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企業TOPが語る「仕事とは?」

社会に出たら、どんな毎日が待ち構えているのだろう。どんな仕事の醍醐味を、やりがいを実感することになるのだろう。そこで、日本を代表する企業のトップに、これまでの仕事を振り返っていただいて、仕事に対する熱い思いや、忘れられない仕事の瞬間、仕事から学んだことや生きる哲学などを教えていただいた。

掲載日:2013年3月8日

Vol.31 株式会社ディー・エヌ・エー 守安 功

従業員6人の会社に転職。こんなチャンスはない、と思った

実は『就職ジャーナル』がまだ紙媒体だったころ、写真入りのインタビューで取り上げてもらったことがあるんです。大学4年生で最初に勤めた会社から内定をもらっていました。将来の目標などを聞いてもらって、「絶対に社長になる、稼いで家を買う」、なんて答えていて(笑)。掲載誌は今でも持っているんですよ。

学生時代に印象深いのは、やはりサークルですね。サッカーとテニスのサークルに入っていて、後からゴルフとオールラウンドのサークルを自分たちでも立ち上げて。

あとはアルバイト。とにかくいろんなアルバイトをしたんです。映画のエキストラ、スキー旅行のツアーコンダクター、コンサートの補助員…。ファストフード店の厨房で、ハンバーガーを焼いていたこともあります。それが、東京の若者がたくさん集まる駅前の店で、とにかく忙しくて。何もわざわざそんな店を選ばなくても良かったのですが、少なくとも自分より圧倒的に早くハンバーガーを作れる仲間がいて、これで勝負したらこいつらにはかなわないな、と思ったのを覚えています。

大学での専攻は宇宙工学でした。もともと宇宙が好きで、将来はロケットやジェットエンジンの製造に携わることになるんだろうな、と思っていました。研究室は次世代エンジンがテーマの厳しいところでした。地味な実験を根気よく繰り返す毎日。その技術が実用化されるとしても三十数年後で、しかも実用化される確約はない。これはあまりに時間感覚が合わないな、と思うようになりました。反対に新しくて結果が出やすくて伸びている業界はどこかと考えた時に、ITだと思いました。

ただ、この研究室での地道な実験を根気強く行った経験は、後の仕事に大きく生きたと思っています。仮説を立てて、実行して、ファクトを分析して、修正すべきところは直して、というサイクルを繰り返していたのですが、これはまさに事業も同じなんですね。

大学時代にはもうひとつ、後に役に立ったと思えることがあります。それは学生時代にしか経験できない“暇”を存分に味わったということ(笑)。それこそゲームを発売日に手に入れると1日18時間くらいかけてぶっ通しでやったりして。暇で死ぬんじゃないか、というくらい十分に味わいましたね(笑)。だから、社会に出たら徹底的に仕事に打ち込むことができた。

最初に就職したのは日本オラクルだったのですが、入社から半年ほどして、友達に一緒に起業しないか、と誘われたんです。「インターネット業界が今、熱くなっているぞ」と。ITバブル前夜のころです。自分でもアメリカの動向などを調べてみましたが、これは熱い、来るぞ、と思いました。以来、これから間違いなくインターネットの時代が来る、どうしてみんな普通の仕事をしていられるのか、と思うようになってきました。

起業は結果的にうまくいきませんでしたが、会社の同期の一人がディー・エヌ・エーという会社があるぞ、と声をかけてきました。面白いから遊びに行ってみよう、と。一緒に行った6人が全員そのまま転職しちゃったんです(笑)。しかも当時、ディー・エヌ・エーは6人しか社員がいなかった。まだ、サービスもスタートさせていない。でも、これならゼロから会社づくりに参加できると思いました。創業者である南場智子前社長も一緒に会社を作っていこう、サービスを作っていこう、と言ってくれました。

日本オラクルは1000人規模の会社でしたから、どうして6人の会社に転職できたのか、とよく聞かれました。でも、行って当然だ、と思ったんですよね。こんな大きなチャンスはない。むしろ、行かないことの方がリスクだ、と。

ただ、事業の立ち上げは本当に大変でした。他社に発注していて作られていたはずのシステムが、リリース1カ月前になって作られていないことが判明。なんとか間に合わせたシステムは不安定で24時間張り付いていないといけない。当初は夜勤をシフト制にしていたのですが、日勤と夜勤を交互にやる方が自分にはキツかった。それで自分から手を挙げて2カ月間、ずっと夜勤生活を送っていたのを今も覚えています。思い返せば、すごい日々でしたね。

世界で戦えるインターネットサービスが日本から生まれた

創業当初のPCでのネットオークション事業には強い競合がいました。システムに機能を追加したり、安定性を高める必要もありましたが、これが簡単ではなかった。やるべきことは日々山積していくばかり。その時に、ただ、やみくもに新しいことをやろうとするのではなくて、データをしっかり分析して必要なことからやるべきだ、と主張したんですね。すると、その役割が任されるようになり、いろんな相談が自分のところに来るようになった。エンジニアとして入社したんですが、ここから本当にいろんな仕事をさせてもらうことになります。

ディー・エヌ・エーにとっての大きな転機は、モバイルでのネットオークションサービス、モバオクです。それまでのPCでのサービスとは、まったく違うユーザーをここで獲得することができた。しかもPCと違ってゼロからの競争になった。ただ、自分たちもモバイルのコアユーザーではありませんでしたから、本当にうまくいくのか不安もありました。でも、新しいことをやらないと、ナンバーワンになることはできない、大きな成長を獲得できない、という思いが新しい取り組みを決断させることになりました。このモバオクが想像以上に伸びていきました。

その後のディー・エヌ・エーの成長エンジンになったのは、極めて高い目標意識でした。驚かれるかもしれませんが、何も決まっていないのに、まず売り上げ目標、利益目標を設定するんです。そこから、その売り上げや利益を達成するためには何が必要なのかを必死で考えます。こんな事業はどうか、こんなやり方をしたらどうか、と。

モバゲータウン(現:Mobage)が生まれたのも、5年後に売上高を1000億円にするという途方もない目標が背景にありました。当時の売り上げは60億円規模。1000億円にするにはどうするかを考えるのが役割だ、と言われて。必死で考えた事業のひとつが、モバゲータウンでした。

これはエンジニア時代もそうでしたが、難しい仕事を任され大きな責任を背負い、本当に必死で取り組んだとき、自分の能力はグンと上がるんですね。思えば、ディー・エヌ・エーでの仕事はその繰り返しでした。最後まで逃げずにチャレンジすることこそ、力をつけることにつながるんです。

会社も同じで、どこかで満足してしまったら、それまでです。常に高い目標を掲げて、そこに挑もうとすることでグンと成長する。そして、社員も成長する。

今後も、これまでと同じようにディー・エヌ・エーは新しいものをどんどん生み出して成長していきたい。インターネットの世界はまだ日が浅いですから、環境も次々に変わっていきます。スマホだって、ここ数年のトレンドですからね。そして何より、この世界は経験者が少ない。若い人であっても、まったく歯が立たないようなプレーヤーはそんなにいないわけです。つまり、若くして活躍できるチャンスがある業界だということです。

加えて、ソーシャルゲームの分野では今、グローバル展開に大きな注目が集まっています。日本だけでなく、欧米やアジアでも需要の拡大が予想されている。ところが、ノウハウを持っているのは日本国内の数社しかない。

これまでインターネットサービスは、アメリカ発のものが多かった。ところが、日本発のビジネスモデルで、世界で戦えるインターネットサービスが生まれたんです。初めて、世界で勝てるジャンルを作ることができた、と言っても過言ではない。

だから、世界でナンバーワンになるというチャレンジも待ち構えています。これは極めて醍醐味のあるチャレンジです。

就職先の選択は、なかなか簡単ではないかもしれません。ひとつだけアドバイスをするとすれば、社会人になったら人生の相当な時間を仕事に費やすことになる、ということです。ですので、本気で打ち込めるものを選んだ方がいいと思いますね。

どうしてディー・エヌ・エーで結果を出せたのか、社長になれたのか、と問われることがあります。少なくとも言えることは、”イエスマン”ではなかった、ということです。言われたことだけをやる、ということはまったくなかったし、自分の意見もずいぶん言いました。それが結果的に、プラスに働いたことは間違いないと思います。

あとは負けず嫌いなことでしょうか(笑)。負けるの嫌いなんですよ。だから、2012年のプロ野球は辛かった(笑)。13年はもっともっと強くなってくれるのを、楽しみにしています。

■PROFILE
1973年生まれ。東京大学大学院(工学系研究科航空宇宙工学)修了後、98年に日本オラクル株式会社入社。99年、システムエンジニアとして株式会社ディー・エヌ・エー入社。2004年に携帯オークションサイト「モバオク」、06年には「モバゲータウン(現:Mobage)」を立ち上げ、同年6月取締役就任。09年、取締役兼COO。11年6月、代表取締役社長に就任。13年4月より代表取締役社長兼CEO(現任)。
■新人時代
最初に勤めた会社は1年半で退職しましたが、後の仕事観に通じる大事な経験をしました。いつまでにプログラムを書く、と約束したのに力不足でできなかった。これが本当に悔しくて悔しくて。ところが、これをきっかけに大きく成長できた。どこまで悔しい思いをするか、が基礎能力を高めるのだと思いました。
■プライベート
休日は健康管理のためにジムでランニングをするようにしています。ほかには、平日はまったくと言っていいほど子どもと過ごす時間がありませんので、天気が良ければ一緒に公園に出かけて遊んだり、映画を観に行ったり。なぜか意外と言われることが多いのですが、極力家族と過ごす時間を作るようにしていますね。
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構成・文/上阪徹 撮影/刑部友康 デザイン/ラナデザインアソシエイツ

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