した方でした。ただ、そうは言われても、私は英語が話せませんし、日本人も泊まらなくなった昔ながらの旅館に外国のお客さまが泊まってくださるとは到底思えませんでした。それが、矢島旅館さんに見学にうかがってみると、規模も設備もほとんどうちと変わらないのに、外国人のお客さまであふれていたんですよ。おまけに矢島さんの英語は片言で、対応も私たちが普段日本人のお客さまと接する時となんら変わりがない。それでも、相手は笑顔でした。これなら、自分たちにもできるかもしれないと思い、妻と二人で「やってみよう」と決めました。
-最初に外国人のお客さまを迎えたのは、いつごろでしたか?
受け入れを決めてからちょうど1カ月後でした。ドキドキしながら迎えたお客さまは、カナダ国籍の香港人女性。日本人の友人を頼りに仕事を探しに来たということで、1週間の滞在予定でした。ところが、チェックアウト時に請求書を見せると「ノー・マネー」と言います。一生懸命何かを伝えようとしますが、こちらには通じません。追い出すわけにもいかず、カナダ大使館に連絡して職員の方に事情を聞いてもらったところ、彼女は友人に会えず、手持ちのお金も尽きてしまったとのことでした。結局、宿代は大使館が例外的に立て替えてくれましたが、彼女はカナダに強制送還されました。
-大変でしたね。「外国人のお客さまはこりごり」と思いませんでしたか?
正直なところ思いましたが、辞めたら、「澤の屋」を自分の代でつぶしてしまうことになる。何より、私は旅館のお客さまが好きでした。だから、辞めるという選択肢はなかったです。むしろ、この経験を次に生かして、外国人のお客さまの受け入れを続けていこうと思いを新たにしました。そのうちに少しずつ外国人の予約が増え、初年度に5.5パーセントだった外国人比率が1年で58パーセントに。3年目には宿泊客の3分の2を占めるようになり、客室稼働率も90パーセントを超えました。
お客さまの声に耳を傾けながら、自分たちにできることを
-外国人のお客さまを増やすために工夫されたことはありますか?
「満足してもらえなければ、つぶれる」という恐怖心から、最初はあれやこれやとやりました。でも、日本料理を楽しんでもらおうと心づくしの夕食の仕込みをしても、「外で食べたい」と言う方が多くて残ってしまったり、日本の旅館では当たり前の布団の上げ下げのサービスもプライバシーを大切にする外国のお客さまには評判が良くなくて。お土産として富士山の柄のふきんを差し上げていた時期もありましたが、持ち帰ってもらえないことが少なくありませんでした。「ノー・サンキュー」と言われ続けて気づいたのが、わざわざうちに来てくださるような個人旅行の外国のお客さまは「自分のことは自分でやりたい」という方たちなんだということ。そこでお客さまの反応があまり良くないサービスは思い切ってやめて、セルフサービスの朝食を用意したり、布団はあらかじめ敷いておくなど「ご自由にどうぞ」という方式に切り替えたところ、好評でした。
世界195カ国の人たちに喜んでもらえる共通のサービスはありませんし、文化・習慣の違いから思いも寄らないことがトラブルになることもあります。どうすればお客さまが満足してくださるのか、先に考えてもわかりません。家族経営の小さな旅館ですから、できることに限りもあります。お客さまの声に耳を傾け、できないことは「ごめんなさい」と言うけれど、自分たちのできることは一生懸命やる。そんなことを続けているうちにお客さまに「居心地がいい」と評価していただけるようになり、私たちも楽しんでお客さまをお迎えできるようになりました。
後編では「澤の屋」の経営で大切にしていることや、地域との連携、旅館業のやりがいについてお話しいただきます。
(後編 3月14日更新予定)
INFORMATION
「澤の屋旅館」のホームページ(http://www.sawanoya.com/nihonngho.html)。宿泊情報だけでなく、「澤の屋」が外国人観光客に人気の宿になるまでを描いた「まんが澤の屋物語」や、宿泊した訪日外国人を対象に旅行目的や日本での訪問先、訪日旅行の満足度などをサーベイリサーチセンターの協力を得て1年間調査し、まとめた「アンケートで見るFIT(個人手配の海外旅行)の旅の仕方。」も掲載している。調査は2006年から数年に1回のペースで実施しており、「同業の皆さんに情報を提供することで、一軒でも多くの宿が外国のお客さまを受け入れ、インバウンド推進につながれば…なんて実は単純にこういう作業が好きなだけなんです(笑)」と澤さん。
取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康