ふるいちのりとし・1985年東京都生まれ。2007年慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科へ進学。14年現在、同博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所訪問研究員(上席)。専攻は社会学。『絶望の国の幸福な若者たち』『だから日本はズレている』など著書多数。
仕事をするからには、自分の何かを売り込み、社会に認められることが不可欠
「学歴なんて意味はない」「大企業に就職できたからといって、優秀な人材とは限らない」というようなことをまことしやかに語る人たちって多いですよね。確かに義務教育しか受けていなくても社会で活躍している人はいるし、大企業の社員でも仕事ができない人もいます。でも、人はイメージで物事を判断しがちです。「東京大学出身です」と言えば少なくとも「頑張って勉強したんだな」と思われるし、子どもが大企業に就職したら、たいていの親はひとまずほっとするでしょう。社会の中で、学歴や社歴は今も重要なシグナルとして機能しているのです。
僕自身はもっと多様な価値観で人が評価できる社会になれば面白いと思いますし、「学歴や社歴で人を判断するなんて間違っている」と批判するのは簡単です。だけど、肩書があれば、今の社会でトクをすることが多いのは事実です。将来の仕事を考えるときに大事なのは、その事実を受け止めた上で、自分はどうするかを考えることだと思います。
学歴にかかわらず、高度な専門技術や資格など社会が認めてくれて、お金になる「才能」がある人や、明確にやりたいことがあって「自分には肩書は関係ない」と言い切れる人なら、どこで働いても大丈夫でしょう。取り立てた「才能」はなく、やりたいことも定まっていないなら、「名の知れた大きな企業に入ろう」という選択は理にかなっています。あるいは、企業分析をしっかりやっていろいろな会社のことを知り、応募する会社の選択肢を増やすというのもいい手ですよね。学生の場合、知っている企業のほとんどがBtoC(おもに一般消費者向けの事業)の企業だったりします。BtoB(おもに企業向けの事業)の企業にも目を向けたら、知名度は今ひとつでも納得して働ける「いい会社」に出合えたという話は僕の周囲でもよく聞きます。
就職活動というのは、自分を売り込む「営業」だと思うんです。自分の何をどこに売り込めば買ってくれるのかをよく考えることは重要ですし、買ってくれないなら、売り込み方を見直すか、売り込む相手を変えるしかありません。簡単にはいかないこともあるかもしれませんが、その過程を楽しめた人なら、おそらく会社で働くことを楽しめるでしょう。
逆に、就職活動がつらくてたまらないという人は無理をして会社で働かない方がいいのかもしれません。本当に苦しくて心身をこわすほどなら、入社してからも大変ですし、日本の会社で働くということが多分合っていないということだから。僕自身も就職活動はしませんでした。自分の嫌いなものがよくわかっていて、大企業で働くことや、毎朝同じ場所に通うのは性に合わないと思っていたからです。日本の会社に入らなくても、起業をしたり、海外に出たり、僕のように大学院に進んで研究者になったり、自分に合ったスタイルで生きていく選択肢は無限にあります。ただし、仕事をするからには、自分の何かを売り込み、社会に認めてもらうことが不可欠だということは覚えておいた方がよいと思います。
その場での自分の役割みたいなものは、明確にするようにしている
就職活動は学部生なら3年生から始まると思っている人もいます。でも、就職活動の「自己分析」で考えるような、自分が何を得意として、どんなことが好きで、社会で認めてもらえそうな何かとか人脈を持っているかといったことは大学3年の時点である程度決まっているんですよね。そういう意味では、就職活動というのは大学に入った時点ですでに始まっていると言えます。
僕の場合、たまたま大学に学生時代から起業している友人が多く、自分の志向にも合っていたのが幸運でした。仲間に誘われて、彼が経営するIT系ベンチャー企業で大学卒業後から働き始め、今もその時出会った友人たちと仕事をしています。大学院に進学しようと決めたのは、仲間と一緒に仕事をするということを決めた後です。
ピースボート(国際交流を目的とした船旅)に参加した経験を基に書いた修士論文を『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』という新書として出版したのをきっかけに「社会学者」としてメディアで発言するようになりましたが、専業で研究者をやっていこうと思ったことは一度もありません。研究者は時間が比較的自由に使えるから仲間との仕事と両立できるし、ひとつの仕事だけをやるよりも複数のことをやった方がいろいろな出会いがあって楽しい。
「変わっていく社会の中で、ひとつのことしかできない人間になるのが怖い」という思いもあって研究者の世界にも、ビジネスの世界にも、エンタテインメントの世界にも顔を出します。思想家の東浩紀さんの言葉を使えば「観光客」ですね。一つのコミュニティに埋没する「村人」でもなく、寄る辺のない「旅人」でもなく、「観光客」として旅先と距離を保ちながら歩いていくという生き方が僕には合っていると思ったんです。
もちろん、専門性というのはあった方がいいです。誰かに聞かれたときに「コレをしています」と言えるものがないと、何をしている人なのかわからなくなってしまうから。ただし、ひとつの専門性だけにしがみついてしまうと、時代に取り残される危険性も高くなります。だから、専門性というのは1個より2個、2個よりも3個あった方がいいと考えています。
さらに、その場での自分の役割みたいなものは明確にするようにしています。世の中で起きているさまざまなことを整理し、「整理したら、こう見えるんだよ」ということを文章や言葉で示すのが僕の得意なこと。混沌(こんとん)とした事象を整理すれば、社会のあり方について「今ここにある社会は絶対ではなくて、違う選択肢もある」という新しい可能性が見えてきます。その具体的な選択肢を見せるまでが社会学者としての僕の仕事。どんな社会がいいとか、どんな生き方がいいといったことはみんながそれぞれ考えることで、僕が提示すべきことではないと考えています。
「こんな社会がいい」「あんな社会がいい」という理想像は、世の中ですでに山ほど語られていますよね。でも、その中で実現できることは1個か2個しかありません。理想像ばかりを突き詰めても、現実離れしていて実現できなければむなしい。アカデミックな世界だけに閉じこもっているとそうなりがちなので、僕は複数の世界に身を置きながら、なるべく現実に寄り添った話をする人であり続けたいと思っています。
若者の価値観や生活について研究をしてきて、それを基に本を書いたり、テレビ番組に出演するなど研究内容をコンテンツとして売ることができているのは、僕自身がまだ若く、「若者代表」としての需要があるから。この先は僕も年を取るので、どうなるかわかりません(笑)。基本的に身近なことを研究テーマにしているので、年を取ればそのときどきで興味のあることを調べたり、書いたりしていくんじゃないかな。
ユルい感じですけど、僕の場合、これまで最初から何かを決めてその通りになったことがないんですよ。友人と仕事を始めたのも本当に偶然の出会いから。学生時代から「何かを調べたり、まとめたりするのは得意かな」と思っていたけれど、マーケティングの仕事をしたり、社会学者として本を書いたりすることまではイメージしていませんでした。仕事って結局、現場に飛び込んでみないとわからない。だから、これからもその場その場で与えられた選択肢の中で楽しそうなことをやっていけたらいいなと思います。
INFORMATION
著書『だから日本はズレている』(新潮社/税抜き740円)では、クールジャパン戦略、就活カースト、働き方論争、リーダー待望論など現在の日本で起きている事象を取り上げ、日本人の「弱点」と「勘違い」に迫る。強いリーダーを待望するだけで、なかなか自分からは動き出さなかったり、「これからは実力主義の時代」と言いながら結局は学歴や社歴でしか人を判断できない…そんな「おじさん」たちが社会を迷走させていると本書は指摘するが、その「おじさん」とは年齢や性別は関係ない。「既得権益にあぐらをかいて、自分の価値観を疑わず、どこかズレていることに気づけないのが『おじさん』です」と古市さん。自分がすでに「おじさん」化していないかどうかをチェックするための試金石にもなりそうな一冊だ。
取材・文/泉彩子 撮影/刑部友康