澤 功さん(澤の屋旅館 館主)の「仕事とは?」|後編

さわ・いさお●1937年、新潟県生まれ。1960年、中央大学法学部卒業。東京相互銀行(現・東京スター銀行)に入社。1965年、退職。東京・谷中の「澤の屋旅館」に従事し、1971年より館主となる。1982年より外国人受け入れをスタート。下町の外国人宿としてテレビ、ラジオ、雑誌などで紹介されて評判になる。「ジャパニーズ・イン・グループ」会長、社団法人日本観光旅館連盟副会長などを歴任。2006年、藍綬褒章受章。2009年、観光庁認定YOKOSO! JAPAN(現VISIT JAPAN)大使に任命される。総務省が実施する2017年度「ふるさとづくり大賞」で総務大臣賞を受賞。

前編では銀行員だった澤さんが旅館業に携わり、経営難に陥った「澤の屋」を立て直すまでの経緯をうかがいました。
後編では「澤の屋」の経営で大切にしていることや、地域との連携、旅館業のやりがいについてお話しいただきます。

旅館にはそれぞれ個性があって、成功の定義は1つじゃない

-「澤の屋」さんはここ30年間ほぼ毎日満室で、2017年の年間客室稼働率は92.7パーセントとか。客室数は外国人の受け入れを始めた当初から変わりませんが、規模の拡大を考えたことは?

ありますが、やめました。リピートのお客さまから「澤の屋が大きくなったり、チェーン化したらもう来ないよ」と言われるからです。「澤の屋」に外国人のお客さまが増えた当初は、メディアから「1泊素泊まり3600円(当時)」という価格設定がいわゆる「貧乏旅行」のお客さまのニーズに合ったからだと分析されました。もちろん「低価格」であることもお客さまが来てくださる大きな理由でしょう。でも、リサーチをしていますと、「澤の屋」のお客さまには富裕層も多く、価格だけが理由ではなさそうでした。

聞けば、お客さまにとって「旅が目的で、宿は手段」であり、宿は旅の目的に合わせて選ぶんだそうです。あるお客さまは「仕事のときはビジネスホテルを、家族とおいしいものを食べて温泉でゆっくりしたいときは観光旅館に行き、家にいるようにくつろぎながら日本人の文化や生活に触れたいときはうちのような家族経営の旅館を選ぶ」と教えてくださいました。「澤さん、変わらないでくださいね。いつ来ても同じ顔ぶれでホッとできるから、ここに来るんです」とおっしゃってくださった方もいます。日本のお客さましか受け入れていないころはネックになっていた家族旅館の雰囲気も、外国の方にとっては個性の一つなんだと気づかされました。

かつては、5部屋の旅館をいかに50部屋、100部屋に拡大するかが日本の旅館の成功譚(たん)でした。だけど、「澤の屋」が小さな家族旅館でなくなれば、きっとつぶれてしまうでしょう。旅館にはそれぞれ個性があって、成功の定義は1つじゃない。自分たちの個性を見つけ、それを守り続けることも大事なんだと思います。もっとも、妻には「あなたに経営能力がないだけよ」と一蹴されるのですが(笑)。

「観光は平和へのパスポート」という言葉を励みに

-食堂で宿泊客と町の人が交流するミニパーティーを開いたり、祭りやお花見など町の行事をお客さまと楽しむなど地域と積極的に連携されたりしているのも、「澤の屋」さんの個性ですよね。

「地域との連携」と言うと偉そうなのですが、もともとは夕食の提供をやめた時に「じゃあ、夕食を食べたい人はどうするの?」と周りに言われ、苦肉の策としてエリアマップを作ったことがきっかけなんです。「澤の屋」のある谷中周辺は今でこそ下町情緒のある町としてテレビや雑誌で取り上げられたりもしますが、当時は「ただの時代から取り残された町」といったイメージで、観光客からはまったく注目されていませんでした。でも、谷中は第2次世界大戦で被災から免れて古い町並みが残っていて、外国のお客さまの中には「この町が気に入った」と長期滞在を決めてくださる方もいました。スーパーや郵便局、銀行など日常生活に必要なところはそろっていますし、おそば屋さん、天ぷら屋さん、おすし屋さんなど和食はもちろん、中華や洋食、バーまで飲食店もたくさんあります。

「宿で提供できない機能は町にお願いすればいいのでは」と考えて近隣の飲食店を訪問。マップへの掲載と外国人のお客さまへの紹介をさせてもらえないかと聞いて回り、承諾してくれたお店には玄関に「Welcome to」の表示を出し、英語のメニューを置くことをお願いしました。当時まだ町の人たちは外国人に慣れておらず、最初は5軒ほどしか掲載できませんでしたが、継続してお願いしているうちに協力してくれるお店が増え、マップを片手に歩くお客さまに町の人たちが声をかけて目的地の案内をする光景も見られるようになりました。今では町の人たちも自然に外国のお客さまを受け入れてくれ、お客さまも「朝早く散歩をして豆腐屋さんで豆腐ができるのを見ていたら、豆腐をくれたからチョコレートを置いてきたよ」などと町の人との出会いについてよく話してくれます。ハワイからの常連のお客さまから「いつもの理髪店さんに行きたいから、予約をしておいてください」とお願いされることもあるんですよ。

-「澤の屋」さんのお客さまが町のお客さまにもなっているんですね。

私には最近、仕事の励みにしている言葉がありましてね。「観光は平和へのパスポート」という国連の国際観光年(1967年)の1967年スローガンなのですが、まさにその通りだと実感しています。特別なことをしなくても、普段着の日本を見せ、良さを知ってもらえば、外国のお客さまは日本に愛着を持ってくれます。異なる文化や習慣を持つ人たち同士が観光を通して交流し、理解し合うことが、ひいては世界から争いをなくすことにもつながるんじゃないかと思うんです。家族を養うために続けてきた旅館業が、一人でも多くの外国の方に日本を好きになってもらうことにつながっているとしたら、それ以上に励まされることはないです。

学生へのメッセージ

私はもともと検事になるのが夢で、大学の法学部に進みました。入学試験の面接では「将来は日本の正義のために頑張ります」と胸を張って言ったのを覚えています。ところが、入学後はマージャン、飲み会と学生生活を謳歌(おうか)し過ぎて、司法試験の勉強に挫折。就活では映画配給会社に憧れて採用試験を受けようと思ったら、大学の成績が条件に満たず(※)、拾ってくれたのが東京相互銀行(現・東京スター銀行)でした。

(※)当時は採用試験の応募条件の一つに大学の成績を設定する企業もあった。

銀行には定年まで勤務するつもりでしたが、妻と出会って「澤の屋」に入り、その後も逆境の連続。音をあげそうになったことも一度や二度ではありませんが、「家業をつぶしたくない」「旅館のお客さまが好き」という思いだけで踏ん張っていたら、次の道が見つかって、今に至ります。私自身がそうでしたが、若い時は思い描いた道から少しでも外れると、「みんなから後れを取ってしまう」と焦りがち。でも、結局はなんとかなるものです。外国のお客さまを受け入れて良かったのは、人はみんな違うんだと学べたこと。周りを気にし過ぎず、焦らずに自分の道を見つけていっていただけたらと思います。

澤さんにとって仕事とは?

−その1 旅館のお客さまが好きだから、大変な時も辞めるという選択肢はなかった

−その2 できないことはできない。でも、できることは一生懸命やる

−その3 家族を養うための仕事が社会にも役立つなら、それ以上に励まされることはない

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INFORMATION

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「澤の屋旅館」のホームページ(http://www.sawanoya.com/nihonngho.html)。宿泊情報だけでなく、「澤の屋」が外国人観光客に人気の宿になるまでを描いた「まんが澤の屋物語」や、宿泊した訪日外国人を対象に旅行目的や日本での訪問先、訪日旅行の満足度などをサーベイリサーチセンターの協力を得て1年間調査し、まとめた「アンケートで見るFIT(個人手配の海外旅行)の旅の仕方。」も掲載している。調査は2006年から数年に1回のペースで実施しており、「同業の皆さんに情報を提供することで、一軒でも多くの宿が外国のお客さまを受け入れ、インバウンド推進につながれば…なんて実は単純にこういう作業が好きなだけなんです(笑)」と澤さん。

編集後記

「澤の屋」さんに取材にうかがい、外国人のお客さまが談笑するカフェスペースに案内されると、ユニフォームの作務衣(さむえ)に資料をたくさん抱えた澤さんが現れました。資料の中身は、同館を訪れる外国人宿泊客の動向をリサーチした結果やこれまでに500回以上依頼されてきた講演活動のためにまとめたという手書きのレジュメやご自身のプロフィール、過去に取材された記事のコピーなど。インタビュー中はそれらを見せながらたくさんのお話をしてくださり、「良かったら、これは差し上げますね」と帰りには丁寧にそろえて手渡してくださいました。お礼を申し上げると、「こちらこそ、話を聞いていただいてありがとうございます」と澤さん。その少し恥ずかしそうな表情に、お人柄が表れていると感じました。(編集担当I)

取材・文/泉 彩子 撮影/刑部友康

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